第20話

 コロンバス寮に戻って来るとカレンは紙袋を階段の踏み板に置いて、手をかざし「あるじの扉へ」と唱えた。カレンの指に嵌められた指輪の石がぴかっと閃いたかと思うと、三つの紙袋は階段をすっ飛んで行った。


「みんなそうやって魔法を使うのね」


「あなたは使わない?」


「私は……」


 使ったことがない。どのようにして使うのかが分からない。


 黙りこむ暁にカレンは「コーヒーでも飲もうか」と二階の食堂へ誘った。


 そこでもカレンは戸棚に置かれたコーヒーは自由に飲んでもいいことを説明してくれ、ガスコンロに直火式のエスプレッソメーカーをかけてカップを用意した。


 暁は自分の戸惑いや不安を打ち明けるように、カレンに話し始めた。


「私の国には魔法というものは、ない。あるのは神に通じる力で、それは自分の利益の為に使うのではなくて、例えば雨の降らない時に降らせるとか、作物の実りを助けるとか、子供が生まれるのを助けるとかであって……」


「ああ、日本は自然信仰がある国だって聞いたことあるわ」


「それは宗教ともいえるし、古代から続く考え方や文化、風習ともいえるものだわ。神様は八百万といって数えきれないほどたくさんいるから。例えばトイレにも」


「トイレに神様が?」


 コンロの上でこぽこぽ音を立てコーヒーが湧くと、カレンはカップに注ぎ、テーブルへ向かい合う形で座ると「それで?」と興味深そうに先を促した。


「どんなところにも神様がいて人間を見守ってくれているという考え方。私の一族はその神々と通じることで、普通の人たちと神様の間をとりもっているの。だから階段をあがるのがしんどいからといって階段を動かすとか、荷物を吹っ飛ばして運ぶなんてことはしないの……そういう力の使い方は……」


「でも、それじゃあ、あなたはどうしてここへ来たの?」


「……それは……」


 香り高いコーヒーの匂いを嗅ぎながら、暁は少し口ごもった。


「それは……。私が一族の異端者で、神に通じる力ではなく魔道の力を持っているからで……」


 ようするに、追い出されたの。最後は微かな呟きでしか言えなかった。言えばその事実を再認識させられるようで。カレンが言うような名家のお嬢さんでもなく、才能のある学生でもないのだ、と。


 するとカレンはテーブルに身を乗り出すようにして、


「待って待って。魔道の力を持ってるってことは、魔法を使う力があるってことよ」


 と言った。


「使ったことがないから分からないだけで、使えないわけじゃない。使い方を覚えれば、簡単よ。科学は普通の人たちの生活を便利にしたけど、私たちにとって魔法はそれと同じものよ。あなたはそれを学びに来たんじゃないの?」


「科学と魔法が同じ……」


 暁は口の中でその言葉を繰り返した。魔法は妖しい力というだけではなく、便利なものだというのは思いもよらない発想だった。


 カレンはさらに言い募った。


「例えば、私はこの指輪を使うんだけど、魔法使いって魔法の杖とか持ってるでしょ。あれはなんの為か分かる?」


「呪術的な道具?」


「アンプとスピーカーと同じよ」


「アンプ?」


「プレーヤーをアンプに繋いでスピーカーから音を出すでしょ。それと同じで、例えば私達が持っている力を音源とするなら、杖や指輪はアンプなの。そこから増幅された力が大きな音、即ち魔法となって出現するってこと。それから、逆にアンテナの役割をすることもあって、大きな力を奮う時、杖は自分の力以外にも自然の力を集めることができるの。インプットとアウトプットってわけね」


「大きな魔法っていうのは例えばどんなこと?」


「魔女がカボチャを馬車に変えるとか、いばらで城を覆い尽くすとかする時って杖を持ってるでしょ。ああいうのが大きな魔法だと言えば分かるかしら」


「確かに大きな力がいりそう」


「そう。魔法はね、自分の力をどのように使い、どのような結果を求めるかなのよ……。魔法という名のテクノロジーよ。私がさっき教科書を運んだのは、あなたの部屋のドアのイメージと本の持ち主が誰かということと、最速で届ける力を頭の中で組み立てて、この指輪を媒体にして力を注ぎこんだのよ」


「その指輪見せてもらってもいい?」


 暁が頼むとカレンは快く頷いて、右手を差し出した。暁は自然な調子でその手を取り、中指に嵌められた指輪に見入った。


「アレキサンドライト。光源によって色を変える石よ。私のおばあちゃんが使っていたものを、貰ったの。あなたも素敵な指輪してるわね」


 赤と緑に色を変える石だというのは、何かの本で読んで知っていた。


 暁には石が何か語りかけてきているのが分かった。この石はカレンそのものを表わそうとしている。――なるほど……二つの色を持ちあわせ、光によって輝きを変えるというのはまさにカレンの姿だ――。


「あなたも自分に合った道具を見つけるといいわ。もちろんそれが魔法の杖だっていう人もけっこういる。なんでもいいのよ。ベネットはよりによって万年筆だしね」

「ああ、便利だからって」


 二人はおかしそうに笑い合った。


「魔法のことは心配しなくても大丈夫よ。学校が始まれば授業で一通りやることになる」


「私、ついていけるかな……」


 暁が呟くとカレンは指輪を嵌めた手で暁の頬を撫でた。


「大丈夫よ」


 大きな手だった。暁の片頬どころか顔半分が全部包まれてしまいそうな、大きな手。暁は無意識にその手に自分の手を重ねた。


「ありがとう」


 そう言った時だった。入口から学生が数人笑いさざめきながら入ってきて、コーヒーを飲んでいる暁とカレンを見るや驚いた顔をした。


「あら、カレン。もう戻って来たの? 夏の間ずっと実家に帰ってるんじゃなかったの?」


 赤毛のぽっちゃりした女の子がカレンに向かって話しかけた。


「田舎にいてもつまんないから、すぐ戻ってきたのよ」


「へーえ。でも、まあ、分かるわ。確かに田舎って保守的だから、いづらいわよね」


「……」


「カレン、家では男に戻るんでしょ?」


「……」


「使いわけなきゃいけないなんて、大変よね。ええと、その子は? 新しい彼氏? それともカノジョ? そこも使い分けるの?」


 女の子達が一斉に笑った。しかしそれは楽しげな笑いではなかった。醜い、意地悪な笑いで、暁はすぐに鳥肌が立つような嫌な気持ちになった。


 暁は女の子たちを見据えた。その卑しい表情を。本人達はもちろんそんなことは考えもしないだろう。けれど、他人を貶める時、その唇は毒が沈殿していくように醜さを蓄積していく。今は若さがそれをカバーしてくれるかもしれないけれど、暁は知っていた。年を取った時に、性格だとか性根だとかいうものは全部顔に現われてくるのだということを。それが今現在蓄積されつつある「意地悪」という名の毒なのだ。


 彼女達がカレンを貶めようとしているのは明らかだった。何か言い返してやらなくては。そう思った時だった。意地悪な女の子達の後ろからおまつの声がして「暁様、お戻りになったんですか? ドアの前に本が大量に……」と食堂を覗き込んでいた。


「おまつ」


 突差に暁は立ち上がった。


 女の子達がおまつを振り向くと、全員ぎょっとして言葉を失ってしまった。


 ――おお、さすが魔女の集団。彼女たちにも見えているのか――。暁が妙に感心していると、赤毛の女の子が叫んだ。


「使い魔は檻にいれる規則よ!」


 暁は急いで彼女に向って言った。


「おまつは使い魔ではありません。私の供です。いわば、女中です。檻にいれる必要はありません」


 と説明しようとした。それからカレンを振り向いた。


「カレン、紹介するわ。彼女はおまつ。私の身の回りの世話をする為に一緒に日本から来てくれたの。彼女も魔法に相当する術を使うのよ。おまつ、彼女はカレン。四年生だそうよ。教科書を買うのを助けてくれたの」


 おまつは主である暁に紹介されたので、慌ててカレンの前に進み出た。おまつの動きと共に赤毛の女の子の一団から悲鳴にも似た叫びが漏れる。


 おまつはカレンに向って深々と頭を下げ、言葉の通じるはずもないだろうに、


「暁様がお世話になりまして……。私めも外国は不慣れですのでご厄介をおかけするかと思いますが、どうぞよろしくお願い致します」


 と礼をした。


 そして独特の丸い目をくりくりさせながら、朗らかに述べた。


「素晴らしい術をお使いになるんですね。男性なのに、そんなにお綺麗に変化なさるなんて」


 カレンが暁に通訳するように視線で促すので、やむなくおまつの言葉を復唱すると女の子たちがどっと笑った。


 暁はおまつの素朴な言葉がこの場合カレンに対して失礼にあたるのではないかとはらはらし、何か言わねばと思ったが、焦るばかりでなんと言えばいいか分からず「えーとえーと……」と呟くだけだった。


 カレンは俯き、口元を軽く押さえて黙っていた。


 一瞬、泣くのかと思った。が、そうではなかった。カレンは次の瞬間のけぞるようにして大きな声で笑いだした


「いやあね!これは術じゃないわ。魔法で綺麗になってるわけじゃないのよ!」


 おまつは女の子たちの嘲笑にもカレンの反応にも驚き、おろおろしながら、


「何か変なことを申しましたでしょうか……?」


 と暁を省みた。


「あの、ごめんなさい。失礼なことを言ってしまって……」


 暁が詫びると、


「いいのよ、全然失礼じゃないわ」


 カレンは笑い過ぎて眼尻に滲んだ涙を指先ではらって、言った。


「失礼なのはあの子たちよ。だって、分かるでしょ。悪意があるもの。ねえ? ジャネット。嫌な女たち。私が傷つくのが嬉しくて仕方がないのね」


 女の子たちがざわついた。ジャネットと呼ばれた赤毛の女の子は特にむっとした顔でカレンを睨んでいた。


「あなたには悪意がない。だから純粋に私を綺麗だと言ってくれているのが分かる。それは心を読まなくても分かることだわ」


 と、おまつに微笑みかけると共に、暁にウインクをした。暁はカレンの言葉をおまつに伝え終わると、今度はカレンに向って言った。


「私たちはあなたを綺麗だと思う。ただそれだけ。なんで彼女たちがあなたを笑うのかまったく理解できない」


 ジャネットは今度は暁を睨みつけ、他の女の子たちも同調するように怒りの視線を暁にぶつけていた。そして「行こう」と踵を返し、揃って食堂を出て行った。「日本人なんかがよく入学できたわね。まあ、どうせ続きゃしないと思うけど」という捨て台詞を残して。


 日本人なんか。「なんか」とはなんだろう。暁はこんなに真っ向から差別的な発言を受けるとは思わなかったので驚いていた。自分が日本人なのは事実だから、怒ったところで仕方がない。それよりこたえたのは「どうせ続きゃしない」という言葉だった。


 カレンの手が優しく暁の肩に置かれた。


「アキラ、あんなの気にすることないわよ。アジア系に対する差別はあの子たちのコンプレックスの表れなのよ。アジア系の人たちってみんな繊細で頭がいいもの。嫉妬してるのよ」


 しかし暁はほろ苦い気持ちで、


「成積が悪くて退学なんてことにならないように、これから教科書を読むよ」


 と力なく笑った。


「なにか手伝えることがあったらいつでも言って」


「ありがとう。あなたはやっぱり優しくて、綺麗で素敵な人だわ」


 暁はおまつを従えて、食堂を後にした。


 階段を自力で上りながら、すでに波乱の予感のする学校生活というものに対して気持ちは落ち込むばかりで、落ち込む分だけ足取りは重くなった。


「暁様、どうしてあの人たちは日本人を嫌ってるんですか?」


「……さあ?」


「なに人だったらいいんですか」


「……さあ?」


 それは私が知りたい。おまつは不思議そうに首を傾げて暁の背中を見ていたが、暁は無言で階段を上り続けた。

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