大罪人と波乱の日々③
『ガキ以下が学院の生徒でガキがスュラン家の跡取り娘。ガキ以下が学院の生徒でガキがスュランの跡取り娘。ガキ以下が、』
部屋に戻ってから、サイモンはずっとこんな調子だった。学院の質の低下はともかく、スュラン家の跡取り娘がアデールのような女子であることには、相当な衝撃を受けたらしい。わからないではない。ノエルもまた、サイモンや他の生徒同様、半年前、アデールと出会ったときには大変にショックを受けたものだ。
スュラン。魔術師を志すもので、その家名を知らぬものはいない。偉大なるものクリティアスに師事し仕えた七人の魔術師、その一人を起源に持つ魔術の大家。つまり、原初なる魔術師の血脈に連なる家であり、もっとも古い魔術師家系の一つということになる。功績は当然のごとく華々しいものであり、魔術の視点から歴史を読めば、何度もその姓を冠した人物が出てくる。
『スュランがガキ。スュランがガキ。スュランがガキ』
「いや、誰でも最初はガキだと思いますけど」
『もっと聡明なガキであって欲しかった……!!」
魂の叫びである。
「あれで魔術に関してはとびきりですよ」
『……九歳で一人前だものな』
「もらったのは七歳の誕生日と言ってましたよ彼女」
名家であり、名門でもあるスュラン家だから、生半可な修養では一人前とは認められない。スュラン家から師弟名を与えられた人物が凡俗では、スュランの名に瑕がつくからだ。それが家督を継ぐ人物であっても、その厳格な線引きは守られているはずだ。――時折、アデールの言葉の端からは、苛烈ともいえるスュランの在り方が感じられる。
『実は四百年のあいだにスュラン家が没落してるとかないか?』
「ありませんよ。むしろ戦争や疫病や教会とのいざこざで血縁的に断絶した七家が出て、家格が上がってるくらいです。知ってます? クリティアスの弟子たちの血を引いてるのって、今じゃスュラン、グラーフ、ノヴァクの三家だけなんですよ」
『げに恐ろしきは時間の流れか。クロウリー家も滅んだろうな』
「さすがに悪い意味で歴史に残る人物を輩出してしまいましたからねえ」
ご兄弟は、と訊くと、
『おらん』ためらうような間を挟んで、『妹はいたが』
「ではもしかしたら」
サイモンはきっぱりと否定した。
『いや、私が生きてるあいだに嫁いだ。貴族とはいえ当時でも片田舎が領地だったからな。下手すれば向こうも没落して滅んでいるかもしれんほどだ』
珍しくトーンを下げてサイモンは語る。ノエルにはその気持ちが少しだけ分かった。血のつながりの中でも、兄妹姉弟とは特別なものだ。親子ほどの必然性はないが、他人ほどの偶然性もない。もちろん、あえて言葉にしたりはしないが。
「しかしお腹が減りましたね」
だからノエルは話題を変えることで、サイモンの心に欽慕を示した。
『お腹が減りましたねと言われてもな』
「食堂に行ってもいいですかね」
人目のあるところへ足を運べば、サイモンの言葉に反応することはできなくなる。大罪人に気を遣うのも変な気がしたが、今日一日で、ノエルはその程度には彼に対する親近感が湧いていた。
『好きにしろ』
ぶっきらぼうな答えに微笑みつつ、ノエルは寝台から立ち上がる。さくっと食べてさくっと戻ろう。サイモンのこともあるが、アデールから聞いた噂が広まっているのであれば、長居は余計なトラブルの種になりかねない。
自室の扉を開けようとすると、がこん、と何かに阻まれた。
「あれ?」
ほとんど開かない。これでは扉の向こうの様子も分からない。
『どうした?』
「なんか」ごん。「重たいものが」ごんごん。「置いてあるみたいで」
知覚に関して、サイモンは完全にノエルの身体に依存している。幽霊ではないので、扉の向こうの様子を見てきてもらう、なんて芸当は頼んでも無理だ。
「悪戯かな」
ごんごんしていると、突然につっかえが取れた。一体何だったんだと覗き込んでみれば、そこにうずくまっていたのは巨躯である。
もはや説明不要であろう。リチャード・ラッセルであった。
『お、こいつは例の』
サイモンの声には、どこか面白がるような色がある。ノエルはそれを無視して、彼の前にしゃがみ込んだ。あの堂々たるラッセルが、人の部屋の前でつっかえ棒の真似事をするなど尋常の出来事ではない。病で倒れたか、アデールに恋慕しているなんて不名誉な噂に気でも狂ったか。
「ノエルよ」
沈痛な声音で名前を呼ばれ、ノエルはやはり尋常ではないと確信した。
「ノエルよ。俺が間違っていた」
「間違っていた?」
ひとまずは患者に合わせるノエルである。ラッセルが顔を上げた。
「ああ。俺が間違っていたのだ」
その、凛々しかった顔の、蒼白たること!
さながら飲まず食わずで国を越えてきたヴァンダル民である。今にも野垂れ死ぬ寸前といった塩梅で、よく見れば目は虚ろで、頬にも張りがなく、唇の動きも緩慢だ。思わずノエルは彼の身体を改まった。刺し傷でもないかと本気で懸念して。
「怪我は……ないみたいだね」
「おおおおおお、かたじけない」
「いやいやいや」
『本当に面白い奴しかいないな、この学院』
噂話のことも鑑みると、廊下で三問芝居を続けるのは得策ではないだろう。ノエルはそう考えて、ラッセルを自室に招き入れた。とろとろと歩くラッセルを見ながら、そういえばこの部屋に誰かを入れたのは初めてだったと、よくわからない感慨に浸る。備え置きの椅子に腰掛けさせて、自分は寝台の上に座った。
「それで、どうしたんです」
ラッセルはなおも意気消沈していたが、辛抱強く待つと、ぽつぽつと語り出した。
「俺は驕っていた」
「驕っていた?」
「ああ。己の強さを笠に着て、自分だけが正しいのだと思い込んでいた」
そうだろうかと思う。好き嫌いはともかく、ノエルの記憶するリチャード・ラッセルは公明正大な男だった。弱きを助け強きをくじく。論文の提出をせっつかれるのは鬱陶しかったが、それとて彼の方に非があったとは考え辛い。
「ノエルよ。それを気付かせてくれたのはおぬしだ」
「へ」
『あー気付かせちゃったかあ』
「おぬしに負け、俺は自らの身体がまだまだ足りていないことを知った。ならば、どうして心だけが足りていることがあろうか」
ラッセルが椅子を立ち、二、三歩進み出て、ノエルの前で跪く。向けられた瞳はどこか熱っぽい。本当に熱があるのかもしれなかった。
――これあれだ。サイモンにやられたのが精神的に効いたんだ。
魔術と違って、剣術は元より対人を想定したもの。だからその差は、優劣は明瞭に出る。特に帝国剣術は単純明快な勝つか負けるかの世界で育った術だ。今まで他者の追随を許してこなかったラッセルだからこそ、分かりやすい敗北が劇的に作用してしまったのだろう。価値観を全く転換させてしまうほどに。
「ノエルよ!」
どうすんのよこれ、とノエルは思う。
秀才の中の秀才、リチャード・ラッセルが自分に跪いているという状況は、正直なところ少し面白いし笑える。けれど、それ以上に心中を占めているのは申し訳なさである。なにせ、先の勝敗は全くのずるなのだ。いくらラッセルといえども、数々の修羅場をくぐり抜けてきたであろうサイモン・クロウリーには勝てなくて当然である。相手が悪過ぎる。
『鼻へし折られるとおかしくなっちゃう奴っているんだよな』
そんな他人事みたいに。
彼にだけ伝えてしまおうか。罪悪感からノエルは一瞬だけ思ったけれど、すぐに考えを打ち消した。身体を乗っ取る魔具。宿っているのは古の大罪人サイモン・クロウリー。公になれば退学沙汰になってもおかしくはない。今の落ち込み具合は酷いだけ、真実を知ったラッセルの行動も読めない。
結局、言葉は適当に流した上で、例の剣術について――全く身に覚えがなかったけれど――後日教えるという確約でもって、その日はお引き取り願った。
「まずいことになったなあ」
『そうか?』
「そうですよ。さっきも言ったでしょう。僕って落ちこぼれなんです。そして彼は優等生。こんな風になったら、誰だっておかしいと思います」
絶対に揺らぐことはないと思われていた不等号の逆転。それを怪しまない学院生はいないだろう。その上で、今は叩けばいくらでも埃が出る身、否、半分は埃でできた身だ。
慎重に生活を送らねばならない。
あと半年で卒業なのだから。
その先の当てもないのに、ノエルは強く、強くそう思うのだった。
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