第6話 御前様

「君さ、名前はなんて言うの?」


 公園のベンチで本を読んでいる時、彼女が話しかけてきた。


 とても晴れやかな顔をした少女。名前を告げると、その顔は太陽のように光り輝いた。


「⬛︎⬛︎。うん、いい名前!」


 うんうんと何度も頷いた後に、彼女は顔を近づけてくる。


「暇ならさ、一緒に遊ぼ。ブランコ押してくれる人探してたんだ」

「ほ、本……読んでるんだけど」

「本なら後でも読めるでしょ? ね、順番こでブランコ遊ぼ?」


 少し強引に、手を引かれる。読みかけの本に栞をして、彼女に連れていかれた。



 ――それから、彼女と遊ぶようになって仲良くなった。今思えば、もうこの時から俺は恋をしていたのかもしれない。


 ◆◆◆


「……ダメだ。何も分からない」


 家に帰って、俺は部屋に引き篭ってベッドに寝転がっていた。二人は家に帰り、何やら話をしているらしい。


 その間、俺も思考の整理をしようと思ったのだが。何も分からない。いや、何も分からないというのは正確に言えば違う。



「【GIFT】」


 確実にこれだろう。神様からの贈り物。その人が一番望んだ物が手に入るとか何とか言われていた。



「……という事は、俺が一番求めていたのが瑠伊だった?」


 いや、違う。そんなにこの世界は簡単じゃない。


 望んだ物、とは言ったが。望んだ事が手に入るために必要なものが手に入るに過ぎない。結果ではなく過程を楽にする為のものだ。


 例えば、風音。風音エンドを迎えたいのなら、そのために必要なものが手に入るのだ。【GIFT】を貰った瞬間風音エンドになる訳では無い。いや……


「しかし、そうなると……ああもう、分からん」


 別に流伊が来たからって流伊エンド……になる訳ではない? そもそも流伊エンドという概念があるのか謎だが。いや、もうこの世界はゲームじゃないんだ。


 余計混乱してきた。


 乱暴に頭を搔き、頭を振る。


「……どうすりゃ良いんだろうな」


 これからの方針とか、何もかもがぐっちゃぐちゃになった。

 もちろんまた彼女と……瑠伊と会えたのは嬉しいが。


「この世界はイージーモードじゃない」


 治安も悪い。親しくなるヒロインには何かしらの事件が起きていたり、これから起きたりする。


 覚えている限りまとめておくか? ……その方が良さそうだな


 そんな事を考えていた時だ。


 コン、コン


 扉が二度ノックされた。俺は起き上がり、ベッドに座った。


「誰だ?」

「私」


 短く紡がれたその言葉。しかし、その声。……そして、一人称から導き出される人物は一人しか居ない。


「入っていい?」

「……ああ」


 そして、入ってきたのは……


 ウェーブのかかった金髪を背中まで伸ばした美少女。


「やほ、一織」

「瑠伊……」

「なんて顔してんのさ。隣、座るよ」


 瑠伊が隣に座る。シトラス系の爽やかな香りに蜂蜜を一滴垂らした。そんな甘い匂いが鼻腔をくすぐった。


「色々、聞きたい事あるよね」

「ああ。山ほど」

「でもさ、私からも一つだけ聞かせて欲しいんだ」


 瑠伊がじっと。……風音と同じ、翠色の瞳を向けて。


「私、死んだんだよね?」


 そう、言った。


「……は?」


 俺の喉から間の抜けた声が漏れる。喉を絞るように、俺は続けて声を押し出した。


「覚えて、ないのか?」

「んー。実はね。病院に入院したって事はなんとなく覚えてるんだけど、そこから何も覚えてないんだ」


 その言葉に――




 俺は、ホッとしてしまった。



「そうだったのか」

「うん。……一応、こっち来る前に超常生物っぽい狐から説明受けたけどさ。死んだって言われても実感なくて」

「待て待て。超常生物っぽい狐って……まさか御前様か?」

「御前様?」

「……ああ、そうだった。悪い。これ公式の名称じゃなかったな」


【GIFT】の世界には神様的存在がいる。【GIFT】を贈るのが神様だから当たり前の事ではあるのだが。


 そんな神様だが、エンディングでチラッと出てくる時がある。神様っぽいとかいう理由と、場面が全て午前中なのもあって御前様とか御前とか呼ばれたりするのだ。


「その狐から何を言われた?」

「その前に私の質問に答えて。私、死んだの?」


 その返しにうっと喉が詰まった。


 ……一度、目を瞑り。ザワついた心を宥める。



 今、思い出しても。心に針を突き立てられたような痛みが走ったから。


「……ああ」


 俺の声は、震えていた。



「そうだ。――瑠伊は死んだ」



 声を震えさせるな。


 自分の手を強く握る。爪を立てる。


 そうしないと、溢れてしまいそうだったから。



「……そっか。私、ほんとに死んじゃってたんだ」


 ぽつりと、瑠伊は呟いて。



 次の瞬間、俺の顔が柔らかい物に包まれた。


「よーしよしよし。ごめんね、嫌な事思い出させて」

「ちょ、る、瑠伊。当たって……」

「ふふん? 一織、昔っからこれ好きだったもんね? よーしよし」


 顔に瑠伊の胸が当たり、後頭部を優しく撫でられる。


 恥ずかしくも……どこか懐かしさを感じてしまう。

 いや良いのか? これ。ダメ人間への一歩じゃないか?


 しかし、俺のそんな思いは――


「約束。守れなくてごめんね」


 その言葉に遮られた。


「でも、こうなったからにはいっぱい。いーっぱいご飯作ってあげるからね!」

「……ああ」


 俺は頷いて、一度離れてから。改めて聞き返す。


「結局、御前様から何を言われたんだ?」

「ん? あー、あれね。そんな多くないけど……私が死んだって事とか、この世界があるギャルゲーと世界が似てるって事とか。あと風音についてと……」


 瑠伊がニヤリと俺を見た。


「ここに一織が居るって事ぐらいかな」

「……どうして、分かったんだ。俺だって。聞いたのか?」


 俺は見た目が変わっている。本来なら流伊は気づけるはずがない。


 しかし、流伊は笑顔で首を振った。


「んーん。聞いてない。でも、分かるよ。幼馴染だからね」


 ニコリと笑い、瑠伊は俺の頭を撫でた。


「私が一織を……前世の名前は思い出せないから、一織で行くね。前世の一織を見間違える訳ないでしょ?」


 その顔はとても優しく、子を見る母のようにも見えた。


 そのまま流伊は話を続ける。


「ちなみに私はその御前様? に頼んで元の姿で来れたんだけどさ。ほんとは別の子? が現れる予定だったらしいよ?」

「……今サラッと凄いことを言わなかったか」

「にひひ。まあ、こんな感じかな。よく分かんないまま一織と風音の前に現れたのは一緒だし。なんなら前世の記憶も一織以外に関しては曖昧だし。てか、さっきも言ったけどさ。前世の一織の名前も私の名前も覚えてないからね」


 そのまま瑠伊の手が……俺の手に触れた。


「でも、そんな事はどうでもいいんだ。また会えたからね。それだけで私は幸せだよ。すっごく」

「……瑠伊」


 翠色の瞳と視線が絡んだ。


 ……瑠伊のものではなく。


「……か、風音?」

「じとー」


 扉の隙間から覗いていた、風音の瞳と。である。

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