2-10 怪しい人はお客さん?

 それからも青葉は日中、シフトに入った時にチラシ配りを続けた。ゆずは夢の中で特訓を受けながら、やってくる客の夢鼠をらいむたちとともに狩っていた。

 こうして一週間と五日が過ぎ、タイムリミットまで残り一日となってしまったが、キメラの夢鼠にはいまだ出会えていない。


「ふくろうカフェ、やってますー! フクロウたちと触れ合えますよー!」


 予備校が終わった夕方。青葉はショッピングモールの出入り口で、メイド服を着て、いつものようにチラシを配っていた。肩にはゆずが乗っている。

 青葉はこの格好にもチラシ配りにも慣れて、行き交う人々に明るく声を掛けながらチラシを渡していった。一方、肩に乗るゆずは、悩んでいるようにうつむいている。


“どうしよう、もう今日しかないよ……。早くキメラの夢鼠を見つけないと……”


 呟く声が、頭の中で聞こえる。

 青葉はそっと手を伸ばして、ゆずの頭を優しく撫でてあげた。


「焦ったらいけないって、らいむちゃんも言ってたじゃない? きっと見つかるよ」


 温かな声に、ゆずは前を向いて青葉と視線を合わせる。

 青葉自身、焦りがないと言えば嘘になる。けれども、宣伝効果か、ふくろうカフェに来る客は少しずつ増えているように見えた。だからきっと、キメラの夢鼠に取り憑かれた客にも出会えるはずだ。そう信じたい。


「ところでさ、ゆず。さっきから気になってるんだけど……」


“どうしたの? 青葉さん?”


 青葉はゆずから手を離し、視線を前へ向けた。ゆずも、青葉の見ている方向へ顔を向ける。

 そこには、ショッピングモールの自動ドアの横で立ち止まり、ノートとペンを持ちながらじぃっとこちらを見つめる女性がいた。


「あの人、なんだろう……? さっきからこっちをずっと見てるんだけど……」


 青葉は口の前に手を添えて、声を潜めながらゆずに言う。

 女性は小美美よりも年上に見え、三十代くらいだろうか。長い髪はボサボサで、服もスウェットシャツにジャージとラフすぎる格好をしている。見開いた目でこちらを見ていたかと思えば、ノートに目を落としペンを走らせる。


“あ、怪しいね……。あんまり関わらないほうがいいかもしれない……”


「うん。もうちょっと宣伝したかったけど、今日はもう終わりにしようか」


 青葉は残ったチラシを両手に抱え、カフェへ戻ろうと踵を返した。

 チラッと自動ドアのほうへ目を向けると、女性はペンを握ったまま動きを止めていた。次の瞬間、大股でこちらへ歩いてくるではないか。


「ど、どうしようっ、こっちに来るよ!?」


“えっ!? わっ、本当だ!? ど、どうしよう……!?”


 青葉とゆずは半ばパニックになりながら、その場で固まってしまう。

 そのうちに女性は、青葉の目の前まで来てしまった。青葉を見つめる両目は見開かれているが、生気を抜かれたように虚ろだ。大きな隈ができていて、まるで徹夜明けのような、やつれた顔が、青葉のすぐそばに迫ってくる。


「イイ」


 身体を震わせている青葉とゆずの前で、女性は口角を上げ、黄ばんだ歯を見せた。


「異世界に転生した可憐なメイド少女と、彼女の相棒であるフクロウ。だか肩に乗るそれは、悪しき魔女に姿を変えられた夜の王の姿だった……! イイ! 実にイイ! ここから話を膨らませていけば、ワタシの物語は完ぺきになるはずだ……!」


 女性の言っていることが、青葉にはまったくわからない。周囲から怪訝な視線を浴びせられているにもかかわらず、女性は頭に手を置いて大声で叫び出す。


「だが、続きが思い浮かばない! メイド少女に迫る悪役令嬢は、どんな手を使って彼女を陥れる? 肩に乗るフクロウは、夜を統べる力を持って、なにを望む? ワタシはどうすればいい? どうすればいいんだー!!」


 甲高い叫びが、周囲に響いた。

 次の瞬間、青葉の二の腕に痛みが走る。女性が再び青葉と向き合い、その腕を握り締めるように強くつかんでいた。


「行かないでおくれ、転生少女。ワタシのネタが思いつくまで。ワタシが傑作を書き上げるまで。その姿をワタシの頭に焼き付けてくれ。ネズミに食い荒らされた脳細胞に、新たな刺激を寄越してくれ!!」


 女性の指が、青葉の腕に食い込んでいく。

 青葉はもう、動くこともできず、声さえも出せなくなっていた。恐怖が頭を支配する。舐めるように自分を見つめてくる女性に対して、目をそらしてうつむくことしかできない。

 その時。


“あ、青葉さんに、手を出すなっ!”


 茶色い翼が視界に入る。ゆずが青葉の肩の上から飛び立ち、女性に向かって飛びかかる。羽に覆われた腹で、女性の顔面に体当たりをした。ぽふんっと音がしそうな緩い突進で、ゆずはそのまま地面に落ちる。


「ぎゃぁぁああああーーー!? 夜の王よ、なにをする!? ワタシの顔が! つかみかけていた着想が!」


 爪で引っ掻かれたわけでもないひ弱な攻撃だったが、それでも女性には効いたらしい。両手を顔に押し当てて身もだえる。地団駄を踏むように、その場で足をばたつかせる。


「ゆず、危ない!?」


 地面にへたっているゆずの真上に、足があげられた。青葉はとっさに手を伸ばし、ゆずの体を抱き寄せる。ゆずを胸に抱き締めながら、一歩二歩を後退し、女性をキッと睨みつけた。


「ゆずに、手を出さないでくださいっ!」


 精一杯、声を強めて叫んだ。踵を返し、全速力で駆け出す。


「ま、待ってくれ! ワタシの転生少女と夜の王ー!」

「そこの君、なにをしている!」


 女性が追いかけてこないか不安がよぎったが、背後から別の男性の声が聞こえてきた。振り返ると、警備員の格好をした何人かが、女性を取り囲んでいる。どうやら騒ぎを見ただれかが、呼んでくれたようだ。

 青葉はほっと胸を撫で下ろすと、再び前を向いて走っていく。胸の中で抱いているゆずの体は温かくて柔らかく、心を落ち着かせる。体を震わせていたゆずも、青葉の胸の温かさを感じていると、しだいに安心してきた。


“あの人、ネズミがどうとか言ってた。まさか……”


 落ち着きを取り戻した頭で、ゆずは女性の言動を思い出す。

 不審な女性にゆずが体当たりをした時、来ていたスウェットの胸ポケットに、抜け落ちた羽根が入ったことを、ゆずと青葉は知るよしもない。

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