第17話

 中は思ったよりも広く、奥行きがあった。玄関ホールには中世らしきドレスの貴婦人の肖像画が数点かけられ、緑の別珍のソファや飴色のライティングビューローが置いてあり、左手にはラウンジのような部屋が続いていて、ローテーブルが据えてあった。


 ホールに立って観察している暁に、ベネットはさっと手で指し示しながらあたかも観光案内のように説明を始めた。


「ここがナショナルウィザードの女子寮のひとつ、コロンバス寮です。隣りは男子寮になっています。学校までは歩いて十五分ぐらいでしょうか。アムステルダムアベニューをまっすぐ行けばすぐです。ここは玄関ホールで、そちらの部屋は談話室。夜十時まで利用可能です。こちらの扉は私の執務室。ご用があればいつでもどうぞ」


「はあ」


「では、こちらへ」


 ベネットに従って廊下を進んで玄関ホールを抜ける途中、暁は絵画の中の貴婦人の目がぎょろりと動いて暁とおまつを追っているのを感じ、ぱっと振り向いた。すると貴婦人はあからさまにさっと目を逸らし、絵画の中で手にした扇をぱたぱたと顔の前であおいでいた。


 なに、驚くまい。暁は思った。―――魔法学校の寮なんだ。絵の中の女が動いたところでなんの不思議がある? それより疑問なのは私を見る目。まるで珍しい動物を見るような好奇の視線だ。不躾ぶしつけな、意地悪な目。今にも嫌味を言いながら片頬で笑いそうな―――。


 そんなことには気づかないのか、それとも知っていて無視しているのかベネットは突き当たりの階段を二階まで来ると、


「食堂はこちら。朝食のパンとコーヒーは自由です。お昼はみんな学校のカフェテリアを利用していますね。夜は各自部屋のミニキッチンで自炊するのが普通です」


 食堂は薄いクリーム色の壁に、木製の長テーブルと同じく木製の丸椅子がずらずらと並べられている。暁は奥のキッチンにきれいに並べられた鍋やフライパンを興味深く眺めた。


「あなたの部屋は最上階です。学生たちはペントハウスと呼んでいますが……」


「ペントハウス?」


 暁は思わず頓狂とんきょうな声をあげた。


「まあ、仮にも最上階ですからね。それに、他の部屋に比べてやや広くなっていますから」


「ふうん……」


「普通、一年生はせまい部屋に二人で同居ですが、あなたは特別な生徒なので」


「……そういう扱いは誰に命じられてそうなっているの?」


「誰、と言いますと?」


「私の何が特別なのか分からないんだけど……」


「それはあなた自身がご存知ないということで?」


「そう」


「天才です」


 ベネットがいやにきっぱりと言った。


「はい?」


「東洋から来た天才的な魔女。名家の出身で、他に類を見ない生徒だからあなたは特別生として迎えられたのです」


 暁は何を言われているのか分からなかった。むしろベネットの言葉を全部否定したかった。天才って、なんだ? 名家ってなんだ? 私はまだ魔法のことなど何も知らないと言うのに。


「普通の生徒と同じでいいんですけど……」


 暁はそう呟いて螺旋階段を見上げた。――エレベーターなしのペントハウスか――。


 暁の考えていることが分かったのかベネットはこほんと咳ばらいをひとつすると、


「あなたの能力があれば、階段なんて問題ではないはずです」


「そんなこと言われても……」


「ではお手本をお見せしましょう」


 そう言うとベネットはスーツの胸に挿していた万年筆をすっと抜くと、よく磨かれた階段に向けて「我が足となり、我らを運べ。女王の部屋へ」と唱えて万年筆を振った。


 足もとが小さな地震のように一瞬ぐらりと揺れたかと思うと、階段がエスカレーターのようにするすると勝手に動き出して暁たちを階上へ滑らかに運び始めた。おまつは慌てて手すりを掴んだ。


「その万年筆は……」


 暁はベネットの手に握られている高価そうな万年筆に注視した。


「魔法を使う者がみんな魔法の杖を使うとお思いですか? 道具はなんでもいいのです。そうでなければ、杖がないと何もできないということになってしまう。杖に変わるものは何でも良いのです。自分の力を発揮できるものであるならば」


「どうして万年筆を?」


「ペンとして普段から使いますから」


「なるほど……」


 感心しているうちに階段は最上階まで来てぴたりと止まった。廊下の先に重厚なドアがあり、ドアノブは真鍮でぴかぴか光っていた。


「こちらがあなたの部屋です」


 ベネットは鍵を取り出し、ドアを開けた。暁は一歩足を踏み入れると思わず「わあ……」と声を漏らした。


 大きな窓がセントラルパークの方へ向いていて、光が眩しすぎるほどだった。暁は窓からビル群ではなく巨大な公園の緑がちらりと見えていることに、ここへ来て初めてほっとした。


 山育ちの暁にとって最先端の大都会は無味乾燥としていて、本当にこんなところでやっていけるのかと不安だったけれど、鮮やかな公園の森はただただ嬉しかった。


「あちらがベッドルーム。キッチンとダイニングはそちらに。ベッドルームとバスルームは繋がっていて、扉が二つあります」


 リビングに立ってベネットはすらすらと一通りの説明をすると、自分の手にしていた鍵を暁に渡した。


 家具は備え付けらしく、なんでも揃っている。暁は大きなソファとオットマンを見ながら、豪華なホテルの部屋みたいだと思った。なんでも揃っているけど、生活感がまるでない。


「鍵をなくさないようにしてください。あなたが鍵を手にした瞬間から、ここの錠はあなたにしか開けられません。鍵の魔法で、主のみに解錠できるようになっているのです」


「指紋認証みたいなものね」


「……」


「鍵はこれひとつだけ?」


「……スペアもお渡ししておきます」


 ベネットは暁が何を言うのか分かっていたのだろう。スペアの鍵をおまつに差し出した。


「あなたもなくさないように気を付けてください」


 おまつは神妙な顔で頷いて、ポケットに鍵をいれた。


「冷蔵庫に近所のスーパーなどの場所を書いた地図が貼ってあります。ご参考になれば。あと地下鉄の路線図も。新学期が始まる前に用意する教科書などのリストも貼ってありますから、よく見ておいてください。なにか質問は?」


「ええと……Wi-Fiはありますか」


「は?」


「……ネット、使えますよね……?」


 ベネットは耐えがたい衝撃を受けたかのように天井を仰いだ。


 なにかまずいことを言っただろうか……? 暁は恐る恐る「あのう……」と言いながらジーンズのポケットからスマートフォンを取り出し、


「これと、タブレットを使いたいんだけど……」


 とおずおずと差し出した。


 するとベネットは大きく溜息をつき、眉間に人差し指を当てて軽く頭を振った。


「ここではそういった製品を使うことは禁止されています」


「えっ」


「あなたがテクノロジーの国から来たのを失念しておりました」


「いや、これ、そもそもこの国の人が開発した……」


「確かに最近の学生たちもこっそり使っていますが」


「なんだ、よかった」


「なんだじゃありません」


 ベネットは叱るようにぴしゃっと撥ねつけた。


「ここは魔法を学ぶ学生の寮です。そのような科学の力を持ち込むことは許されません。校則でも寮則でも決められています」


「……」


「あなたはなにを学びに来たんですか」


「……魔法?」


 暁は上目づかいに答えた。


「科学ではなく、魔法をお使いになってください」


「……」


「ああ、でも、街で魔法を使うことは許されませんのでご注意ください」


「え!」


 流れるように話すベネットの矛盾する発言に暁は思わず大きな声を出した。しかしベネットは涼しい顔で続けた。


「魔法は世界的な観点から言うと秘された力です。即ち、魔法を使わない者たちの前で力を使うことは許されない。彼らに知られてもいけない。私の言ってる意味分かりますね?」


「……ようするに、学校や寮は魔法を使う場所だからいいけど、世間的には隠れた存在だから知られてはいけないってこと……?」


「ご理解いただけましたか」


 衝撃を受けるのは今度は暁の番だった。


 当たり前のように「魔法の学校」に来ることになったものだからそんなことは考えもしなかった。言われてみれば確かに魔法なんておおびらに使っていいわけがない。だいたい久遠寺家の神通力だって秘された力だった。


 とはいえ同時に、今までインターネットの恩恵に与り、電気と機械と科学と先端技術の世界で生きてきた。生まれた時からそういう便利なものが溢れる中で育ってきた。それを切り離せというのは酷というものではないだろうか。というか、そんな生活ができるのだろうか。


 呆然とする暁をよそにベネットは、


「それではなにかありましたらいつでもお訪ねください」


 と部屋から出て行こうとした。


「ああ、そうそう。キッチンの横の扉。あそこは女中部屋です。お供の方はそちらをお使いになるといいでしょう」


 ベネットはぽかんとしているおまつに向って一礼した。


「それでは失礼します」


「待ってください」


 暁は踵を返すベネットを呼び止めた。


「……おまつを檻にいれなくていいんですね」


「あなたが彼女は獣ではないと仰ったんですよ」


「……ありがとうございます。ミスターベネット」


 ベネットが出て行き扉が閉まり、二人は部屋に取り残されると、大きな息を吐いてその場にへなへなと座り込んでしまった。


「……聞いた? 魔法って人前で使っちゃいけないんだって……秘密なんだってさ……」


 なんだか疲れ果てて暁が言うと、おまつも疲れた声で返した。


「でもそれはお山でもそう言われてませんでした? 暁様の力、人に知られてはいけないって……」


「……そうだった……」


「そんなことよりおかしいと思いませんか?」


「なにが」


「この建物、外から見た時にこんなに高さがありましたか? どう見ても5階ぐらいにしか見えませんでしたけど……」


「……」


 言われてみれば確かにそうだった。外から見た寮は普通のタウンハウスだった。なのに中は見た目以上の広さがあり、セントラルパークが見えるなんておかしい。


「なにか、奇妙な空気を感じます。空間の歪みというか……」


 おまつは鼻先をひくひくうごめかせ、警戒するように部屋を見回している。


「これも魔法なんでしょうか」


「……たぶんね……」


 期待と失望。想像と幻滅。暁とおまつは怒涛のような一日に心底疲れて、今はもう立ち上がる気力さえ失われて溜息しか出なかった。新しい生活はそんな調子で始まろうとしていた。

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