大罪人と波乱の日々②

 大罪を犯す前は名の知れた魔術師だった。

 もしかしたら、その言葉に嘘偽りはなかったのかもしれない。

 今、ノエルの前には、規定量を満たした論文の束がある。疲れた顔をした生徒がぽつぽつと増え始めたところからして、時刻は七時過ぎ。つまり、作業を始めて半日経たずして、これを書き終えてしまったということになる。出来もまずまず。少なくとも、今までに書いてきたものよりは格段に実があると思える完成度。

「す、すごい」

 図書館の一角、読書や文筆作業を進めるスペースで、ノエルはその圧倒的な力量に打ち震えていた。これが魔術師。これがサイモン・クロウリー。周りの人間が怯えたように去っていく。最近あいつおかしいのよ、気にしたらこっちまで狂うわよ。

『いや、感動しているところ悪いんだが、書き物程度で見直されても困るし、どちらかといえば学院生の課題の難しさに少し驚いてるくらいだし、それにしてもお前ってここで一体どんな扱いを受けてるんだ?』

 ノエルは選別して答えた。

「いえ、僕が間違っていました。偉大なる魔術師様を詐欺師呼ばわりするなどと」

『詐欺働いてたのは事実だから。んで、お前ってここでどういう扱い、』

「サイモンさん! 実践魔術で分からない点があるのですが!」

『私は家庭教師か。あと教えを受けたかったら質問に答えてくれ』

 正直なところ、自らの学院生活とその周辺について語ることは、まさしく恥部をひけらかすことに変わりなく、みみっちいプライドしか備えていないノエルとしても、大変に抵抗のある行為だったのだけれど、思っていたより早く終わってしまい手持無沙汰になっていたのが一つ、実践魔術の期中試験を思えば背に腹は代えられないのが二つ、と重なれば、みみっちいプライドは醜態をおっぴろげることを肯定した。

『世も末だな』

 なんか嫌な奴に拾われちゃったなあという嘆きを無視して、

「ちなみに現代では一次革命期こそが暗黒期という人もいます」

『私の時代か。まあ暗黒の権化たる私であるから否定はできんな』

 流石は大罪人と言うべきか、いくらなじっても、サイモンの言葉から罪の意識や弱気が感じられることはない。堂々たる言葉は、過度期を駆け抜けた魔術師の、気高い自尊心だけに塗り固められている。

「そういえば門前払い喰らったって言ってましたけど、サイモンさんはどこで学んだんですか?」

『学院に門前払いされたのは魔術師として認められてからだ。今はどうだか知らんが、当時はまともに魔術を学ぼうと思ったら師を見つける以外ないと言われていてな。知り合いの伝手を使って、弟子入りしたのが、確か十四の頃だった』

「師弟制ってやつですか」

『らしいな』

 高名な魔術師に弟子入りして、その下で生活を送りながら魔術修養を行う。ガートルード学院から始まった学院制との違いは、少数であることと、師が一人であること、そして一人前と認められるか否かが師匠のさじ加減であることだろう。深く師の教えを受けられる反面、どうしても学院制と比べると範囲は狭くなるし、そもそもの門が狭いのが難点だ。大陸中に学院ができた今、こういった形態で教育を施されるのは、古き魔術師の系譜に連なる家の子息息女のみである。

『とはいえ、私の経歴が歴史に残っていないということは、師か、そうでなくても一門から絶縁されたのだろうから、師弟関係も解消されたようなものだが』

 いっそ清々しささえ感じる口調で、サイモンは半生を俯瞰する。

「では学院を訪れたのは」

『魔術師として更なる修養を求めてだな。元々の放浪癖もあって、学院と言わず大陸中を歩いた。西はガートルード学院、東はドレヴリャーネ聖教会まで。アネーリオ家、グラーフ家、スュラン家、ノヴァク家、恐れ知らずだった私は高名な魔術師のもとを訪ねては蹴り返される日々を送っていた』

「メンタルつええっすね」

『……逃避だと友人には言われたがな』

 そこで初めて、ノエルは彼の言葉に感情を見た。自嘲。それは道化の明るさであることをノエルは知っている。だからこそ、察知できたのかもしれない。

 この人は実際に過去を生きてきた人なのだ、と当たり前のことを今更になって実感する。そして、誰もがそうであるように、隠しておきたいが、共有することで和らげたい、そんな二律背反の悩みの中にいるのだと。

 触れることは躊躇われた。

「実際、当時としてはどのくらいの魔術師だったんですか、サイモンさんって」

『それなりよりは上、くらいだろうか。先に挙げた七家の魔術師などは、表舞台には出てこなかったからな。俗世と関わり合いを持っていた魔術師の中では、自惚れではないが最上位だったと自負しているぞ』

「今は七家の人も表舞台で活躍してますから、中々想像し辛いですね」

『そうなのか、本当に変われば変わるものだな。あの秘密主義たちがな』

「中には学院に通っている子もいるくらいですから」

 そんな風に話し込んでいると――傍から見ればぶつぶつ呟く生徒が一人いるだけだが――噂をすればなんとやら、一人の女子生徒が姿を見せて、ノエルの隣にぽんと座った。「探したのよ」

 アデールである。いつもの灰色の一枚布ではなく、鮮やかな朱の一枚布を巻いている。長さも学院生のそれより長い。見習いではない、一人前の魔術師のみに許された、正式な礼装である。彼女は時折、学院の内外で偉い人に会うことがあり、そういった際には学院生の制服ではなく、スュラン家御用達の羅紗屋に仕立ててもらった一枚布をまとうのだ。

 とはいえノエルからすれば半年で見慣れた光景で、サイモンと――つまりは首飾りと話し込んでいたところに人が現れた驚きばかりがあったのだけれど、彼は違ったようで、

『な、なんだ、この、ガキ、ガキだよな?』

 貫頭衣と一枚布というスタイルは、四百年と言わず、聖歴よりも歴史ある伝統的な魔術師の衣装だ。それを十にも見えない女の子がまとっていれば、そりゃ驚きもする。もっとも、察したところで、彼女の手前、サイモンに話し掛けるわけにはいかず、疑問符を連発する彼に内心で詫びを入れながら、

「今日は面倒ごとだったんだね」

「そう、面倒ごとだったの。って、そんなことはいいのよ、あんたを探しにきたの」

『面倒ごと?』

「またどうして」

 と、いきなりアデールが顔を近付けてきた。瞳、鼻、頬。口。それからぐるりと、三百六十度の角度からノエルの顔を検分する。「君、遠視だったっけ」

「違うわよ。あのね、面倒ごとを終えて講義に出たら」

「その恰好で?」

「そう」彼女は至極どうでもよさそうに流して、「なんかあんたのことが話題になってるのよ。ついに退学にでもなったのかしらと思って訊いてみたら、ラッセルと決闘をして勝ったって言うじゃない」

「ラッセルさんと決闘?」

 今でも決闘文化は残っているが、実際にお目にかかることはまずない。

 アデールも半信半疑といった様子だった。「やっぱり単なる噂?」

 決まってるじゃないか、言い掛けて、思い出す。

 もしかして。

『ラッセルって、あのやたらガタイのいい?』

 やはりそうか。挟まれたサイモンの声に、ノエルは噂の真相を知った。何があったかは知らないが、ノエルの姿をしたサイモン・クロウリーが彼を倒した、という部分までは真実なのだろう。真実が真実だけに、尾びれ胸びれも相応のものになってしまったようだ。

 しかし決闘て。このご時世に決闘って。

 アデールはノエルの表情を見て、「なんだ、やっぱり嘘なのね。よかった」

 どこかほっとした様子で胸を撫で下ろす彼女に、

「うん。噂だよ、根も葉もないかはともかく、決闘なんてしないさ」

 ますます表情を明るくして、「ならいいのよ」

『なんだ、心配してくれる奴がいるではないか』

 サイモンの言葉に、思わずノエルは涙ぐんだ。十も離れた女の子といえども、学院内に自らの身を案じてくれる人間がいるというだけでノエルには十分だった。ああ、アデール! 僕は今まで君のことを誤解していた! 

「だってね、みんなが言うのよ。ノエルとラッセルが決闘をしたのは、わたしをとり合ってのことだって」

「へ?」

『は?』

 もーいやね、とアーデルは嫌に老けた仕草で、

「ノエルはともかく、ラッセルとはほとんど話をしたこともないから、そんなことはないって言ったんだけどね。でもほら、ノエルの話し相手なんてわたしくらいじゃない? だから中々信じてもらえなくて」

 それはノエル・フォーチュンにはアデール以外に決闘に足るものがない、という意味だろうか。

「よかったー。そんなしょーもないことで決闘して怪我人が出るのも嫌だけど、そこまでしてもらったのに断るのも気が引けるじゃない? これで晩御飯がおいしく食べられるわ」

『振られとるぞお前』

「黙って」

「ん、今何か言った?」

 いいえなんでも、とノエルは恭しく首を振る。

「大体さ、わたしのことなんだと思ってるのって話よね。あんたたちみたいのとは違うのよって、流石に言いはしないけど。ただの魔術師見習いになんざ興味ないわよ。わたしが魔術的素養のない人と一緒になったら百年の損失よ」

 余程の憂いだったのだろう。アデールは口舌はいつになく回って、舞い上がっていたノエルの心の羽根もぎ取り、古の魔術師を大いに楽しませた。

「でも、だとしたらなんでラッセルはふさぎ込んでるのかしらね。あんたの様子を見てきて欲しいってお願いしたときはぴんぴんしてたんだけど」

 そこでアデールはぽんと手のひらを叩いて、

「そうだ。気分がいいからおすすめの本を紹介してあげるわ」

「はあ」

「ほら、この前の実践魔術、もうボロクソで泣きそうになってたでしょう。付きっ切りで教えてあげる時間はないけど、助けになる書籍なら紹介してあげられるから」

『お前こんな魔術師の真似事してるガキ以下なのか……泣けてくるな』

 こいつらは優しいのか厳しいのか、たぶんどちらでもないんだろうなとノエルは思う。

 それから、二、三、参考になる図書とやらをノエルの胸に押し付けると、アデールは上機嫌で去っていった。いつもながら周囲を全く顧みない、嵐のような来訪だった。

『いやあ流石は学院。面白い奴しかおらんなあ』

 くくくとサイモンが笑う。こちらもこちらで上機嫌である。しかし、ちんまりとした愛らしい少女のそれと、四百年前のおっさんのそれでは、受け手の感じ方に相違があるのも当然で、とどのつまり、ノエルは彼の笑い声に、とびっきりの反撃をくれてやらねば気が済まなかった。

「サイモンさんさあ、彼女のフルネームを教えてあげようか」

 不敵な笑み。ラッセルはそれに気付かぬまま、

『まあお前は彼女以外に話し相手がいないらしいからな。知っておいて損はあるまい。ふふふふふ』

 阿呆めが。

 よく聞こえるように、ノエルは少しだけ大きめの声で言った。

「マリー=アデール・スュランだよ」

 笑い声がぴたりと止まった。

『マリー=アデール……スュラン』

「そう。マリー=アデール・スュラン」

『スュラン』

「そう。スュラン。ちなみに出身はヴァンダル王国。あの恰好は魔術師の真似じゃなくて、歴とした礼装だよ。師弟名は朱頂蘭アマリリス

『……嘘だよな?』

 声が震え始めた。ノエルはしてやったりと笑みを浮かべる。意地汚い意地汚い、他者の威を借りる狐の笑みだ。構うものか。

『ま、待て待て待て。いや、でもここは学院……しかし、しかしだな』 

 ノエルはにっこりと笑って、勝利宣言にも等しい、彼女の出自をそらんじる。

「マリー=アデール・スュラン。九歳。大魔術師クリティアスの七人の弟子の一人、マルクス・スュランから始まったスュラン家の息女にして嫡子。つまり、大陸でもっとも純粋な魔術師の血が流れる、正統なる伝説の後継者だよ」

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