2-07 はっさくは愛され者
「わぁぁあああああーーーっ!?」
円形状の闘技場で、悲鳴が響いた。土ぼこりをあげながら追いかけてくるのは、人の三倍はあろう巨大な闘牛の姿をした夢鼠だ。角を振り乱しながら突進してくる夢鼠に、ゆずは涙目になりながら、闘技場の縁を必死に走り回る。
「アレはフクロウのくせに飛ぶのを知らないでしょ?」
「ゆず~! ウシさんは飛べないから、上に逃げればいいよ~!」
上空から声がして顔をあげると、変身姿のみかんとすだちが翼を羽ばたかせながらこちらを見下ろしている。頭上には屋根がなく、小さな夢の結晶が星のように浮かんでいる。
「あっ、そっか」
ゆずは今さら上空が逃げ道だと気がつく。翼を羽ばたかせ、空へ飛んだ。
直後、興奮した夢鼠は雄叫びをあげ、ひづめで地面を強く蹴る。ゆずに向かって角を振りかざし、高く跳び上がった。
「えぇっ!? と、跳んだ!?」
言うや否や、ゆずの尻にブスリッと角の先が刺さる。
「いたぁーっ!?」
ゆずの悲鳴が、またも闘技場に響き渡る。
しかし、角はそれ以上食い込むことはなかった。頭上から落ちるように飛んできたらいむが、夢鼠の背に強烈な蹴りをくらわせる。夢鼠はそのまま下にたたき落とされ、闘技場の石畳に亀裂を作った。
「はつ、あとは頼みます」
真紅の衣装を翻し、らいむは優雅に身を引いた。
らいむがさきほどまでいた場所を、漆黒の衣装が通過する。上空からはっさくが急降下し、鉤爪のついた両腕を胸の前で交差させる。倒れている夢鼠の胴体めがけ、腕を開くようにして攻撃を放った。
「
一瞬の出来事で、ゆずの目にはその攻撃が見えなかった。ただ、気づいた時は、夢鼠の胴に刻まれた罰印の斬り口から光の粒子が漏れ出し、花吹雪が咲いたように舞っていた。はっさくはその背後で、両腕を上げながら静止している。
夢鼠が断末魔をあげて消えていく。らいむやすだちやみかんが地面に降りていくのを見て、ゆずも翼を羽ばたかせた。
「お疲れ様でした。それでは帰りましょうか」
らいむは地面に転がっていた夢玉を拾い上げ、皆に笑顔を向ける。
それぞれが変身を解き、闘技場の隅にある扉へ向かって歩み出した。
地面に降り立ったゆずのもとへ、はっさくがやってくる。すれ違いざま、睨むような鋭い視線を浴びせられた。
「狩りは遊びではない。真面目にやれ」
「す、すみません……」
自分は真面目にやっているつもりだ。でも、はっさくの威圧的な瞳が、その言葉を言わせない。
扉へと歩いてく皆の後ろ姿を見つめ、ゆずは自分の右手首にはめられたブレスレットに目を落とす。
「どうしました、ゆず? お尻、痛みますか?」
ついてこないゆずに気付き、らいむが振り返って問いかける。
ゆずは尻に手を当てて、顔を赤くしながら首を振った。
「う、ううん。なんでも、ない……」
「早く帰りましょう。カフェに戻れば、青葉さんも来ているはずですよ」
「う、うん!」
らいむに促され、ゆずはようやく歩き出した。
* * *
カフェに戻ると、オカメインコの姿をした青葉が、カウンターに乗っていた。
「ゆずー!」
ゆずの顔を見た青葉は、カウンターから飛び立って、肩に乗る。
「青葉さん、来てたんだね」
「だれもいなかったから、びっくりしちゃったよ。夢鼠狩りに行ってたの」
「うん。キメラの夢鼠じゃなかったけどね」
「ゆず、上手く狩れた?」
「う、うーん……、ぼくは……。はっさくさんが狩ってくれたんだ」
話している横を、はっさくが通り過ぎる。カフェの一番奥にある席へ行き、ソファに腰を下ろして足を組む。見ていると視線が合い、ゆずは思わず目をそらした。
「ゆずって、もしかしてはっさくちゃんが苦手?」
肩に乗る青葉が、耳もとでささやいた。
ゆずはカウンター席に座り、ちらちらとはっさくを盗み見ながら小声を出した。
「う、うん……、まだあんまりわかんないかな……」
「そう? わたしは、好きだよ。はっさくちゃんのこと」
「えっ、そうなの?」
ゆずは意外な言葉に、目を丸くして青葉を見た。
「だって、現実のふくろうカフェにいるはっさくちゃんは、すごくおとなしくて優しい子だから。店長さんは推しだっていつも抱き締めてるし、はっさくちゃんに会いに遠くから来る常連さんもいるんだよ。カラフトフクロウってとてもデリケートで飼うのが難しい種類なんだって。でもその分、はっさくちゃんは愛されてて、わたしは好きだよ」
青葉はフクロウの時のはっさくの話をして、穏やかな笑みを浮かべる。
一方ゆずは、顔をしかめて首を大きく横に傾けていた。視線の先では、ソファに座るはっさくのもとに、らいむがコーヒーとガトーショコラの乗った皿を運んでくる。はっさくは眉根を寄せて、「いらん」と一言。ガトーショコラの皿を押し返し、コーヒーに口をつけた。
「そ、そうかなぁ? いつも睨まれるし、怒られるし、手も出されるし……。正直、怖いとしか」
カタンッ!
不意にコーヒーカップが、ソーサーの上に強く置かれる音が響いた。
ゆずと青葉は、びくんっと肩を跳ね上げて、ソファ席を見る。
「聞こえている」
こちらは見ずに、ぶっきらぼうに言ったはっさくは、またコーヒーを口につけた。
「はつは耳が良いですから。陰口はいけませんよ」
はっさくの隣で、らいむが皿を持ち、フォークでガトーショコラを切り分けながら、たしなめる。
ゆずと青葉はうつむきながら、同時に「すみません」と謝った。
らいむはにっこりと笑い、切り分けたガトーショコラをはっさくの口もとへ持っていく。「あーん」という言葉とともに、唇にショコラの生地が押し当てられ、はっさくはしぶしぶといった様子で口を開けた。
「少し付いてしまいましたね」
唇の上に、小さなショコラ生地の欠片がついてしまった。はっさくがらいむから顔をそらす。しかし、らいむははっさくの肩に手を置き、身を寄せ、唇を拭うように、舌を――。
「わっ、わぁ~! と、ところでさ~、ふたりとも~! なんだろう~! なんかね~、言いたいことがあったんだけど~、なんだろ~!」
はっさくとらいむのやりとりをまじまじと見つめていたゆずと青葉の前に、すだちが両手を振りながら割り込んでくる。頬を赤く染めながら、話題を変えようと必死に言葉を探している。
「なんでもいいけどさ、のん気にしてていいわけ?」
唐突に、斜め後ろから声が聞こえた。ゆずが振り返ると、キッズスペースにいるみかんが、玩具の銃をいじりながら、半目をこちらへ向けている。
のん気に首を傾げるゆずを見て、みかんは大袈裟なため息を吐いた。
「ボクには関係ないけどさ、もう二週間経ってるでしょ。マザーにキメラの夢鼠を狩ってこいって言われてから」
ゆずは目を丸くして、バッと首を回して前を向く。
「えっ、そんなに経ってる……?」
特訓に明け暮れていたせいで、時間感覚がなくなっていたなんて。
肩に乗る青葉がこくりと首を動かす。隣にいるすだちもうなずき、その背後で立ち上がったらいむも微笑みながら首を縦に振り、はっさくも無言で首肯する。
「えぇーーーっ!? もう二週間しかないーっ!?」
タイムリミットが残り半分だということに、ゆずは今さら気がついた。
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