第26話 デュラハン編②

 クラゲはいいな。こんなにも自由に、そしてたおやかに。

 俺も早く自由の身になって、おこげと一緒に河川敷にでも散歩へ行こう。芝生の上で寝っ転がるのは、さぞ心地よいだろうな。


「ごめんね、お待たせ!」

「おかえり、ことり」

「ねえ、今のもう一回! すごく自然なカップルっぽくなかった!?」


 いや、ねえよ。

 お前、暗黒空間のゲロ捨てに行っただけだろ。

 どういう理屈でそんな芸当できるのか知らんが、恋人っぽさは無い。


「なんだよー、つれないなー。まあいいや、今日はボクだけのミオだしね。むへへ、腕くんじゃおっと」

「おっと、そんなに腕を振るな。あぶねえっての」


 なんかこう、ことりを引きずって歩いてる。まるで幼子の手を引いているようだ。

「ねえミオ、こういうところのマグロとかって美味しいのかな」

「その発想はなかったな。いや、運動性が落ちてそうだしな。締まりがない分美味しくはないだろ」

「そかー。釣って帰りたかったんだけどなぁ」

「逮捕されるからやめろ。お前、ここは食事するところじゃないぞ。基本的なこと大丈夫か?」


 えっ、と真顔で見られた。

 嘘だろ、こいつ、食べる気まんまんで来たの?


「ことり、水族館の生き物は食べられない。ダメ、絶対」

「そんなの聞いてないよ、今日はミオといっしょに、お腹いっぱいお魚食べようって思ってたのに……」


 信じられますか。こいつVチューバーなんすよ。

 令和が生み出したモンスター、ことり。こいつにはまず、社会常識とか人間界の施設の理解が求められる。


「あ、ほら、アイスステージでペンギンショーをやるみたいだぞ。一緒に見に行こう。可愛いぞ、ペンギンさんは」

「はぁ……ショック。うん、行くよ……」


 めっちゃ落ち込んでる。妖怪ってのは三大欲求に忠実な生きざまをしてるのかもしれんね。ある意味羨ましいけどな。


「ほら、最前列だ。ことり、餌用の小魚買ってきたから、ペンギンさんにあげよう」

「それ食べられる?」

「デュラハンは禁止って書いてあったぞ。残念な話だな」

「そっか、それならしょうがないね……」


 なわけないんだが、まあ、何でもかんでも口に入れられるのは困る

 ガキんちょとかに、あーあのお姉ちゃん、お魚食べてるーとか言われたら、もう逃げるしかないしね。


 にぎやかで楽し気なミュージックがオン。ひょこひょことペンギンさんの列が俺たちの前に横並びをした。


『はーい、みんなー。今日のお客様にご挨拶しましょー! せーのっ!』


 ぺこんちょ。

 一斉にペンギンが頭を下げる。


 はい可愛い。

 もうお魚あげていいのかな。犬とは違った愛くるしさがある。ぽっこりお腹は浪漫が詰まっているんだろう。


「み、ミオ……この、これ、この子」

「日本語でいいぞ、落ち着け。ペンギンさん可愛いだろう」

「一緒に寝たい。一緒にお魚食べたい。一緒に泳ぎたい」

「水兎みたいな思考になってきてるぞ。だーめ、おさわりは禁止だ。ほら、みんな餌あげてるぞ。ことりもお魚をあげてみろ」


 おずおずとことりは、小魚を手にペンギンへと手を突き出す。

 ぱくんちょ。

 ごくりと飲み込んで、ことりにもう一度ぺこり。


「ほあ、ほあ、ほあああ」

「ナマは破壊力が違うな。こんなん無限に魚食わせたくなるな」


 その後のアイスショーの間も、ことりのくりっとした瞳には、星が輝いていた。

 ちょっと前のめりになりすぎて、時々首を直していたのが怖かったが、滞りなく演目を見終えることができた。


「ミオ、すっごく楽しかった! ボク、本当に今日は、なんていうか、その! 嬉しい!」

「ははは、俺も楽しかった。いや、テレビで見るよりもふっくらさが違うな。良い経験だった」


 軽く昼食のハンバーガーを食べ、俺たちは水槽を見て回る。

「ねえミオ、こっちにカニがいるよ!」

「おい、走るなって、ああ前、前」


 ドン、とことりが一組のカップルにぶつかってしまった。

「ご、ごめんなさい」


「大丈夫かね、お嬢さん。さあ、僕の手につかまって」

「かわいい子ね、ケガはない?」


「あ、ありがとうございます」

「すみません、気をつけて歩きます」


 俺は平謝りするしかなかった。どう考えてもこっちの過失だしな。

 幸いにして、二人組はとても寛容な精神の持ち主だったようだ。

「ふふ、素敵なカップルね」

「そうだね。僕たちも負けていられないな」


「そんなぁ、えへえへへ、嬉しいなぁ」

「本当にすみませんでした」


 日本語が達者で気づかなかったが、彼らは外国人のようだ。欧米系なんだろうか、二人とも透き通るような金髪で、青い瞳だ。


「じゃあ僕たちはこれで」

「じゃあね、Tschüssチュース!」


「ちゅーっす!」

「あ、はい、では」


 謎の挨拶を交わし、二人組の外国人は去って行った。

 ふう、大ごとにならんでよかった。ことりとおこげの放し飼いはよくない。きちんと手綱を握っておく必要があるな。


「ことり、手を出せ」

「え、お手?」

「違う、握ってないと危ないだろ」


 ことりがもじもじしてる。なんだ、今更。

 そういうことされると、俺まで気恥ずかしくなるんだからやめろ。

「ミオ、優しいね。そういうところ、好きだよ」

「うるせ。早くせい」


 ことりの手を引き、俺たちは海の神秘をこれでもかと楽しんだ。

 普段見たことのない、美しく奇怪な体の造りに、魅了され、圧倒された。

 宇宙よりも深海のほうが解明度が低いと言うが、まだまだ地球には謎が残されているね。



――

 帰りのバスは穏やかだった。

 それもそのはず、ことりははしゃいぎすぎて疲れ、すうすうと寝息を立てていた。

 夕日が差し込む中、俺も強い眠気を感じていた。

 

「あと40分ってとこか。ちと寝ても大丈夫だな」

 目を閉じる瞬間、強烈な視線を感じた。


「なんだ、誰だ!?」

 けど、バスの中には俺たちしかいない。視線もなにも、無機質なシートが並んでいるだけだった。


「疲れたのかな。連日妖怪どものお相手してるんだ、神経が昂ってるんだろうな」

 二度目に目を閉じたときは、何も感じなかった。

 気のせいと思い、俺はそのまま深く眠気の沼に沈んでいく。


――

「みーお、起きて!」

「う、ぬ……ああ、着いたか。おはよう、ことり」

「えへへへ、今日は楽しかったね。ほら行こ、運転手さん困ってるよ」

「そいつはいかん。どうも、お世話になりましたー」


 一声感謝を述べ、俺たちは見慣れた駅前に戻ってきた。

 時間は夜7:00。ちょいと小腹もすいた。


「ことり、何か食べてくか」

「うん! うへへへへ、ミオとディナー。じゅるり」

「茨城県の駅前に何を期待してるんだ。簡単なもので済ませてくれ」


 じゃあ、こっち! と腕を引かれて連れていかれたのは、昨日杏とお邪魔したイタリアンレストランだ。


「いや、ここはダメだ。マジで勘弁してくれ」

「えーっ! ボクのお腹はもうパスタなんだってば。いいから、入ろうよー」

「……くそ、しゃーないか」


 チリンチリンとドアベルを鳴らして、俺たちは店内へと進む。

「いらっしゃいま……せ」

「……ども」


 店員さんの笑顔が若干冷たい。

 そらそうよ。

 昨日音は別の女性連れてきてんだもん。


「では、こちらのお席で」

「……はい」

 席まで昨日と一緒だよ。頼む、誰にも見つかるな。もうこれ以上は俺の胃がもたない。


「ぴんぽんー! はーい、ボク注文ね! アラビアータと淡くときめく恋人のキャンディソーダ、おねがいしまーす!」

「ぶふっ!」


 ああ、見ないで。そんな目で俺をみないでくれ、店員さん。

 もう笑顔じゃなくて真顔になってるよ。これは不可抗力なんだ。


「ねね、ミオ、一緒にちゅーちゅーしようね! ふへへ、ボクこういうのしたかったんだよ! きっとボクが初めてだよね!」

 ボキン、と店員さんの鉛筆が折れた。

 このクソ野郎、純朴な子を騙しやがってって思ってるんだろうな。


 その後は針の筵での食事だった。

 外からは見られるわ、店員さんたちはひそひそ話してるわ。

 もう当分この周囲を歩くのはやめたほうがいいな。


「今日は楽しかったよ、また行こうね、ミオ!」

「ああ、またな!」


 ことりの口元をナプキンで拭いてやり、俺たちは店の外で解散になった。

 ことりの親が迎えに来ていて、彼女を乗せた後に俺はのんびりと鈍行電車で帰る。


 ふう、まだ折り返し……か。

 おかしいよな。ゴールデンウィークって、こんなに心臓に悪い日々だっただろうか。

 俺は早くおこげに会いたくて、地元の駅からはなぜか走って帰宅したのだった。


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