アオ、予感する

 教師は黒板の上にある時計を見た。


「じゃあ、これで委員会終わり。チャイムが鳴ったら戻っていいから、それまで教室にいてねー」


 教師が教室から出ていった途端、集まっていた委員は心持ちだらりと体勢を崩して、好きなことをし始めた。教師に預ける決まりになっているため、スマートフォンは手元にないはずだが、スマートフォンを出している生徒もいる。県内でも偏差値の高い高校であるが、それでも、決まりを破る人物は、一定数いるものだ。

 それらを見て見ぬふりをして、アオは机の上で腕を組み、背を丸める。


「アオさん。昼、ごめんな」


 だが、机に突っ伏す前に、同じ委員をしている喜多野が、また申し訳なさそうに話しかけてきた。あの一瞬のやり取りでは気が済まなかったらしい。


「あぁ、全然全然、気にしないでください。喜多野くんが悪いんじゃないですし、そもそも、気を悪くしてもいませんから!」

「でも、落ち込んでなかった?」


 気遣うような目を向けられた。無意識に泣きぼくろに目を惹きつけられながらも、アオは笑って軽く手を振った。


「あれは単に、進路のことで気が重くなっていただけです! 私も進路、決まってなくて……。考えるだけで息苦しいなぁ、なんて考えてただけですので」

「あぁ、分かる。考えなきゃなとは思うんだけど」


 永久就職などと言われたことよりも、進路についての話の方が気にかかる。姿勢を正して、アオは問いかけた。


「喜多野くんもお悩み組ですか?」

「うーん。俺も大してやりたいことなんかないし、たぶん、最終的には黃浦大に行くことになると思うんだけど……。色々話聞いたり調べたりしてると、本当にそれでいいのかって悩む、って感じ」

「ですねぇ。私も……」


 安易に同調しかけたが、直前になって迷いが出て、曖昧にごまかした。

 同じ進路の悩みには違いないが、自分の悩み方は、恐らくは喜多野とは性質が違う。

 何かを察したように、喜多野は微笑んだ。


「アオさんは、やっぱりここに留まる予定?」

「そう、ですね。……いえ、それも、実は悩んでいるんです」


 委員会の会場になった教室は、二年生の教室だった。

 主である「椿」とは、組からして違う。この机は全く関係のない誰かの机だ。だが、何となく面影をなぞるように、机を撫でてしまう。


「昼はちょっとごまかしてしまいましたが、椿さんとの関係を今後どうするかは、悩みの種で。とは言っても、まだあまり考えられてはいないし、椿さんと話せてもいないのですが……うん。中々、一生今のままという訳には、いかないでしょうしね」

「ちょっと、えーっと、特殊、だもんな」


 相当言葉を選んだ雰囲気に、申し訳なさを感じながらも、笑ってしまった。


「あはは。すみません、おかしな人間で」

「おかしいと言うか……いやごめん、あんまり否定できないけど」

「大丈夫ですよ。下僕を自称する人間は、現代では変であるべきです。椿さんにもずっと止めろと言われていますし」

「止めろって言われてんの?」

「はい。忠臣と言うには未熟ですし、とは言え他に納得のいく立ち位置も見つからないので、今のところ聞く気はありませんが」


 しいて言えば家族だが、それは、椿とアオという二人についての説明としては、やや複雑な事情を伴う。友達や幼なじみでは、アオの中にある椿への忠誠や恩義を説明できない。主と下僕という関係性が、アオにとっては最もしっくりと来る呼び方だ。


「でも、俺はいいと思う」


 下僕という自称に触れた時、良いと言われたのは初めてで、アオはまじまじと喜多野を見てしまった。


「その、ちょっと変なところが一番、アオさんらしくて。いいと思う」


 喜多野の頬は赤くなっていった。


「……語彙少ねぇ」

「何か……ありがとうございます? まあ何であれ、喜多野くんに褒めてもらえると、嬉しいです」


 喜多野とは縁があるようで、三年間、委員会やクラスでの活動などで、一緒になることが多かった。今も教室では隣合わせの席になっている。

 喜多野にとってのアオは、多くの友人の一人なのだろうが、アオにとっては、学校で最も仲が良いという人物と言っても、言い過ぎではなかった。その数少ない友人が、奇異な視線を向けられがちな自分の振る舞いに対して「らしくて良い」と言ってくれるのは、素直にありがたい。

 喜多野は曖昧に相槌を打った後、気を取り直したように、まっすぐにアオの目を見た。


「でも、だから、進路で迷ってるのは意外。そんなに椿さんのこと、大切に思ってるのに」


 答えようとすると、チャイムが鳴った。委員長が「解散」と言う前に、皆立ち上がって教室から出ていく。

 アオと喜多野も教室を出た。

 委員会終わりの生徒たちが、自分の教室に戻るために慌ただしく歩いている。この後は掃除をして帰るだけだ。

 見つけたとしても、学校では話しかけないようにと命じられているので無意味なのだが、癖で、椿の姿を探してしまう。

 だが、喜多野に軽く肩を叩かれた。

 何か言いたげな雰囲気だったが、中々口を開かない。首をかしげながら喜多野についていき、廊下の端で立ち止まったのに合わせて、アオも立ち止まる。

 段々と廊下の人混みは増していく。


「今度、休みの日に、一緒に黃浦の書店まで行かない? 進路選択の参考になる本とか、あると思うし」


 増えていく足音に紛らわせるような、低い声だった。

 アオが答える前に、喜多野は歩き出す。

 アオにとっての喜多野は、学校で最も仲の良い相手だ。

 ただし、休日に一緒に出かけたことはない。休日まで一緒にいたくないという話ではなく、アオの場合は単純に、考えたことがなかった。高校に入るまでは友達らしい友達がいなかったので、休日に一緒に出かけるという思考がなかったのである。

 そして、今、初めてその選択肢を提示された。

 すぐには、どう言っていいのか分からなかった。まず、自分にとっては大切な友人に違いないが、喜多野にもきちんと友人と思われていたことに安心した。ただ休日に遊びにいく程だろうかと思う。それ自体は嬉しい誘いだが、特に他意はなくとも、異性だ。問題とまでは言わないが、気を遣う。

 そこまで考え、そうか、とひらめいた。


「あぁ、みんなで、ですか。びっくりした、二人きりかと」

「いや、二人きりで、だけど」


 背を向けられていたので、喜多野の表情は見えなかった。


「「椿さん」との用事とかあれば、もちろん、断ってもらって大丈夫」


 自分たちの教室の出入り口をまたぐところで、そう言われた。

 何も答えられないまま、自分の席まで戻る。喜多野も隣に座った。

 スケジュール帳を見なくとも、椿の二週間程度の予定は頭に入っている。いくつか何の用事もない日があった。一応個人的な予定はあったが、あとに回しても特に困りはしない、ささいな用事だ。

 断る理由は特にない。

 それに困惑する。


「た、たぶん、大丈夫だと思うんですが、一応椿さんに確認してみてからでいいですか?」


 意味もなく筆箱を開け閉めしながら言った。


「無理だったら無理でいいから」

「大丈夫だと思いますが、念のため。今日の夜には連絡しますから」


 ぞろぞろと教室に人が戻って来て、掃除の準備を始めた。軽く返事をした後、喜多野は立ち上がって自身の清掃場所へ歩いていった。

 その耳が赤くなっていたのは、見なかったことにした。


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