21
*****
「何もいないね」
「何も?」
僕とシャール、それにイゼー殿下と王城の騎士団一個小隊は、魔王の谷へやってきていた。
僕がアンナたちの居場所を掴んでから、既に五日経っている。
流石に子供二人と第二王子殿下だけが馬で早駆けするわけにいかなかったので、人を集めたりあちこちに話をつけたりした結果、五日もかかってしまったのだ。
しかし、谷にはアンナたちの気配どころか、魔物の気配すらなかった。
「魔物もいないのか」
シャールに重ねて問われて、僕は頷いた。
「妙だな……。場所は、合ってるよなぁ」
シャールが首をひねる。
魔王の谷は、谷というより亀裂だ。覗き込んでみると、深いだけでなく、壁面が真っ黒になっている。黒土でもこんなに黒くないし、黒曜石でもない。触るのはやめておいた。
「もう一度追跡魔術を試してみようか」
「頼む」
僕は預かっていた布切れを魔術倉庫から取り出した。
この布の血は、どうやらアンナのものらしい。
「痕跡よ、翼を持て、主の元へ飛び立て」
詠唱すると、魔力が体から少しずつ抜けていく。
追跡魔術使うと、僕の脳裏には大地を上空から見ているような視点が浮かび上がる。
前回はかなり上空まで行ったのだが、今回は僕たちの少し上、騎士さんの中で一番背の高い人に肩車してもらったらこのくらいだな、程度までしか上がらなかった。
ということは、アンナは近くにいるのか?
でも気配は……。
「ぐわあっ!」
「ぎゃっ!」
魔術の行使を取りやめて悲鳴の方を見ると、空に人が浮いていた。
金色中の金色、まさに神々しいような色の髪に、澄んだ空色の瞳。
白い肌に白い簡素なローブを纏っているだけなのに、跪きたくなるような威厳。
そんなことより、悲鳴は一体誰が、どうして!?
浮いている人の足元に、騎士の装備をした人が何人か転がっている。
全員、年齢は二十代から四十代の、鍛え上げられた身体を持った人ばかりだった。
転がっているのは、大きすぎる鎧の重さに耐えきれなかったような、年老いた人たちにしか見えない。
しかし、顔は若いときの面影を残している。
これは、老化ではなく、干からびたのだ。
水分ではなく、魔力や生命力というものを吸い取られて。
「繕い、綴じて、原風景を見せよ!」
倒れているうちの一人に治癒魔術を掛ける。いつもより魔力を多めに使ったが、騎士さんは元の姿に戻って目を覚ました。
「あっ、わ、私は……」
「なんとなんと、この子供も良い魔力を持っているではないか」
騎士さんの復活にホッとしたのもつかの間、顔を上げると先程の神々しい人が目と鼻の先にいた。
「うわっ! ローツェ様、失礼しますっ!」
騎士さんが僕を抱き上げて、全速力で逃げ出した。が、数秒持たなかった。
僕は騎士さんの腕から放り出され、地面に転がると同時に受け身を取って起き上がると、騎士さんは再び干からびて倒れていた。
あたりを見回すと、シャールは他の騎士さんがいち早く馬に乗せて逃してくれたようで、少し離れた場所にいる。
無事な騎士さんは各々武器をとり、神々しい人を警戒している。
「さあ、君も私の糧になる栄誉を与えよう」
君「も」?
糧になる栄誉?
こいつは一体、何を言っているんだ。
僕の頭上に、そいつの手のひらが迫ってきていた。
慌てて後ろに飛びぬき、得意の結界魔術を張る。
「小癪な。むん!」
結界が一枚割れてしまった。念の為に、五重にしておいてよかった。
「君は一体、何者なのかね」
「お前こそ一体何なんだ」
問いに問いで返すと、そいつは綺麗な唇を笑みの形に歪めた。
「私は魔物の神、魔神だ」
魔神が片手を挙げると、警戒していた騎士さん達がうめき声を上げながらバタバタと倒れていった。
皆、干からびている。
「やめろっ!」
「ただの人間の魔力では、足りない。やはり君がいい」
「巫山戯るなっ!! 繕い、綴じて、原風景を」
「ふふ、魔術の行使に詠唱を必要とするか。だがそれでは遅い」
少し離れた場所で、僕の親友の気配が極限まで薄まった。
こいつ、シャールの魔力も奪いやがった。
「やめろって、言ってるだろおぉぉお!!」
普段は無意識で制御できていた魔力が、身体から一気にあふれ出る。
その瞬間、脳裏に閃いた。
極限まで高まった魔力は、世界を滅ぼせる力だ。
魔神は、これを欲しがっているのだ。
そんなことに、使わせてたまるか!
溢れ出た魔力をそのまま、破滅と消滅の力に変換する。
おそらく完全版の魔術大全にも載っていないだろう魔術は、無詠唱にも関わらず、僕の意のままに操ることができた。
子供の身体が、不相応な量の魔力に耐えきれず、皮膚が裂けて血が滲む。
この程度のこと、今は構っていられない。
早くしないと、皆が、シャールが死んでしまう。
「私に歯向かうか、愚かな……?」
魔術は制御できているが、余波だけで辺りの地面に亀裂が走り、地面が真っ黒になっていく。
そうか、この黒さは、魔術と魔神の影響か。
魔神は以前にも誰かの手によって、ここへ封じられたのだ。
「ぐうぅううう! こ、これしき……!!」
魔神が必死になって抵抗してくる。
僕は僕で、リミッターを外したことによる反動と戦っていた。
これ以上、あと少し本気を出したら、本当に世界を滅ぼしかねない。
魔神を倒し、皆を治療できる分だけの魔力さえあればいい。
「ローツェ!」
魔神に消滅魔術を当てる傍ら、最優先で治療したシャールが、遠くから駆け寄ってくるのが見えた。
「危険だ、近づくな!」
僕が叫んでも、シャールは僕のすぐ近くへやってきてしまった。
「この魔力、ローツェがくれたんだろう? 俺にも手伝える」
魔神に向かって伸ばしていた手に、シャールの手が重なる。
その瞬間、僕の中で荒れ狂っていた魔力の流れが、すっと真っ直ぐになった。
これなら、いける!
「僕に本気を出させかけたことを後悔しろ、魔神!」
魔神は断末魔ごと、僕の消滅魔術によってかき消えた。
魔神が消えたあたりの空間から、人間が二人、ぽとりぽとりと落ちてきた。
からからに干からびているが、アンナとアウェル殿下だ。
魔神は力を奪うだけで、命は奪わなかった。この二人も同様だったようで、まだ生きている。
「俺が治療するよ。ローツェは休んでろ」
「でも」
「ローツェ様、こちらへ。貴方は疲弊しているはずです」
騎士さん達に半ば強引に馬車へ案内され、座席に座らせられると、僕の前の腰掛けには温かいお茶や食料が並べられた。
肩と膝には毛布まで掛けさせられる。
魔力が枯渇した人に対する処置そのものだ。
だけど、僕の魔力はまだ十分に残っている。
なにせ元が五十万もあって、日々の訓練で最大値は更に増えているはずだ。
裂けた皮膚も自力で治療してある。
そう言っても納得してもらえなさそうな雰囲気だったので、僕は素直に甘えることにした。
お茶で温まり、食料で胃を満たすと、眠気が襲ってきた。
疲れていた、らしい。
*****
ローツェを馬車のひとつに案内し、世話をしていた騎士の一人が俺の元へやってきた。
「お眠りになられました」
「わかった。速やかに帰ろう」
ローツェは食事を摂ると、眠ってしまった。
魔神とやらを倒し、極限まで削られていた全員を治療したのだ。ローツェの魔力は枯渇していないだろうが、身体に負担が掛かっているのは一目瞭然だった。
俺は宣言通りアンナとアウェル殿下を治療し、それでもまだ気を失っている二人を馬車へ適当に転がして、帰路についた。
到着したのは王城ではなく、俺の実家であるガッシャー公爵邸だ。
こちらのほうが魔王の谷から近いし、俺にはアンナとアウェル殿下を捕縛、尋問する権限がある。
ローツェは客室へ寝かせて侍女をつけ、アンナと殿下は縛り上げた上で、普段使うことのない離れへ放り込んだ。
待つこと一時間。まずアンナが目を覚ました。
「……ぅえっ? 私、生きてる? ここどこ……あっ、あんたは確か」
「自己紹介は省くぞ。時間の無駄だ。お前たちは何故あの谷にいたんだ?」
「何よこれ、どうして縛られてるの!? 解きなさいよ!」
相変わらず会話の成り立たない奴だ。
そうこうしているうちに、アウェル殿下も目を覚ました。しかしこちらは、様子がおかしい。
「ここ、どこぉ……? おじちゃんたち、こわいぃ……ふぐっ、ぐすっ……。ふえぇ……母上ぇ……」
何を聞いても、ローツェが起きれば読心魔術で全てバレるぞと言い聞かせても、この調子だ。精神的に余程の衝撃を受け、幼児退行してしまっている。記憶も曖昧な様子だ。
子供の相手は同じ子供か母親だろうということで、騎士数名をつけた上で俺の母上に対応してもらった。
「とても怖い目にあった、母上に会いたい、他には何も知らない。こればっかりねぇ」
アウェル殿下と三十分ほど話をした母上がほとほと困り果てた顔で報告してくださった。
「え、ローツェ君も読心魔術が使えるの? ふん、それならローツェ君の考えもこちらに筒抜けになるわよ」
再びアンナの尋問に戻ると、アンナは奇妙なことを口にした。
「何の話だ?」
「読心魔術の話でしょう? あれは、お互いの心の中が見えちゃうのが欠点で……」
「ローツェはそんなこと一言も。お前の魔術が不完全なんじゃないのか」
僕がせせら笑ってやると、アンナは顔を真赤にした。
「そんなはず……だ、だったらやってみなさいよっ」
「ローツェが起きたら嫌でもやってやるよ」
やはり会話にならないので、アンナは拘束したまま地下室に放置した。魔力はもう無いらしいが、念の為に魔力封じの枷も忘れない。
それにしても、ローツェが先に魔力を暴発させてくれて助かった。
俺の魔力は公称二千、魔力測定器を使っても同じだが、実際は二千万ある。普段は身体の奥底の、魔神でも吸い取れない場所に隠してある。
俺の表面上の魔力を持っていかれたときは焦ったが、いざとなったら隠し持つ魔力を解き放つつもりだった。
しかしそれには代償が伴う。
魔王の谷を作ってしまったのは俺だ。
幼い頃、自分の魔力を制御できず周囲を傷つけてしまい、家に籠もって己の力を怖がっていた俺を、父上がここへ連れてきてくれた。
このあたりには魔物しかおらず、ここなら何をしても大丈夫だ。だから、我慢しなくていい。
そう言われて、俺は生まれて初めて、自分の魔力を全て解き放った。
結果として巨大な亀裂が出来上がり、奥底に溜まった魔力で魔物を引き寄せてしまった。
それからは定期的に、誰にも内緒で、一人で来ては魔物を間引くのが俺の仕事になった。
奥底の魔物が強大化していたから、そろそろ本格的になんとかしなくてはと思っていたところだった。
貴族学院ではじめてローツェを見た時に、俺と同類だと思った。
体の奥底に、魔力を隠し持っている。
測定では五十万だったらしいが、今は俺と同等程度の魔力を持っているだろう。
俺もローツェも、お互いに、本気を出さなくてよかった。
俺たちが揃って本気を出していたら、この世界くらい、簡単に終わってしまうだろう。
ローツェは親友としても申し分ないし、魔力のことを抜きにしても、親友で良かったと心から思っている。
そろそろローツェにも、本当の俺のことを話そう。
ローツェなら、受け入れてくれるだろう。
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