アオ、外出する

 黃浦市は、高校と晴田見家のある六覚市から、電車で三十分程行ったところにある街だ。県内では二番目か三番目に栄えている場所で、休日に遊びに行くなら黃浦市というのは、六覚市に住むものの共通認識になっている。

 送迎しましょうかという松田の申し出を、ありがたくも丁重に断り、アオは電車を使って黃浦駅前に立った。

 待ち合わせの時間までには、四十分の猶予があった。電車の本数の少なさもあるが、それ以上に、普段の癖である。

 まだ喜多野の姿はなかった。

 改札前に立ち、喜多野を待つ。

 家でも散々確認したが、まだやはりどこか変な気がして、自分の服を見下ろした。

 主人である椿とともにいる時には、目立たないように着ることのない、明るい水色のワンピースだ。

 さて友達を出かける時、どういう服がいいのだろう、と改めてクローゼットを見直してみたところ、持っている服はどれも椿と一緒にいることが前提になっていて、色味のある服がほとんどなかったため、慌てて通販することになった。しかも結局かわいさに慣れず、上には黒いジャケットを羽織っている。

 改札から人が出て来る気配がして、顔を上げた。

 まだ三十分前だ。来ないだろうと思いながらも、喜多野の姿を探す。


「え、早!」


 知っている声が聞こえて、驚きながら声のした方を見た。

 見慣れた制服姿ではなく違和感を持つが、それは間違いなく待ち人だった。


「早いね、アオさん。ごめん待たせて」

「いえ。いつも椿さんといるので、早めの行動が癖になってしまっているだけですから。それに来たばかりです。喜多野くんも早いですね」

「そう、アオさん、早く来るイメージあったから。待たせないように早めに来たんだけど、これでもかぁ。さすが」


 話しながら、上から下までまじまじと喜多野を見てしまう。

 学校での喜多野は、あまり知らない話題に対しても積極的に興味を持とうとし、誰とでも分け隔てなく付き合う姿勢に好感の持てる、誰もが認める好青年だ。友達のグループの垣根も超えて、多くの友達がいる。アオが学校で一人にならず、昼食を一人で食べずに済んでいるのも、体育などのグループ分けの時に余らずに済んでいるのも、喜多野のおかげと言って良かった。

 どこで会おうが、その人物は変わらないはずだ。

 だが、見慣れない服装のせいか、違う人のように見えた。穏やかさよりも、大人っぽさを感じさせる。

 喜多野が歩き出したので、アオも足を踏み出した。歩幅は大きく違うはずだが、合わせてくれているようで、歩くのに苦労はない。

 話題を探し、目についたものに飛びついた。


「喜多野くん、私服、かっこいいですね」

「え」

「あ、いや、制服だとかっこ悪いという訳ではなく。いつも素敵ですが、学校とは大分印象が違うなぁと。失礼しました」

「そ……そう。失礼とは思わなかったよ。むしろ何か、ありがとう」


 椿は服選びを億劫がって、稀に服選びを仕事と称してアオにぶん投げてくる。普段着とは言え、主人に不相応な服を着せて恥をかかせる訳にはいかない。その度にアオは街中で見かける同年代の男子や、雑誌などを見て、高校生としてあまり逸脱しないラインの服を調べるのだが、いつもやたらと時間をかけてしまいがちだ。

 どこで買っているのか、食事時にでも聞いてみようと、心のメモに書き留める。

 すると、頭の片隅にいる架空の椿が、メモをかき消しながら「今日は俺のこと忘れろって言っただろ」とアオをにらんだ。


「アオさんも、か……。いいね。その服、似合ってると思う」


 架空の椿にはうなずき返して引っ込んでもらい、喜多野に向き直る。


「そうですか? 良かったです。友人と遊びに行く機会が今までになくて、慌てて買ったので、不安だったのですが」

「え、わざわざ?」

「わざわざと言うか……」


 否定しようとしたものの、実際、今日のために買った服だ。


「前々から、一着くらい、こういう服があるべきだとは思っていたので。良い機会になりました。ありがとうございます」

「一着でいいの?」


 咄嗟に返す言葉を思いつかず、無言になってしまった。今後もこういう機会があるのであれば、いつも同じ服はまずい。普段着である黒や茶色の服は、あまりにも華がなく、さすがに申し訳ない。


「そういうことなら、アオさんが良ければ、だけど。せっかく出てきたんだし、書店行った後で服屋も行かない? 息抜きがてら。俺も詳しい訳ではないけど、似合うか似合わないかくらいは言えると思うから」


 書店の入っているビルには、服屋も大量にある。アオは通り過ぎたことしかないが、単に必要がなかっただけで、椿と違って億劫とは思わない。


「そうですね。行ってみようかな」


 いよいよ進路とは関係がなくなりかけているが、アオはあまり考えないようにした。

 こういう異性とのお出かけを、一般的に何と言うのかも知っているが、その単語も思い浮かべないようにしている。


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