第35話

次の瞬間、簪を手にしていた暁の手から電気が走るようにびりっと衝撃が全身を貫いた。まるで目の前で静電気火花が散るように青白い光が明滅し、咄嗟に瞼をぎゅっと閉じた。そして目を開けた時には暁の体は、衣服や手にしていた簪もろとも、彼らと同じサイズに縮んでいた。


自分の手足を改めながら、暁は興奮気味に尋ねた。


「す、すごい……。みなさんも魔法を使うんですね!」


「あんたらの使う魔法とはちょっと違うんだがね」


「服や靴も縮ませるなんて、すごいわ」


「裸じゃ困るだろうからな」


「なるほど……」


「さあ、この寮の伸び縮みする世界を教えてやろう。ついておいで」


 リーダーは掃除道具を手にすると、再び隊列を組んで歩き始めた。暁は彼らの最後尾につくと、並んで歩きだした。


「あの」


「なにかね」


「まだお名前を聞いていませんでした。私、アキラっていいます。アキラ・クオンジ」


 リーダーが暁を振り向いた。


「ジョン・スミスだ」


 ――あ、けっこう普通の名前なんだ――。暁は改めてよろしくと言うと、ジョン・スミスに続いて小人たちが順番に暁を振り向き名前を名乗った。トム・スミス、ボブ・スミス、ケン・スミス、ルイ・スミス、ジャン・スミス。


「みなさん親戚かご兄弟ですか」


「小人はみんなスミスなんだよ」


 暁の前を歩いていたジャンが笑いながら教えてくれた。


「スミスっていうのが小人の一族を意味するんだ。本当の名前は人間には明かさない決まりなのさ」


「どうして? なにか不都合なことがあるの?」


「名前を明かすことで自分たちの存在を明らかにしないようにしてるんだ。小人ってのは人間に捕まって人身売買されることがあるからね」


「そんなひどいこと……」


「高く売れるんだとさ。観賞用じゃないよ。使用人や使い魔として扱うんだ」


「それじゃあ、みなさんも?」


「いや、俺達は学長とビジネスとして契約している」


「ということは、会社組織ってことなのね」


「あんたはいちいち、なんだか魔女らしくないなあ」


 ジャンがふふっと笑ってまた前を向いた。廊下の端まで来ると、暁は階段が断崖絶壁のように見えて一瞬足がすくんだ。階段のステップ一段だけでもなかなかの高さがある。小さくなって見る寮内は異世界だ。螺旋階段の吹き抜けからぶら下がっている照明器具も太陽ほどに明るい。


「いいか、俺達が動きまわって寮内を掃除するんじゃないんだ」


「え?」


 ジョンが今度は全員を横一列に並ばせて、言った。


「廊下をすべて、ここへ集めるのさ」


「廊下を集める?」


「確かにこの寮は特殊な魔法で常に変化している。決まった場所など存在しない。寮自体が生き物みたいに動きまわっているんだと思えばいい」


「ということは……その生き物を全部呼び集めて一つにまとめるってこと……?」


「そう! 分かってるじゃないか!」


 ジョンは満足げに笑うと「さあ、準備はいいか?」と仲間たちを見渡した。


 小人たちは両腕をいっぱいに広げ、いっせいに呪文を唱え始めた。


「さあ来い、さあ来い、集まれ集まれ。整列整列、きれいに並べ……」


 広げた腕で空気をかき集めるように胸の前に引き寄せてはまた広げ、引き寄せてはまた広げる。


 それを見ていた暁は彼らの前の空間が蜃気楼のようにぐにゃりと歪むのが分かり、その歪み方がまるで分厚いレンズ越しの世界のようで一瞬頭がくらっとした。


 彼らの求めに応じて空間が歪む度にぬるい空気が押し出されてきて、暁の頬をなぶる。階段だったはずのところに蜃気楼のごとく廊下が浮かび、手を伸ばせは届くはずの壁がずんずん遠ざかっていく。


「よしよし、いいぞ、その調子。全体止まれ」


 ジョンがぴたりと動きを止めると共に、他の仲間たちも動きを止めた。そこには寮の廊下を集めて作った巨大な広間が出現していた。


「こうすればあとは一気に掃除するだけさ」


 ジャンは暁に向ってウインクをした。仲間たちも同じようにウインクをして、掃除道具を手に取る。


 しかし暁は慌てて「ま、待ってください」と今にも魔法を使いだしそうな彼らを制した。


「掃除をするのは魔法じゃなくて、自分の力じゃないと……」


「なんだって? どういう意味だ?」


「ええと、だから、魔法で掃除するのではなくあくまでも人力でないといけないということなので。だから、これはルール違反かも……」


「あんたって人は本当に馬鹿だな!」


 ジャンが呆れたように頭を振った。


「これは俺達がしたことだ。あんたの魔法じゃないさ。俺達が掃除する時は魔法でモップを走らせるけど、あんたがやるっていうなら、あんたのやり方でやればいい。頭を使いな、頭を! 自分の力ってのがどういう力なのかをな!」


 ――自分の力で――。暁は口の中で呟いた。式神や小鬼を使うのはルール違反になるだろう。ではどうすればこの巨大なスペースを掃除できるだろう。


「……機械や道具じゃなくて、私のスペックがあがれば、それは私の手であり私の力よね?」


 暁はぽつりと呟いた。そしてお団子に挿していた簪を引き抜くと、自分の足もとに向って一振りした。


 稲妻の姫神様の放電現象は光の速さだ。あの速さがあれば。即ち、早く走れるなら、手を動かせるなら、廊下の端から端まで一瞬で掃けるし、拭けるに違いない。


「よし、行くわよ」


 じっと見守っているスミスたちに暁はウインクしてみせた。モップを手にしてリレーのランナーのように踵を浮かせて走り出す態勢をとる。


「3、2、1……!」


 暁は自らカウントし、モップを床に滑らせながらこの巨大で、伸び縮みする廊下を一気に走り出した。


 スミス達がわあっと歓声をあげるのも束の間、彼らの前を走り去ったかと思うと次の瞬間にはもう往復してきて、暁の加速する足音と空気を切り裂くような一陣の風が吹き抜けた。スミス達はもう一度わあっと歓声をあげた。


 一往復だけで暁は息がきれ、汗が噴き出るのを感じていた。方法はともかく、自分の手でやってのけている。これが人間の力。はあはあと荒くなる呼吸の中、暁はほとんど目にも止まらない速さで廊下を駆け抜けた。


 このやり方がルール違反じゃないとは言い切れない。その不安は否定できなかった。が、暁はあくまでもこれが「自分の力」だと信じるより他なかった。


 今やスミス達は自分たちの掃除道具をふりまわし、バイクや車のレースを見るように周回する暁に声援を送っている。


 そうして廊下を端から端まで拭きあげた時には暁の脚はがくがくと震えるほど疲れきっていた。


 額の汗を拭いながら「運動不足だったから……」と言い訳のように呟いた。


 スミス達は手を叩き、笑い、言った。


「これから毎晩同じ時間に廊下や階段を集めてやろう」


「いいんですか?」


「あんたに課せられたペナルティの期間な」


「ご迷惑じゃないんでしょうか」


 暁は恐る恐る尋ねた。


「お仕事の邪魔じゃないですか?」


「なあに、廊下を集めた後はあんたが掃除してくれるんならこっちは楽できるってもんさ。それにな……」


「それに?」


「あんたは俺達を見つけることができた」


「え?」


 ジョン・スミスはハンチングを脱ぐとまた髪をくしゃくしゃとかきまわした。まいったとでも言うかのように、ほろ苦い微笑を浮かべて。


「他の学生たちが俺達の存在を知っていると思うか?」


「……」


「さっきも言っただろう。人が人を騙したり、利用したりする世の中だ。人間って言うのは恐ろしいものだ。考えてもみなよ。動物だって必要以上に狩りはしない。人間だけが必要もないのに多くを求める。だから俺達小人は姿を隠す。魔法を使ってな。それは小人だけに限ったことじゃない。あんたの知らない多くの人種……、妖精も魔法生物も人間から姿を隠してる。それなのにあんたは簡単に俺達を見つけてしまった」


「……普通に、見えたもんですから……」


「そうだよ。それがあんたの才能なんだ。凄まじい才能だよ。あんたには巨大な魔法の力が宿っている。俺達の防御魔法なんてあっさり見破ってしまうような、力が。それは本当なら俺達にとっては脅威なんだ。でもあんたは俺達に礼を尽くした。あんた自身は恐ろしい人間じゃないし、悪い奴でもない。いい人に思えるよ」


 暁はおもむろにジョンに向って右手を差し出した。ジョンがなにごとかと首を傾げた。


「私たち人間とあなたたちでは体の大きさが違う。たぶん、他にもたくさんの違いがあるんだと思います。私は学校で一人だけ日本人で、アジアの小さな島国から来て、髪の色も目の色もこの国の子たちとは違う。文化もルーツも違う。でも、誰だって、話せば分かりあえるし仲良くなることは可能だと思うんです。だって言葉は通じるんですから。それは私とあなた達も同じことだと思いませんか? とてもシンプルなことだと思うんですけど……私たち、友達になれませんか?」


 ジョンは暁の目の中をじっと覗き込むように見つめた。そしてハンチングをかぶり直すと、暁の差し出した手を握った。二人が握手を交わした途端、他のスミス達が歓声をあげながら飛んできて、二人の握りあう手にそれぞれの手を重ねようと体当たりしてきた。暁は四方からスミス達にぎゅうぎゅうに押される形で笑いながら、彼らと手を重ね合わせた。

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