大好きの魔法

 温かい夢から目が覚め、元気でいられたのは最初だけだった。


 すぐに憂鬱な気分になり、ずっと家にいたくてたまらなくて、親に保育所へ行きたくないと伝えたけれど、好きなゲームを家でしていたいだけだと勘違いされて引きずられるようにして連れていかれた。


 そんな理由じゃない。


 怖くて冷たくていたくない嫌な場所だから嫌だって言っていただけだったのに。


「行きたくない! 嫌だ! 帰りたい!」


 泣き叫びながら暴れていると、抱え上げられ放り込むように預けられた。


 ずうっと夢の中にいられたなら。


 これから待ち受ける冷たく過酷な時間に怯えていると、親にばれないようにするためなのか、みんなで遊ぼうと提案されて遊ぶことになった。


 最初からみんなで遊ぶのは夢の中以来のことで、最初は警戒しながらだったけれど、普通に遊んでもらえたので愚かな私はうっかり安心してしまった。


「そういえば、みんなと遊びを決めるの初めてだったよね?」


 先生の言葉に首を横に振ったのが懐かしい。


「んーん。夢の中で……」


 周りのみんなは言葉を途中で遮り、遊びを決め始めた。なんだか怖いもの、変なものでも見るような目で。


 そんなにおかしいことを言っただろうか?


 不思議に思いながら夢の中で決めたのと似たような流れで遊びが決まっていった。


「みんなで最初から遊びを決めるの楽しいでしょう?」


 先生の言葉に対してどう反応すればいいのか困ってしまった。


 だって初めて決めたのは夢だし、楽しいことなんて知っていた。おまけに、夢の中の方がずっと安心で楽しかったのだから。


 困りながら黙っていると、先生は他の子に手を引っ張られて連れていかれた。


 今思えば、精神的にやられすぎて頭がおかしくなったと思われていたのだろうし、みんなで遊ぼうって言ってもらえたのは親にいろいろ話されても信用させないためだったのだと思う。


 親の迎えが来た時、みんなでこんなことして遊んだんですよなんて楽しそうに話していた上に「楽しかったよね?」なんて聞かれて頷かされたからそう思っただけだけれど。


 お迎えの時間で、母が悪く言っていた人が近くにきて、娘さんを待っていた時の出来事も思い出せる。


 母にいろいろ言われて傷ついていると思った愚かな私は、周りにどんな噂を広められているのか知らないでうっかり褒めてしまった。


「とっても綺麗。お美しいです」


 すごく嫌そうな反応をされて幼心に胸が痛くてたまらなかった。


「気持ち悪い。近寄らないでくれる?」


 幼いながら、喜んでもらえると、傷ついているかもしれないから元気になってほしいと思っていっただけだったんだけど、現実は甘くはなかった。


 遠くに離れると、ママ友仲間らしき人たちとたくさん悪口を言っているのが聞こえてきて、寂しいような、心がすうっと冷たくなっていくような感覚に見舞われた。


 痛みを通り越して無痛で、心がどんどん凍りついていくような、そんな冷たさ。


 ようやく迎えが来てくれたときは心底安心した。


 寂しさと悲しさと虚しさで凍り付いた心を抱えながら家へと急ぐように帰ったのが昨日のことのよう。


 その日の夜、夢を見ることができてすごく安心した。


 家の中でもさらに安心できる私だけのあたたかい居場所。


 あなたが優しく頭を撫でてくれて、心がほんのりと温かくなったのを今でも思い出せる。


 あたたかくて優しい手。


 大好きなあなたの手が頬にそっと添えられて、いつの間にか流れていた涙を拭ってくれた。


「よく頑張ったね。悲しいこと、寂しいこと、辛いことがあったらここで君の大好きな物を届けるよ。もしそういうのがあってもなくても、みんなで楽しい夢を見て遊ぼうね。たまに怖い夢を見ちゃうかもしれないけれど、修行だと思って頑張ってほしい。もうすでに君は十分頑張っているけれど……。どんなときでも君の傍にずっといさせてくれるかな?」


 あなたの優しくてあたたかい言葉が嬉しくてたまらなかった。


 泣きながら元気よく頷くと、あなたが笑って答えてくれたような気がした。


 後ろからみんなが温かく見守ってくれる中、ふとした疑問を素直に口にした。


「そういえば、みんな真っ白だけど、どんな人?」


 純粋な質問を投げかけると、みんな困ったような雰囲気でお互い目を合わせているようだった。


 みんな人のシルエットをした白い靄だけれど、なんとなくで区別がついていた。


 区別はつくけれど、問題はそこじゃなくて……。


「おなまえも知りたい」


 呼び方にも困るしいろいろ困ってしまうからだ。


「ちょーっと時間もらってもいい?!」


 あなたは困ったような、それでも少しうれしそうな様子で後ろのみんなと合流してなにやらたくさんお話していた。


 待っている間、用意してもらった『大好き』の山の中から、お気に入りの絵本を見つけて一人で読んでいると、しばらくしてから肩を優しくトントンと叩かれたのでゆっくりと顔をあげた。


「どう……?」


 黒髪ショートで天使のように顔が整った16歳くらいのお兄さんが目の前にいた。服装はよく見かけるような自然なファッションを思わせるもの。


 いつもの白いシルエットの方が人見知りせずに親しみやすかったことに気がつき、自分が言い出したことなのに顔を赤らめながら素っ気ない反応をしてしまった。


「……」


 眉間に軽くしわを寄せながら目を伏せ、あからさまにへこんでいるのを見て、傷つけてしまった側なのに胸が痛んだ。


「……ごめんなさい」


 傷つけたことをとにかく謝らねばと思って言ったのだけれど、あなたはますますへこんでしまってどうしたらいいのかがまったくわからなかった。


 そんな私たちの元に、気さくな人が近寄ってきてあなたの肩にそっと手を置いていた。


 気さくな人も白いシルエットではなくなっていて、人見知りを発動してしまって体が少し強張ってしまった。


 あなたによく似た姿と服装だけれど金髪だった。金髪のせいか、本当に天使のように見えた。


「夢魔なんだから相手の気持ちがわかるだろう? 悪気はないって」


 そんなことを言いながら元気づけているのを見つめている私に少しだけ冷たい視線を向けてきて余計に体が固まってしまったけれど、そんな私の肩に優しく手を置いてくれる人がいた。


 振り向いてみると、同じくらいの背格好でたんぽぽの綿毛たちを思わせる髪型をした素敵な笑顔の男の子がいた。服装は周りの男の子が着ているようなありきたりのもので親しみやすかった。


「セラピストさん?」


 体が強張らずにお話しできたことに自分でもびっくりしていると、満面の笑みで頷いてくれた。


「そうだよ! えへへ。あらためましてよろしくね!」


 なんだか人懐っこい笑みと仕草が子猫のようで愛くるしくてすぐに打ち解けることができた。のほほんとした雰囲気を漂わせてくれているからでもあるのだろうか。


「じゃーん。私たちはどう?」


「……」


 色惚けさんと本の虫さんが並んで目の前に立ってアピールをしてくれた。


 アピールといっても、色惚けさんが一人でアピールしているだけで本の虫さんはただ大事そうに本を抱えて無表情に立っているだけだった。


 色惚けさんのイメージは女性だったけれど、意外なことに男の子だった。ピン髪ロン毛の猫毛で毛先がくるんとしていて女の子に見えなくもない。白くてひらひらしたドレスに茶色いサンダルを履いていて、こういう天使見たことあるなと思わせる服装をしていた。


 本の虫さんは物静かな大人の女性だった。黒髪ロングのストレートヘアに、光の加減でオレンジ色にも金色にも見える綺麗な一筋のメッシュが右耳の後ろあたりに入っていてとても綺麗だった。黒いタートルネックに黒いロングスカート、上から白衣を着ていて科学者のようにも見えた。抱えている本には太陽のような模様が刻まれている。


「二人ともすっごく綺麗!」


 はしゃぎながら言うと、色惚けさんは私以上に大はしゃぎの大喜びでぴょんぴょんと跳ね、本の虫さんは微かに口角を上げて静かに微笑んでくれた。


 ふと視線を感じてそちらに目を向けてみると、前にはいなかった子が一人、じっとこちらを見ていた。


 近寄りもせず遠巻きに見つめているその子の目は赤く、髪は真っ白で肌も透き通るような白さでとても綺麗だった。髪はショートで男の子みたいだけれど、胸が少し膨らんでいるので女の子だとわかった。14歳くらいだろうか。物語や絵に出てくる死神を思わせるような真っ黒なローブを着ているけれど、肌や髪の真っ白さを強調していてとても綺麗に見えた。


「綺麗な人、綺麗なお目目」


 思わずそう呟いていたくらいには綺麗な人だった。


 それを聞いて眉間にしわを寄せながら、こちらをもっときつく睨みつけてきたけれど、とても綺麗な瞳をしていたからか、怖いことなんてなかった。


「あなたはだれ?」


 屈託なく、恐れることなく問いかけたからなのか、その真っ白で綺麗な人は驚いた顔をしたあと少しだけ歩み寄ってくれた。


「……月の子って呼ばれてる」


 答えてくれたのが嬉しくて満面の笑みを浮かべていると、心なしか頬を赤く染めながら目をそらされた。


 どうしたのだろう?


 そういえば姿は見れたけれど、名前をまだ聞いてなかったなと気づかされた。


「みんなのおなまえは?」


 姿がわかったのだから次は名前だと思って聞いてみたけれど、みんな困ったような顔をしてしまった。


「……僕たちには名前がないんだ。特徴で呼び合ってるのはあだ名やニックネームとかじゃなくて、本当に名前がないからなんだ」


 すごく元気がなさそうにしながら、あなたが返事をくれた。


 申し訳ない気持ちが湧き上がってくる。


 黙ってしまったら余計に傷つけてしまいそうだったので、なんて返事をするか一生懸命考えたけれど、なんて答えればいいのかがまったくわからなかった。


 困っているのがわかったからか、あなたは少しだけ考える仕草を見せてから口を開いた。


「名前、つけてもらってもいい?」


 今思い返しても恥ずかしくなってしまうけれど、私にはネーミングセンスなんてものはまるでなかった。ましてや、幼いころの私のセンスといったら……。


「柴犬のシバ! ハスキー! ネコ! とりっぴー! フクロウ! うさぽん!」


 夢魔のみんなが口をあんぐりあけ、無邪気にはしゃいで指をさしながら名付けている私を見ていたのが昨日のことのように思い出せてしまう。思い出しただけでも恥ずかしくてたまらない。


「だ、誰がうさぽんだ!」


 開口一番苦言を呈したのは月の子だった。


 私の方にズンズン歩み寄ろうとしているのをシバと名付けた優しいあなたが食い止めてくれていた。


「まだ小さい子なんだから! またそのうち名前変わっちゃうだろうから! 安心して! 落ち着いて!」


 周りのみんなは複雑そうな顔をしていたり、ショックを受けた様子だったり、気に入った様子だったり様々だった。


 ハスキーと呼ばれた気さくな人は困ったような顔をしながら乾いた笑いを、ネコと名付けられたセラピストはニャーなんて言いながら魚をどこからともなく出して美味しそうにかじりついていた。


 とりっぴーと名付けられた色惚けはショックに打ちひしがれ、満更でもなさそうな顔をしているフクロウと呼ばれた本の虫は色惚けの背中をそっと撫でていた。


「うさぽん! お目目が赤くて白いから可愛いかなって。月の子だしうさぎっぽくて良いなって」


 悪気はなかったけれど、その言葉を聞いた月の子はますます顔を赤くしてしまった。


「ふんだ!」


 月の子はすごく怒った様子でどこかへ行ってしまった。


「気にしないで! 最後のは照れ隠しだから」


 軽くショックを受けていると、あなたはそうやって私が安心できるように解説をしてくれた。


「ばか! 知らん! 違う!」


 月の子はあなたにむかって酷く怒った様子で罵声を浴びせるとどこかへいってしまった。


 怒った月の子をなだめるためか、あなたは月の子を追いかけて行ってしまった。


「可愛いと思ったんだけどな。うさぽん」


 少ししょんぼりしていると、残った4人が周りを取り囲んで懇願してきた。


「後生だ! みんなが気に入ったと思えるまで何度でも良いから名前をつけ直してほしい」


 気さくな人が頭を下げてお願いしてきたので黙ってうなずくと、セラピストが少し残念そうにしていた。


「僕は猫でも良いんだけどニャー」


 そういって、猫の真似をしていたのが可愛いから頭を撫でると、猫のように目を細めて気持ちよさそうな顔をしてくれたからもっと撫でた。


「にゃんにゃん♪」


 とても嬉しそうなセラピストを見るとこちらまで癒されているようで幸せだった。


 そうこうしていると、むすっとした怒り顔になっている月の子を連れてあなたがこちらへ戻ってきた。


「まあまあ、動物ごっこ遊びってことで! 楽しそうで良いよね、ね?」


 あなたの言葉に納得したみんなはにっこり微笑み、それぞれ動物の真似をして遊んでくれた。


「私は?」


 どんな動物になるのか気になって聞いてみると、みんなそれぞれ考え込むような仕草で黙ってしまった。


「孤高な感じの動物……ワシとか?」


 気さくな人がそういうと、何人か頷いていた。


「オオカミさんとか!」


 セラピストの言葉にも何人か頷いていたな。


「ここう?」


 幼い私は動物のことは頭に浮かんでも『孤高』の意味するところがわからなかった。


 みんなの共通認識は私が孤高であるという理由もなにもかも自分ではよくわかっていなかった。


 自分が客観的に見てどういう人間なのかさっぱりわからなかったからでもある。


 あなたにどんな動物だと言われるのか気になって見つめたけれど、考え込んだままこちらを見向きもしなくて、少しだけ寂しい気持ちになった。


「……」


 そのうちだんだん眉間にしわを寄せ、目をぎゅっと閉じて困った顔をしてしまったのを見つめていた。


 あの時の私にはわからなかったけれど、ちょうど良い動物が思い浮かばなくて困ってたんだね。


 結局、人間も動物という結論になって私だけ人間、みんなはそれぞれあだ名としてつけられた動物として一緒に遊んだあたたかい夢だった。


 目が覚める瞬間、寂しそうにしている私の頭をいつものようにあなたは優しく撫でてくれた。


「また遊びにおいで。ここは君の居場所だ。何があっても僕らは君の味方でいる。だから、またね。辛いことがあったら君の『大好き』をここで用意して待ってるから。この夢は僕らが君にかけた『大好き』の魔法だよ」


 いつもは白くてぼんやりしたシルエットだったから知らなかったけれど、こんなにも優しくてあたたかい微笑みで私のことを見送ってくれていたのを初めて知った夢でもあった。


「大好き」


 目が覚める直前に言った言葉をあなたは驚いた顔で受け止め、花が咲いたような明るい笑みを浮かべながら答えてくれていたのに、聞き取るまでに起きてしまった。


 朝の柔らかな日差しを浴びながら、心にともった温かい光を消してしまわぬよう、これから待ち受ける過酷な一日に立ち向かう覚悟を決めた目覚めだった。


 また夢で会えますように。

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