第32話 このへんたい

 人間には効果がある手法が、妖怪には通じない。

 ケースバイケースの積み重ねでそうなったのかは知らないし、俺には杏の行動を止めることすらできない。


 だからアマリエの足を舐めようとしてる俺の前で、氷のハルバードとヴァンパイアの鋭い爪が交差している場面など、介入できるはずもなかった。


「そこ……どいて」

 静かな怒りを声のトーンに乗せて、杏は覚悟キマった目でヴェリスを見ている。


「残念だよ、フロイライン。まさかこんなにも直接的で、風情のない行いをするとはね。もう少し優雅に事を進められないのかい?」

 対するヴェリスは余裕綽々な態度を崩していない。だが内に秘めている闘志は、どうやっても溢れ出て来るものだ。


「お兄様、あまり強い躾はなさらないであげてくださいまし。下民が泣いてしまいますわ」

「そう思ってるなら止めてくれ。そもそも何で俺がアマリエの足を舐める必要がある。そこからじゃないのか?」


 消しゴム取ろうとしただけで、なぜこうなったし。

 妖怪ってのは自分が優位に立とうとする習性でも自然に備わってるんかね。

 机がへこみ、椅子がひしゃげているが、ノリちゃんをはじめ、クラスメイトは誰も気づいていない。


「いいですか下民。人間が跪いて異性の吸血鬼の足に舌を這わせるという行為は、専任の輸血者になるという意味を持ちます。私は下民が気に入りましたので」


「何もないところに旗ぶっ立ててくるのやめてくれませんか……。どこかにそんな要素あったんかいな」

「下民の血は特別なものとは聞き及んでなくて? 濃厚にして芳醇なる脈動に、私は目が釘付けになっていましたのよ」


 あー……純血がどうとかっていうアレか。

 マジで厄介だな。今まではアナーキーな妖怪を引きつけるだけの作用かとおもってたんだが、今回はガチで自販機ドリンクにしにきたよ。


「ミオ、だめ……!」

「させないよ、氷のお嬢さん。なぁに、我々は無粋ではないよ。アマリエは節度を弁えている淑女だからね。すぐに終わるから時間をくれたまえ」

「ふざけ……ないで」


 ミシリ、と背後で氷の軋む音が聞こえる。

 もう絵面がヤバそうで想像したくもないよ。


「下民、さあ」

「ぐお……体が勝手に!」


 ちゅっぱちゅっぱちゅっぱちゅっぱちゅっぱ。

 

 はい俺死んだ。

 氷室澪、渾身の足指クレンジング。

 もう爪先から指の股まで懇切丁寧に磨き上げたわ。


「うお、うおおおおっ。ぷはっ、っぺっぺ! む、微妙に薔薇の香りが……って、この野郎、何させやがる!」

「契約完了でございましてよ。これで下民—―ミオ様は私専属。末永くよろしくお願いしますわね」

 よろしくしねーよ! そんなデメリットだけの関係、受け入れるわけねえだろ!


「さあミオ様—―」

 キラリ、と八重歯と誤認していたものが光る。ああ、あれは間違いなく吸血鬼の牙だ。赤い瞳に魅せられながら、俺はこのまま輸血タンクになるのだろうか。


「あの、その、もしもよろしければ腕を……お出しくださいませ、いえ、くだいませんか?」

「クソ、こんな白昼堂々と首筋に牙を……ん、腕? え、腕でいいの」

「はい! 哀れな羊めにお情けを」


 なんか想像してたのと違う。

 吸血鬼ってのは傲岸不遜でプライドの塊。まあ一部は合ってると思うが、なんか頼む態度が弱々しい。吸血行為とかって、催眠かけて強引に行くのかと。


「ねえ二つだけ聞いていっすか」

「なんなりと、ミオ様」


 そんな赤ら顔で見られると困る。

 それ以前に、めっちゃ顔色悪い状態の人が急に赤みさしてくると、何かの症状ではないかと心配になる。


「噛まれると俺も吸血鬼になるの?」

「いいえ、私が血を吸い、私の血を飲めばあるいは成れるかもしれませんが……ねえ、お兄様、成功例ってありましたかしら?」


 うーんと顎に指をあて、アマリエは心底困った顔をしている。

「真祖様の代では成功した場合もあったみたいだけどね。どうだろうか、今では我々も力が少ないからねえ」


 涼し気に言葉を返してくるが、ヴェリスは絶賛鍔迫り合い中だ。

 杏の圧が尋常じゃない。多分一本目の足指をちゅぱった時から、アクセル全開になった模様だ。

 殺意の波動ってやつを直に感じる。


「じゃ、じゃあその二つ目だけど、どれくらい飲むのかな。大量にいかれると俺も一応人間だから、ミイラになっちゃうんだが」

「ほんのちょびっとで大丈夫ですわ。ミオ様が体調を崩すことはあり得ないと断言致します」


 そういうもんなのか。

 さりげなく腕をさすると、ありえない文字列が浮かんでいた。


『あまりえ♡専用だーりん』


 え、何この罰ゲーム。指でこすっても全然取れないぞ。

 正確には肘の裏あたりに、日本語で書かれている。こんな反社会的なタトゥーなんぞ、見つかった日には一気に学校中で噂になっちまう。


「あの……これ……」

「ふふ、恥ずかしいですわ」


 じゃあ書くな。マジで。

 どういうトリックで浮かび上がってるのかは謎だが、妖怪のなせる技だとすれば、俺には抗いようもない。


「あの、それでミオ様」

 ええい、ヤケだ。もう一リットルでも二リットルでも飲みやがれ。


「じゃあ、ちょっとだけ。どぞ」

「嬉しいですわ! それでは、はしたなくて申し訳ありませんが……」

 

 俺の腕を恭しくとったアマリエは、見事な金のドリルヘアーを揺らしながらそっと腕に口をつけた。


 プツンと感触があったのは一瞬で、そのあとは全く何も感じない。

 

 チミチミチミチミ。ハミハミハミハミ。ちょむちょむちょむちょむ。


 あ、これあれだ。子犬にミルクあげてるのと同じ感覚だ。

 氷室澪、渾身の母性の目覚め。

 

 人間の俺でも分かるが、多分この子は吸血がへたくそなのかもしれない。


「頑張れ、頑張るんだぞアマリエ!」

 見やれば杏とヴェリスは既に戦闘終了していた。なんか二人して孫の独り立ちを見ているような眼差しを向けてきている。


「杏さん、怒らないで聞いてくれ。俺はこれはセーフだと思うんだが」

「へんたい」

「いや、でもこれどう見ても授乳—―」

「えっち」


 ちょっとショックを受けた。

 思わずアマリエの頭をよしよししたくなる程度には、俺の包容力が沸き上がってしまっている。

 目をつぶって、一生懸命はみはみしてる姿は、おこげの子供のころを思い出させてくれたようだった。

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