アオ、置いていかれる

「アオさん、その洗濯物、畳むの二度目ですよ」

「あっ、えっ、すみません……」


 手元には広げた洗濯物がある。自分の数秒前の行動を振り返ると、確かに、まだ畳んでいない洗濯物の山ではなく、畳み終えた方に手をのばしていた。完全に考え事に気を取られていて、その時には何もおかしく思わなかった。

 恥ずかしく思いながら、改めて洗濯物を畳み直し、今度こそ畳んでいない方の山から洗濯物を取る。


「謝ることはないですが……。このところ、ぼんやりしているように見えますね。寝不足ですか? それとも、体調が悪いのでしょうか。洗濯物は私が畳んでおきますから、ご無理なさらず、お休みください」

「いえ、そういう訳ではないので! すごい元気です。ご心配なく!」


 松田は障子紙に剥がし剤を塗っている。それも、アオがぼんやりとして障子にぶつかり、大きな穴を開けてしまったせいだった。

 ご心配なくとは言ったものの、松田が心配するのは当然だと、肩を落とす。

 近頃、頻繁にミスをしてしまう。

 正確に言えば、喜多野に告白されてから、である。

 まずは意識してほしかった。まだ友達でいい。告白への答えは、まだ先でいい。

 そう言われたので、表面上は今も以前と変わらぬ友人のままだ。学校でも変わらない態度で振る舞っている。だが、アオにしてみれば告白以前と以後で、全く心境が違った。寝ている時と椿の前にいる時以外、常に絶え間なく頭が働いて、喜多野への対応の仕方を考えている。

 お出かけに誘われた時点で、薄々、好意を持たれていることには気がついていた。告白されることも、どこかで覚悟していた。

 それでも、実際に好意を表明されると、この始末。

 また無意識に、畳んだ方の洗濯物を取ろうとしていることに気がついて、手を止めた。


「体調には、全く問題ないのですが……ご迷惑をおかけしております……」

「いえいえ。持ちつ持たれつですから」


 松田の言葉はありがたいが、このままでは、椿にまで迷惑をかけてしまう。

 早く対応を決めなければならない。だがそう思って決められるのであれば、とっくにそうしている。

 思索に沈んでいると、廊下から声が聞こえた。


「おーい。アオどこいるー?」

「は、はい! こちらにおります!」


 慌てて立ち上がった拍子に蹴ってしまい、畳んだ洗濯物の山を崩した。畳み直しだ。


「悪い、前に美鶴にもらったネクタイどこ?」


 言いながら椿が部屋に顔を出した。椿のところまで行こうとしていたアオは、その姿を見て固まった。


「……待ってください、何故スーツを」

「出かけるから」

「美鶴様のところへですか? そ、そんな予定は聞いておりませんが」

「言ってねえから。一昨日俺が連絡した。一人で行ってくる」

「何ですと。お車は」

「タクシー呼んである。それより、とりあえずネクタイ。つけてこねえと水ぶっかけるって言われたから」

「相変わらず過激な方ですね……。少々お待ちください、取って参ります」


 ネクタイを取りにいきながらも、アオは動揺で口を抑えた。

 動揺する点は二つある。

 まずは、時期でもないのに、椿が自ら美鶴と連絡を取って、会いに行くらしい点である。

 杏園美鶴は、真井椿の許嫁である。美鶴の祖父が営む大病院と、医療機器の製造から始まった晴田見グループとは、古くから親交が深く、その関係で約束が交わされたらしい。もっとも、その約束はほとんど形骸化しており、本人同士にも全くその気はないらしく、節目節目で会っては、婚約解消を発表する時期について相談している。

 一応仲は良いのだが、親戚のような距離感で、今まで椿が自分から会いに行くことはなかった。

 二つ目は、椿がアオを置いていくことだ。無論、椿の用事に必ずアオがついていける訳ではないが、少なくとも美鶴と会う時には、必ず椿はアオを随伴させた。

 椿の衣装部屋に着き、美鶴にもらったネクタイの入った棚を開けつつぼやいた。


「何で出かけること、言ってくれないんですか……」

「大した用事じゃないから」

「ぎゃあ!」


 振り返ると椿が立っていた。目を細めて、ひっそりと笑っている。


「ぎゃあて。油断しすぎだろ」

「お待ちくださいと」

「場所知りたかったから。美鶴にもらった奴はそこに分けてんだな」

「はい……。美鶴様からの贈り物は全てここに」

「あいつ、大して俺に興味ねえくせに、許嫁っぽいことはしたがるんだよな。いっそ手袋とかマフラーとか、もらった物全部つけてくか」


 背後から肩の上を手が過ぎて、マフラーをつかんだ。垂れ下がった端が首元をくすぐっていく。


「椿さんの訓練のつもりだと、以前仰っていましたよ。好きな方が……出来た時に、恥をかかないようにと」

「うわ、余計なお世話」


 マフラーを取り戻し、ネクタイを結ぼうとすると、手から奪われた。


「ありがと。邪魔したな」

「邪魔なんて」


 足音は忙しそうに遠ざかっていった。

 早く戻るべきと思うのだが、アオの足は動かなかった。衣装部屋に立ち尽くす。

 手を下ろすと、マフラーの端が床を滑った。


「ご不要、ですか」


 主人が必要としないのであれば、大人しく引き下がる。恩返しのためと、無理に出しゃばって役に立とうとしない。邪魔にならない範囲で、自分に出来ることをする。

 それが下僕として正しい在り方だと、アオは自分に言い聞かせてきた。


「いや、うん……。椿さんが決めたことだ」


 気を取り直し、マフラーを折り畳んで、棚に入れ直す。

 肩を落としつつ松田のところへ戻ろうとすると、玄関の方から「いってきます」と声が聞こえた。

 近くの窓を見ると、玄関から椿が出ていくのが見えた。咄嗟に窓を開けた。


「いってらっしゃいませ」


 振り返った椿は、アオを見上げると、軽く手を振った。

 脇戸から出ていき、その姿は見えなくなった。

 その日以降、美鶴と会う時に限らず、椿は時々アオに予定を隠して、一人で出ていくようになった。


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