第一章/あるいは首飾りとの出会い

首飾りとの出会い①

 テンプラム帝国。

 大陸の西に位置するこの大国は、一般に魔術国家として知られている。多くの魔術師が国主導で研究を行い、後進を育て、その利益でもって成り立っている国――今も昔も海運国家なのにもかかわらず、そういう風に認知されている。

 この偏った認識は、今から三十年ほど前に起こった、第二次魔術革命によるところが大きいと言われている。第二次魔術革命、すなわち魔具の改良から始まった魔術の一般普及化の流れである。ヴァンダル王国内で進んでいた魔具の見直しの波及と、帝国内で流行っていた文芸復興運動による国外魔術師の王都来訪、二つの潮流から生じた革命は、瞬く間に進行して、魔術が隅々まで行き渡った、新しい世界を構築するに至った。さもありなん、と識者は言う。魔術国家というイメージは、人々の生活と行動様式を挿げ替えてしまうほどの、強過ぎた影響力がもたらした認知の歪みなのだ、と。

 もっとも、以来帝国は魔術研究に力を入れており、その点で魔術国家という俗称はあながち間違いでもない。事実、魔術帝国テンプラムの象徴ともいえる、王都アウローラの王立第一魔術学校は、女王陛下の庇護を受けて、拡充の一途を辿っている。王立第一魔術学校へ入れば一族安泰。昨今ではそんな声さえ聞こえてくるとかこないとか。まあ、狭い戸口に滑りこむための厳しい競争と、一部の魔術師たちの華やかな功績を考えれば、そう思う御仁がいてもおかしくはない。

 あれから四年近く、王立第一魔術学校――通称学院の末席で、灰色の未来を現実のものと認識するようになった今でも、ノエルは両親の抱いた幻想が見当違いのものだったとも、世間知らずな田舎者の軽薄な夢だったとも思わない。

 ただ、期待する相手を間違えただけ。

 送り込む相手を間違えてしまっただけ。

 言うならば王立第一魔術学校は帝国における魔術研究の急先鋒だ。集うのもそれに見合った若者ばかり。天才。秀才。そんなものは最低条件で、その上に個性という名の上積みがあって当然。そのことを誰も彼もが失念していただけ。それでも、はじめの一か月は入学を許された時の全能感を思い出して、自らも立派な魔術師見習い足らんとした。が、月日を追うごとに、未来の大魔術師ノエル・フォーチュンの塗装は剥げ落ちて、気が付けば、学院から叩き出されないように周囲の尻に喰らい付くのが精一杯の、落ちこぼれのノエル・フォーチュンだけが残されていた。

 天才の群れの中での暮らしは、はっきり言ってみじめだった。

 ノエル・フォーチュンでなければ。

 何度思ったか知れない。同輩に先を行かれ、後から入ってきた新入生に抜かれ、気付けば学院生活は四年目。教育課程の修了は平均で三年と言われていることを考えれば、立派に落ちこぼれだ。

 おまけにこの先どうしたものか全く決まらないから救えない。

 田舎には帰れない。帰郷すれば生活には困らないだろうし、自惚れるわけではないが、肩を落とされる反面喜ばれもするだろう。けれど、その選択肢だけは選びたくなかった。田舎――フォーチュン家だけには帰れない、帰ってはいけない。

 なれば、残る選択肢は三つ。研究課程に進むか、士官するか、あるいは事業でも起こしてみるか。

「どうしたものか」

 都市学の講義を右から左にやり過ごしたノエルは、思わず声に出して嘆息した。頬杖をついて、窓の外に広がる郊外の森を眺める。陽光が少しだけ憎たらしい。

「どうしようもないよなあ」

「どうしようもないのはあんたでしょ」

 真横に声。振り向けばすぐ隣には小さな女の子が腰掛けていた。机に。

「なに、ついにボケでも始まったの?」

 年の頃は十に届くか届かないか。短く切り揃えられた赤茶の髪と、あかぎれ一つない綺麗な手先は、良家の末妹といった風。けれど、身に纏う貫頭衣と灰色の一枚布トガは、紛れもなく学院生のそれで、難ならノエルより馴染んでいる。

 マリー゠アデール・スュラン。御年九歳。

 実のところ、振り返らずとも分かっていた。落ちこぼれノエルに声を掛けるような物好きはそう多くない。いわんや、女性のものとなれば。

「あんたって諦観以外の感情ないの? 諦めてばかりだと、良い魔術師にはなれないわよ?」

「……ご高説ありがとうございますアデール様」

 なけなしの勇気を振り絞って返す。しかし、彼女は嫌味と受け取らなかったのか、はたまた三下の嫌味など取るに足らないのか、ふふんと鼻を鳴らしただけ。

「先輩からのありがたいお言葉よ。大事になさい」

 完敗だった。

「やあね、そうやってすぐ沈む」

「別に僕じゃなくても沈むと思うけどね」

 朱頂蘭アマリリス。彼女が幼少のみぎりに贈られたという師弟名は、そのまま学院内での仇名にもなっている。元は彼女の髪色と魔術的才を、百合にも似た赤い大輪を咲かせる植物になぞらえたもの、なのだけれど、仇名として定着したのは花言葉が理由。

 誇り。自惚れ。

 歴代最年少の学院生にして、開学以来の天才。

 そんな彼女がこうして話し掛けてくるのは、つまりはそういうことだったりする。

「魔術師なんて我が強いくらいがちょうどいいんだから」

「それはまあ、そうなのかもしれないけどね」

「わたしに言わせれば、外聞なんて必要以上に気にしてたら才があっても凡才止まりよ。なんでそれが分からないのかしら」

 ふさいだ様子もなく、足をぶらぶらさせて言う。

 十も年下の子の言葉に、しかしノエルは反論できなかった。子供の戯言と思う一方で、マリー゠アデール・スュランの言葉には、言いようのない深みと真実味が感じられた。

 途端に先ほどまでのちゃちな反抗心が恥ずかしくなり、気が滅入った。

「うわ、また沈んだ」

「……ところでさ、君って教育課程終えたらどうするの?」

「わたし? そりゃあ研究課程に進むわよ。そのために来たんだから」

「どこ」

「フィリップス先生のとこ。一応話は付いてる」

「うそ」

「ほんと。先週くらいに決めて、直談判してきた」

 行動力の化け物だった。

「というか君、入って一年経ってないよね?」

「教育課程に何年もいられないわよ。そもそも研究課程に編入する気だったんだから。あーあ、なんで一年かけておさらないなんてしなきゃいけないのかしら」

 さあ、としか言いようがなかった。血の滲むような努力と、なけなしの財産を注ぎ込んで、おそらくは補欠すれすれで入学を許された身には、想像も付かない世界である。凹む。超凹む。もう凹を通り越して逆立ちしてしまいそうだ。

 ――しかしこんな子でも先々を考えて動いているのに、僕ときたら。

「あんたは?」

 春が終われば夏が来るように、その質問は順当にやってきた。だというのに答えを用意していないのが、ノエルがノエルたる理由である。

「あー僕ね」窓の外に視線を逃して、「僕ね」

「……もしかして、なんか悩んでると思ったらそれ?」

「恥ずかしながら」

「うわあ。ダメな大人の典型ね」

 いつも増して毒が強い。アマリリスはいつから毒花になったのだろう。

「あれ、でも貴族じゃなかった、あんた」

「一応はね。地方限定の中流階級くらいだけど」

「じゃあ継ぐだけじゃない。地方だったら魔術師ってまだ物珍しいでしょう」

「偏見……でもないか」

 魔術が一般普及したとはいえ、その会得には多大なる修養を必要とする。そんなことに金と時間を掛けられるのは中流階級以上だけで、ゆえに都市部への人口集中が進みつつある今、地方に魔術師は少ない。

「どうせ領地経営だけで喰ってける時代じゃなくなりつつあるんだし、新時代の地方貴族って感じでいいんじゃないの?」

「……いや、家には戻らないって決めてるんだ」

「可哀想に。勘当されちゃったのね」

「違うよ!?」

 彼女は目をぱちくりとさせて、

「そうなの? あまりに出来が悪いから勘当、って結構ありそうな線だと思ったんだけど」

「それ君の家だけだよ……」

 ため息を吐く。アデールとの会話はよく回る毒舌もそうだが、あまりにもかけ離れた価値観に驚かされるばかりだ。正直、ちょっと疲れもする。

「色々あってね」

 ふうんとアデール。興味なさげなのは助かるが釈然としない。そんなノエルの複雑な心中もどこ吹く風と、

「となると、軍属って柄じゃなさそうだし、新しいことを起こす度胸も人脈もなさそうだし、研究課程に進むしかないんじゃないの……って無理ね。今のあんたじゃ門前払いだわ。あー、悩みの種が分かったわ」

「ごめん、もう少し手心を」

 しかし、彼女の言う通り、それこそがノエルの悩みだった。道としては研究課程へ進むのが性に合ってそうではあるが、いかんせん、落ちこぼれを上にあげるほど学院は人材難ではない。むしろ有り余っているほどだ。

 ――やっぱり何か起こすのがいいのかな。

 昨今は事業を起こすことがある種の流行となっている。生活が一変したことにより生まれた新たな需要と無数の空隙。才気ある若い貴族のあいだには、事業勃興こそが新時代の貴族の在り方であると声高々に唱える者すらいる。

「ねえアデールってさ」

「興味ないわよ」

 はい。そうですよね。すみません。生まれてきてごめんなさい。

「まあそもそも元手もないんだけどね、ははは」

 誤魔化すように継いだ言葉は本音だった。恥の上塗りである。泣きたくなった。卒業試験まであと四か月、日に日に打たれ弱くなっている気がする。本格的にまずいかもしれない――次なる言葉を探す裏で、ノエルはそんなことを思う。

 気付けば、いつの間にかアデールはいなくなっていた。後から来た生徒たちはこちらを一瞥すると、気味悪げに距離を取って席を定めた。周囲を気にせずに生きる。そんな風に割り切れない彼は、半笑いのまま、逃げるように講義室をあとにする。 

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