第5話 変わり始める世界

〈1〉



 華々しいファンファーレが響き、暗いステージに一点のスポットライトが当たる。

 黒い髪を後ろで束ねたGパンに黒いタートルネックの女性がスライドのリモコンを持って立っている。

『はじめまして。UMS開発チームのエイミー・アッシュベリーです』

 ウロボロスエージェンシーのダミアン・ベジャールは若い企業家然とした女性を端末越しに見ている。

『私たちは一つの問いを発します。あなたは何に投資をしているのかと』

 ステージの上をエイミーがゆっくりと歩き、ライトがそれに追従する。

 派手な演出ではないが効果は抜群だ。

『お金の為にお金を投資する人、時間を投資する人、資格に投資をする人、趣味に投資をする人、様々な人が様々な理由で投資をしています』

 ステージ上のエイミーが笑みを浮かべる。

『今動画を御覧のあなた。今まさに私たちに時間を投資している事を自覚されていますか?』

 動画のグッドボタンが押され数字がうなぎ上りで伸びていく。

 ――オルソンよりこっちの方がいいよなぁ――

 オルソンは会議にすら顔を出せない。このようなプレゼンなどできようはずもない。

『誰もみな、生きているだけで投資をしている。何に対してでしょうか? 私たちはその答えを用意しています。それは未来です。あなたは今もこれまでも未来に投資しているのです』

 自信に満ち溢れたエイミーの言葉にダミアンは動画から目が話せない。

『そして私たちが用意した未来の一つの形。それがランナバウトです。私たちのチームは二年前にマイティロックを開発しました。全世界に普及したこの機体はランナバウト界に革命を起こしました。これほど多くのライダーに乗られ、愛された機体が他にあったでしょうか?』

 エイミーがスライドに様々にカスタムされたマイティロックの映像を表示させる。

『あれから二年。私たちは新たな試みを行ってきました。それは一人の為に作られたランナーです。そもそも競技用ランナーは一人一人にカスタムされて作られるものです。そういった意味では私たちはその原点に戻ったのだと言えるかも知れません』 

 スライドに一つのシルエットが浮かび上がる。

『ランナーは一人一人にカスタムされる。私たちは長らく固定観念に囚われてきました。ファイターはファイターらしく、アーマーはアーマーらしく。それも一つのありかたです。しかし、私たちは敢えてそれに挑戦したいと考えました』

 スライドに世界中の様々な民族衣装の人の姿が現れる。

『私らしく、自分らしくとは何でしょうか? その本当の答えは見つからないかもしれません。しかし、共にその自分探しの旅に出る事はできます。私たちはそのパートナーとして一つの未来の形を提示します。新型ドラグーン遮那王です』

 スライドに独特な形をしたドラグーンが姿を現す。

 アーマーのような上半身にコンパクトな人馬型の下半身。

『奇妙な形のランナーは見飽きたという人も多いでしょう? 投資をしたのに勝てない。ノーラ・ブレンディの作ったT―LEXは二回戦を勝ち抜けなかった。ドラゴンの蚩尤は旧式のファイター相手に惨敗した。分かります。未来を開こうとする時、その扉は常に重く開かない事は決して珍しくないからです』

 スライドの向こうでT―LEXと蚩尤が敗北する。

 と、四十年前の映像が表示される。ランナー界にプロレス旋風を巻き起こしたビッグホーンだ。

『この数十年、様々なブームが、常識が生まれては消えました。三大剣術流派の時代があり、私たちのマイティロックの時代があった。そして時代は巡ります』

 画面の向こうで遮那王がプロレス技で次々と他のランナーを葬っていく。

 その派手さと華麗さは最盛期のビッグホーンを超えている。  

『ランナバウトは見飽きた。ランナーへの投資は割に合わない。そんな皆さんの思いは否定しません。しかし、この遮那王はそんな皆さんにこそ見て欲しいランナーです。投資をした皆さんは両手に汗をかきながら遮那王の勝利と敗北に一喜一憂するでしょう。このランナーはそんなドラマを呼ぶランナー、新しいランナバウトの形を皆さんに提案するランナーなのです』

 エイミーの背後にver2.0の文字が現れる。

『バージョン2.0。新技術を搭載し、新たな技術で作られたこの遮那王こそ新たな世紀のランナー、新たな時代の主役であると私たちは宣言します。勝利ではなくドラマを、あなたの燻る情熱と忘れていた感動を不死鳥のように蘇らせる。それが新時代を担うランナー、遮那王なのです』

 画面が暗転してCumming Soonの文字が現れる。

 ダミアンは興奮を抑えられない。いつの間にウロボロスはこんなにすごい機体の開発に着手していたのだろう。

 ――マイティロックのメンバーが再集結するとこうも違うものなのか――

 遮那王には凄まじい数の問い合わせが、投資家が集まっている事だろう。

 これまで新ランナー開発は進んでいるのかどうかも怪しかったが、それはこの日の為に用意されていたと言っても過言では無かっただろう。

 ダミアンはウロボロスエージェンシーとしてファクトリーを遮那王を支援する事を決意する。

 UMSに新しい人材と新しい時代がやって来たのだ。



〈2〉



 フェーデアルカ貴人のカーニバルスタジアムのステージに成龍公司社長アルバート・王と並んでグルメロワーヌ代表フィリップ・デュノワ、右にメルカッツェ社長ディートリント・ヴァレンシュタイン、左にポセイドン社長レオンティーナ・ファビアーニ、その外にヒュンソグループ社長ソン・ジミン、ウロボロスエンターテイメント社長カン・へウォンが並ぶ。

 全員で横並びに握手をする六名に向かって凄まじいフラッシュの洪水が浴びせかけられる。

「私たちは地域を代表する企業の代表であり、それぞれカーニバルを盛り上げる有力チームのオーナーでもあります」

 座長となったフィリップ・デュノワが挨拶する。

 リッシモンが出て来て主役になったら軋轢もあっただろうが、グルメロワーヌが代表とはいえ裏方のフィリップを出して来た事で特に鞘当てのような事もない。

「ランナバウトは新時代を迎えました。昨日フライングがありましたが、そうです。ヒュンソグループのポラ、成龍公司の子龍を組み合わせた新技術2.0が正式に発足します。我々6チームはこの技術を搭載する最初のチームとなります」

 フィリップが抑揚をつけながら記者団に向かって言う。

「ご存じのようにVWCには量産機のマイティロック、新システムのiinp、そしてライダーとしてのバイオロイドがあります。従来のシステムでは有力チームであってもこれらの新技術に対応できません。我々はランナバウトをより盛り上げていくべく技術協力を行う事を宣言します。2.0という新たな時代のスタンダードで観客の皆さんにより素晴らしい体験を提供する事をお約束します」

 フィリップが言うと拍手とフラッシュが巻き起こる。

 昨晩の遮那王の発表より発言内容は地味だが、大企業の発表に必要なのは演出ではなく6社が協力するという事実だ。   

「……6チームが技術を共有する事でランナーの性能が平均化される事はありませんか?」

 質疑応答で記者からの質問が飛ぶ。

「2.0はコクピットのコア技術でフレーム及び金属繊維はそれぞれのマイスター、それぞれのファクトリーが作る事になります。それらはレギュレーションに準拠したものであり、そうである以上従来以上の差が開く事も、逆に急激に差が縮まる事もありません」

 ジミンが記者に答えて言う。

「ギャラクシーとドラゴンは自ら優位を捨ててしまう形ですが葛藤はありませんでしたか?」

「我が社とヒュンソが提携する事は考えもつかない事でした。このような枠組みがあればこそ技術の共有もできました。今後メルカッツェのノウハウやウロボロスのマイスターの協力があるのも信じたい所です」

 アルバート・王が笑いながら記者に答える。

「今回の提携の立役者としてアルセーヌ・リッシモン氏の名前が上がっていますが」

「私の役割は上手く彼の張りぼてを演じる事です」

 フィリップが言って笑いを取る。

 提携の発表式典と質疑応答が滞りなく進んでいく。

 へウォンは仕掛け人であるリッシモンが来なかった事を不満に感じる。

 彼が来れば独壇場になってしまう事も事実だがアルカディアについて彼と話をしておかなくてはならない。

 ――今回が良い機会になると思ったんだけど――

 リッシモンはこの会場にいないのであればロワーヌ天后で農業をしているか、世界のどこかを放浪しているかしているのだろう。

 この発表を岸が心地よく聞いているとも思えない。

 ――遠からず何らかのアクションは見せるはず――

 ただでさえ食料の輸出制限で事実上の経済制裁を受けている蘇利耶ヴァルハラがこのまま黙っているとも思えないのだった。



〈3〉



 百万人を収容できるヴァルハラのメインスタジアムでは無数の旗が振られている。 

 全ての視線を集めるその先には四人の男の姿がある。

「我々はどこから来てどこへ行こうというのか?」

 至尊の玉座についたリチャード・岸の言葉にスタジアムが静まり返る。

「VWCは世界に革命を起こして来た。新しいものの考え方に馴染めぬ者もいる。それでも我々は貨幣というものを通して普遍的な価値観を共有できるものと確信している」

 木戸は畏怖にも似た思いで岸の姿と言葉を注視している。

「世界には異なる考え方を持つ者がいる。それら民族が独自の通貨を持つ事は極めて自然な事であり、自らの自由を担保するものであった」

 岸が一旦言葉を切る。

「では通貨さえ持てば民族としての運命共同体として生きていけるのか? それは否だ。民族には自らの自治と法を持つ権利がある。世界は長らくフェーデアルカの法に縛られて来た。しかし我々は法主庁の奴隷ではない。愛や徳といった拡大解釈が可能な法ではない。金銭と同じく普遍的で誰にでも分かる法が必要なのだ」

 現在蘇利耶ヴァルハラ以外は自由主義経済圏であっても州法を持っているだけだし、それはフェーデアルカの法の精神に則ったもので、各地の法院の影響力から逃れられるものではない。

「我々はどこから来てどこへ行くのか? それは民族としてのアイデンティティ獲得へ向けての長い旅路である。アイデンティティとは独自の通貨と独自の法、独自の政治形態を持つ事だ。リベルタの古い因習に縛られる時代は終わる。我々蘇利耶ヴァルハラは今日より私リチャード・岸を国民統合の象徴とする立憲民主制に移行し、ヴァルハラ国へと名称を変更する」

 花火が上がり紙吹雪が舞う。大歓声と拍手とがスタジアムを埋めつくす。

 高らかに宣言した岸の下にはグロリー騰蛇のヘンリー・バーンズ、アルザス太裳のエドワード・マクドネル、ヨークスター太陰のエイブラハム・グッドフェローの姿がある。

「グロリー騰蛇の歴史は転換点を迎えた。グロリーは今日より私ヘンリー・バーンズを国王とする立憲君主制への移行を行いグロリー連合王国、UKGとなる」

 ヘンリーが言うとスタジアムが拍手と歓声に包まれる。

「アルザス太裳はヘンリー・バーンズを君主として頂く立憲君主制国家アルザスへと変わる。施政は内閣の長であるエドワード・マクドネルが首長として執行する」

 エドワード・マクドネルが歓声に包まれながら言う。

 アルザスは建前としては独立国家だが、UKGの強い影響から免れる事はできないだろう。

「元ヨークスター知事エイブラハム・グッドフェローだ。ヨークスターは構成する各自治体による連邦制を取り、大統領を首長として推戴する。ヨークスターは今日より民主国家ヨークスター連邦、USYとして生まれ変わる」

 エイブラハムが大歓声に手を振って答える。

「我々自由な価値観を共有する独立国家は自由国家連合『フリーダム』の発足を宣言する。手始めとして我々は独立国として国内で独自の法を振りかざすフェーデアルカの法院を内政干渉と見なし、全てのクロワに24時間以内の国内退去を要求する。退去しない場合生命の保証は行わない」

 歓声と拍手に岸が小さく頷いて答える。

「リベルタ諸州は自由だ、多用な価値観だと言いながら単一の法と通貨しか使用していない。これを欺瞞と言わずに何を欺瞞と言うのか? 我々金と法を奉じる一つの家族は祖国防衛の為、一致団結し、この闇の勢力と戦っていかなくてはならない」

 岸の言葉に観衆のボルテージが上がる。

 金は持てる者に最大限の自由を保証し、持たざる者の自由を徹底的に奪い去る。

 法は金による支配を覆そうとする者の手足を縛る鎖となる。

 つまるところ金も法も暴力の一形態に過ぎない。

 ――弱肉強食がヴァルハラの掟――

 それを強制する為に金と法と国家は存在し、木戸は法と国家の執行者の側の人間なのだ。



〈4〉



 観客20万人を収容できるバレンシア朱雀最大のエリッソ音楽ホール。

 ランナバウトのスタジアムよりは小さいが、演じる者のサイズが十分の一である事を考えれば十分すぎる広さだ。

 ステージからも観客席の端からも直接互いの姿を目視する事はできない。

 メイクを受けたイェジは女子控室でその時を待っている。

 迷宮少年デビューコンサートは規格外の8時間というプログラムが組まれた。

 迷宮少年男子グループと女子グループが交互に演じる形で最後に合同でのステージがある。

 男子グループが会場を熱狂の渦に巻き込み、30分空けて女子グループの出番となる。

 その間にファンの入れ替えも行われるのだからスタッフも一苦労だ。

「みんな気合入れて行くよ!」

 女子のリーダーのアヴリルが言うと残りの四人が右手を重ねる。

「迷宮少年ファイッ! オー!」

 声を合わせてステージへと向かう。

 途中でファビオたち男子グループとすれ違う。

 彼らは観客の熱気を浴びていつにも増して輝いて見える。

「俺たちの次の出番まで盛り上げといてくれよ!」

「冗談。私たちのステージが最高に決まってるでしょ」

 ファビオとアヴリルがハイタッチし、それぞれが行き違う。

 ステージの袖から見える観客席では観客たちがライトスティックを手にデビューソングを声を合わせて歌っている。

 ――すごい熱気だ―― 

 イェジは改めて20万人のファンの前に直接立つという事の重みを感じる。

 確かに龍山グランプリで80万人が入るメインスタジアムでランナバウトをしたが、あの時はコクピットの中にいたのだし、フィールドと観客席を隔てるバリアもあった。

 しかし、今回はそうではない。

「これでもチケット買えなかった子のが多いんだよね。パブリックビューイングのお客さんの為にもいいステージにしなきゃね」

 エリザベッタの言葉にイェジは頷く。

 ステージが暗転し、観客席が静まり返る。

 練習を重ねて来た舞台が始まる。

 暗く静まり返ったステージにダンサーたちが忍者のように静かに配置されていく。

 アヴリルをセンターに右手にジス、左手にオリガ、外側右にイェジ、左にエリザベッタのフォーメーションで並ぶ。

 ステージに作られていた壁がグリフォンの槍で破壊され、一斉にスモークとフラッシュが焚かれる。

 大音響が鳴り響きイェジはステージから観客席を見渡す。

 オリガのハイトーンボイスが舞台の幕開けを告げるように響く。

 イェジは大観衆の視線を受けながら全力で舞い、全力で歌声を紡ぐ。

 エキストラが、メンバーが、そしてイェジ自身が

 ――迷宮少年だ!――


 

〈5〉



 迷宮少年のデビューコンサートは最高だった。

 イェジは興奮も冷めやらぬまま宿舎の中を歩いている。

 クリスチャンからも今日ばかりは天衣星辰剣の修行を免除され、後は空腹を満たしてから寝るだけだ。

 キッチンに向かいかけてイェジは足を止める。

 キッチンに行ってももうオルソンはいない。

 落胆して部屋に戻りかけて胸の中にコンサートの熱気を思い出す。

 世界で最も注目を浴びるデビューを果たしたアイドルの一人が嫌味な女一人に怖気づいてどうすると言うのか。

 ――オルソンに会わなくちゃ――

 イェジはオルソンの部屋に足を向ける。ドアの前まで来た所で声が聞こえて来る。

「……遮那王のプレゼンは君の意志なのかい?」

「違う。僕は何も知らなかった」

 ロビンの声に答えてオルソンが言う。

「知らないで済まされる問題じゃないだろう? 僕は建前では純粋にプロレスに体験入門してる事なってる。ランナバウトの為ってプレスリリースするのはデビューする時になるはずだった。それは僕を受け入れてくれたサイクロンに対する礼儀でもある」

 ロビンは怒っているようだ。プロレス団体を成功させる前にロビンのランナバウトの練習でしかなかったとばらされてしまったのでは成功するものもしなくなるだろう。

「僕は本当に何も知らなかったんだ」

「それが問題だって言ってるんだ。そもそもあの女は誰なんだ?」

「大学時代の同窓生だよ」

「それがどうして遮那王のプレゼンをしてるんだ? ver2.0だってフライングだったんだろう?」

「だから僕は知らなかったって言ってるじゃないか」 

「そんな言い訳がこの先通用する訳ないだろう? 僕の立場がまずくなったのは確かだ。利己的な気持ちで怒っているのは認める。でもあのプレゼンはこれまで進められてきたプロジェクトに大きな方向転換を強いるものになったはずだ。そんな権限はマイスターの君にだってないはずだ」

 ロビンは相当に腹を立てているらしい。

「僕は遮那王を作っていたんだ」 

 オルソンの困ったような声が響いてくる。

「だからそれで済まされないって話をしているんだ。そもそも大学の同級生がどうしてウロボロスにいるんだ? それを社長は知っているのか?」

「個人的に部屋を貸して食事ができるようにしただけだよ」

「その居候のやっている事が個人的じゃないんだよ。どう収拾をつけるつもりなんだ」 

 イェジはドアを開けて部屋に入る。

「ロビン、オルソンに怒っても仕方ないって」

 部屋に飛び込んだイェジはロビンに向かって言う。

「役員会に出る事になれば僕以上の追及を受ける事になる。君の病気はそれに耐えられないだろう」

 ロビンがイェジを制して言う。

「君の代わりに彼女が役員会に出るのか? 確かに役員は彼女を歓迎するだろう。これまで進捗を説明できる人は誰もいなかったんだから。でも君はそれでいいのか? 彼女が役員会で勝手に方向性を変えたら君はその方向に沿ってランナーを作るのか? 君が作ろうとしているものはその程度のものなのか?」

「そんな訳ないだろう。僕は持てる力を注いで最高のランナーを作る。誰にも文句は言わせない」

 オルソンがロビンに向かって言う。

「文句を言わせなくても予算には限度がある。その交渉を彼女に任せていいのか」

 ロビンの言葉にオルソンが口を噤む。

「オルソン、このままじゃ駄目だよ」

 イェジが言うとオルソンが疲れたように頭を振る。

「分かってるよ。でも僕が人前に出られないのは事実なんだ。人にプレッシャーをかけられると苦しくなる。今だって精一杯なんだ」

 知り合いのロビン相手でも苦しいのなら知らない人ばかりの会議になど出られないだろう。

 ――でも出ないとエイミーが会議に出る事になる――

「分かった。オルソン。私が代わりに会議に出るよ。オルソンが言いたい事はちゃんと覚えていくから」

 イェジが言うとオルソンが驚いた表情を浮かべる。

「君に理解できるのかい?」

「オルソンには説明できるの?」

 イェジが言い返すとオルソンが困った表情を浮かべる。

「君たちで解決できるなら僕から言う事はない。この事態を収拾させられるのは君だけなんだから」

 ロビンが険しい表情のまま部屋を出ていくとオルソンが大きくため息をつく。

「君、どうやって僕の部屋に入ったんだい?」

「何でって……鍵がかかって……」

 イェジが言いかけると端末が振動した。

「ヴァンピールが自分の意志で開けたって言うのか?」

 驚いた様子でオルソンが言う。

「オルソンでも驚く事があるんだ」

「……まぁランナーのシステムは高度なテクノロジーで作られているし、僕はそっちの方向に詳しい訳じゃないけど。でもコクピットには倫理プログラムがあって、可能だとしても勝手に人の部屋に入る手伝いをする訳がないと思うんだけど……」

 オルソンがぶつぶつと呟く。

「ヴァンピールがオルソンに会えって言ったって事じゃない?」

 イェジは端末を振って言う。端末がビープ音で応じる。

「幾らランナーのシステムが高度だからってお節介が過ぎるよ」 

 言ったオルソンが溜息をつく。

「イェジ、会議に出てくれるかい。とにかく僕の意志でなかった事は証明しなきゃならない」 

 オルソンの言葉にイェジは頷く。

 ――オルソンだって傷つているはずなんだ――

 私がオルソンを助けてあげるんだ。



〈6〉



 バレンシア朱雀、ウロボロスエンターテイメント本社の会議室でへウォンは微妙な空気が流れているのを感じ取っていた。

 大きな議題は二つ存在する。

 一つは国を名乗った州でのビジネスは可能なのか?

 今後誰とどのように交渉していけばいいのか?

 もう一つは遮那王のフライングプレゼンをしたエイミーについてだ。

 このエイミーについては役員会で好意的な声が少なくない。

 オルソンは自分の口では人前では何一つ説明できないのだし、これまで開発がどうなっていたかについては全く知られていなかったのだ。

 ――でもその仕事をあのエイミーに任せるかどうかは別問題だわ――

 Ver2.0についてもフライングで公開してしまうような後先考えない人間なのだ。

 幸い翌日が2.0の発足式だったらからまだ被害は小さく抑えられたが、場合によってはウロボロスは大きな譲歩を迫られる可能性すらあったのだ。

「本日の議題についてはもう皆さんご意見をお持ちだと思います。第一の議題は自由主義経済圏がフリーダムという国家連合になった事で、ビジネスにどのように影響が現れるのかという事です」 

 へウォンが切り出すと役員たちの表情が帯電したように引き締まる。

「現段階では何とも言える状況にないのではないですか?」

 専務のマリアが言う。

「影響が出て来るとすればクロワを追い出したフリーダムがどのような法を運用するのかによるのではないですか? ヨークスター連邦は自国の利益の為にマールム・ディスニーを優遇する何らかの措置を取るでしょうし」

 副社長のアンドレイの言う事はへウォンも考えた事だ。

「その場合USYが我が社に何らかの条件をつけて来るでしょう? どのようなものが考えられますか?」

「知的財産権で訴えるなり高いハードルを課して来る事が想定されます」

 マーケティングのヴァネッリが言う。

「その場合の対抗措置は?」

 へウォンの言葉で会議室に沈黙が降りる。

「……リベルタ大陸が国になるしかないでしょう。国としてのリベルタ大陸に保護してもらわなくては。企業の力でどうにかなるものではありません」

 ヴァネッリの言葉は想定済みだ。

「近々自由主義経済圏包囲網の計画があった事は皆さんご存じだったと思います。この枠組みを利用してリベルタを国家にする他ありません」

 へウォンは提案する。

「マーケディングは各州に対するロビー活動を開始して下さい。相手が組織的に動いてくるのにこちらが企業レベルで動いていたのでは敗北は必至です。各部署は可能な限りフリーダムの情報を収拾し共有して下さい。これはウロボロスエンターテイメントの死活問題になります」

 へウォンは言ってミネラルウォーターで喉を潤す。

「次の議題です。一昨日遮那王の情報が勝手にマスコミに流されました。この事態をどう収拾するのかという問題です」

 一つ目の議題と比べれば遥かに想像しやすい問題だろう。

 ――だからこそ……――

「元々マイティロックを作ったチームだったんだろう。チームとして雇ったと考えればいいんじゃないのか」

 エージェンシーのダミアン・ベジャールが言う。

「それが本社の意向も確認せずに勝手に行動した事が問題なのです。そもそもエイミー・アッシュベリーと我が社は契約関係にはありません」

 ミュージックのローシェ・フランセンが言う。

「でもUMSの開発部門が何をしているのか全く非公開だったのは問題ではなかったかしら」

 ファッションのジュリエット・エスノーが言う。

「オルソンは他人とは上手くコミュニケーションが取れないんだ。俺となら多少は話せるが」

 バスチエが困った様子で言う。

「そもそもコミュニケーションの取れない人間を放置していた事に問題があった訳ですよね? 監督責任があるんじゃないですか?」

 ヴァネッリがバスチエに向かって言う。

「まぁ、エイミーがそれをやってくれるなら今後はそれでいいんじゃないか?」

 ダミアンが言う。

「エイミーがまた暴走しないと誰が保証できるんですか?」

 ピクチャーのシビル・バルビエが言う。

「本人だって必要な情報を持っていなかったんだ。仕方ない部分はあるだろう」

 ダミアンがエイミーを弁護して言う。

「随分とエイミーを買っているようですね」

 ジュリエットの言葉にダミアンが鼻を鳴らす。

「悪いが俺はオルソンの顔は証明写真でしか知らん。知らん人間にプロジェクトを任せるより顔の見える人間に任せるべきだろう」

「採用時の写真の他に写真は用意しますから……」

 バスチエが言うが全く解決策になっていない。

 問題の根底にあるのはコミュニケーション不足による不信感なのだ。

「あの動画で遮那王にどれだけスポンサーのオファーが来た? 俺は少なくともエイミーを支持するぞ」

 ダミアンがヴァネッリに顔を向けて言う。

「三百億ヘル強です」

 ヴァネッリが言うとダミアンが勝ち誇った表情を浮かべる。

「引きこもりのオルソンに任せていて三百億ヘルが出て来たのか? これまでオルソンは何をしてきたんだ?」

「しかし、設計したのはオルソンだろう」

 バスチエが言う。

「百聞は一見にしかずだ。エイミーをここに呼ぶ」

 ダミアンが端末を操作すると待機していたらしいエイミーが室内に入って来る。

「はじめまして。エイミー・アッシュベリーです」

「ダミアン、彼女を呼ぶ事を許可してはいませんよ」

 へウォンはダミアンに向かって言う。

「社長、会議とは誰かを排除するのではなく、もっと闊達な意見交換の場であるべきではないですか?」     

「それが我が社の人間であるならね。あなたと我が社の間には何の契約関係も存在しません」

 へウォンはエイミーに答えて言う。

「確かに仰る通りです。ただ一般の認識ではそうでなはいようです」

 エイミーがスライドを操作するとSNSのやり取りが一斉に表示される。

 マイティロックのチームがウロボロスで新プロジェクトを立ち上げた事になっている。

「デマは払拭すればいいだけの事です。SNSで右往左往する事こそ企業の品格を貶める事になります」

「このやり取りが公開されても? パワハラ社長で炎上しますよ?」

「それがどうしたというのですか? 被雇用者でもないのに会議に現れて一方的に権利を主張する行為こそ非常識というものではないのですか」

「私たちはオルソンに在留の許可を貰っています」

「我が社には既にヴィオネット・カイエン氏がいます。我が社がオルソンとの契約に縛られる理由はありません」

 へウォンはエイミーに向かって言う。

「我々はカイエン氏より有能であると証明して御覧に入れます! 我々の動画の再生回数は百万回を超えているんです」

「それがどうしたとは先ほど申し上げた通りです。我が社のコンテンツは売れ筋であれば五億再生はざらです。SNSが百万回再生された程度で我が社と交渉できると考えたのなら見込み違いもいい所です」

「しかし社長、ただオルソンを置いておいても何をしてるか分からんでしょう?」

 ダミアンがエイミーを擁護して言う。

 と、ドアが勢いよく開かれた。

「オルソンは一生懸命ランナーを作っています!」

 イェジが声を張り上げて言う。

「オルソンがランナーを作っていなかったらその人には何も発表するものがありません」

 イェジが言うとエイミーが眉間に皺を寄せる。

「あなたはオルソンの何なの?」

「友達です」

「オルソンの友達が会議に出て来て何の用なの? オルソンの話なら私を通してもらわないと困るんだけど」

「オルソンはあんたが勝手にやった事で困ってるんだ」

「そう。でもオルソンだけでは機体を建造するスポンサーも用意できないわよね? 私たちは一機機体を作るのに充分な投資を集めたわ」

 エイミーが言うとイェジが悔しそうに唇を噛む。

 と、開いたドアからオルソンが部屋に飛び込んで来た。

「あ、あの……」

 オルソンが一同を見て目を泳がせる。

「あ……ああ……」

 目の焦点が合っていない。ゆっくりと上げられた両手が頭を抱える。

「ぼ、僕は……」

「オルソン、無理は駄目よ」

 エイミーがオルソンにジャケットをかけて肩を抱く。

「彼は優秀なマイスターである以前に病人なんです。彼に必要なのはそれを理解し支えらえる仲間です」

 エイミーがオルソンを抱えるようにして会議室を出ていく。

「ほらみろ。エイミーがいなけりゃ話にならんじゃないか」

 ダミアンが言う。

 へウォンは溜息をつく。オルソンもエイミーも会議に乱入したはいいがそれすら収拾をつけられない。

 加えてイェジに至っては何が起こったのかも理解できていない様子だ。

「あなたはいつまでここにいるつもりなのかしら」

「あの人はオルソンの事を分かってない」

 悔しそうな表情のイェジが部屋を出ていく。

「とりあえず、あの動画で集まった三百億に関しては全額返金を行います」

 へウォンは一同に向かって言う。

「社長、三百億もあれば遮那王を完成させられるんじゃないですか?」

 ダミアンが言う。

「商品がなく、また知的財産所有者の許諾も無く無断で行われた放映で得られた利益を何と呼ぶか? それは詐欺と言うのです」

 へウォンはダミアンに向かって言う。

「仕方ないですな。彼がいなくとも我が社にはカイエン氏がいる訳ですし」

 アンドレイが妥協点はそこだとばかりに言う。

 オルソンのおまけとしてエイミーがついてくるのなら、オルソンごと切り捨てるしかない。

「後悔しても知りませんよ」

 ダミアンが椅子を蹴って会議室の外へと出ていく。

 ダミアンはオルソンと比較してエイミーのプレゼンを買っているようだが、ウロボロスエンターテイメントにはその気になればプレゼンを行える人材などゴロゴロしているのだ。

 それをして来なかったのはオルソンに安心してランナーを作る環境を与える為だった。

 ――オルソン、遮那王を完成させたいでしょう?―― 

 その為にオルソンがしなくてはならない事は一つしかない。

「我が社が必要としているのはエイミー・アッシュベリーではなくオルソン・カロルであり、これは会長案件です」

 へウォンは役員たちに告げる。

 クリスチャンの威光を使うのは気が引けるが、クリスチャンがオルソンを必要としていないならそもそも契約を結んでいないのだ。

 


〈7〉



 オルソンはやけに女性のにおいのきつい部屋で意識を取り戻した。

「気が付いたようだね」

 ロビンが声をかけて来る。

「ここは?」

「地下アイドルの楽屋だよ。僕はここからスタートしたんだ」

 ロビンが周囲を見回して言う。周囲のハンガーにはコスプレ衣装のようなものがこれでもかと下がっている。

「状況が全然呑み込めないんだけど……」 

 オルソンはイェジを救う為に会議室に入った。

 だが、発作を起こしてエイミーに救われる事になった。

「君を誘拐したんだ。早く君が無事である事を表明してくれないと僕は犯罪者だ」

 ロビンが端末を振って言う。

 ロビンは遮那王でエイミーから強引に奪い去ったという事なのだろうか。

「僕はどうすれば?」

 オルソンが言うとロビンがカメラを指さす。

「オンエアになれば僕の名前でライブ配信される。視聴者は最低でも十万人だ」

 オルソンはカメラに目を向ける。

「人が映っていなければ意外と平気だろ? コメントも読まなければいい」

「僕に何をさせようって言うんだ?」

「好きに話せばいい。遮那王の情報が部外者にリークされた事、リークしたのはマイティロックを君から取り上げた人だって」

 言ったロビンがカメラのスイッチをオンにする。

 オルソンは両手を握りしめる。頭が漂白されて何も言葉が出てこない。

「みんなこんばんは。ロビンです。今日は僕のランナーを作ってくれているマイスターと一緒に放送しています」

 ロビンが慣れた様子でいう。

「その前に僕はファンのみんなにカミングアウトしなくちゃならない事があるんだ。僕は男性恐怖症で男の人に囲まれると過呼吸やパニックの発作を起こしてしまう。僕が芸能人になったのは学校やクラブで居場所がなかったからでもあるんだ」

 ロビンが言うとコメントが急激に増えていく。

「僕が女子プロに入門したのはそういう事情もあるんだ。それに僕は可愛いものが好きで男らしくする事ができないから」

 ロビンにとっても捨て身のカミングアウトである事に違いはないだろう。

「僕は人類の半分と一緒にされると発作を起こしてしまう。いつも生きづらさは感じているし、それを男の人にどう伝えたらいいかって事をいつも悩んでいる。寄るな触るな近づくなだなんて言う訳に行かないしね。でも僕のマイスターは全人類の前で発作を起こしてしまうんだ。自閉症って言って分かるかな?」

 ロビンが言うと精神科医が賛否両論のコメントを書き込む。

「僕は半分だけ彼の気持ちが分かる。だから彼が話す場所を用意したんだ。僕の遮那王は完成していないし、僕はランナバウトをする為にプロレスをしていると言ってきた訳じゃない。僕も、マイスターのオルソンも何も知らないうちに勝手に放送されてしまったんだ」

 ロビンがオルソンの背を優しく叩く。

「彼女は病気なんです。すごく調子のいい時とふさぎ込む時が交互に訪れて。正常にものを判断できない事が多いんです。鬱の時はそれは苦しそうで僕にはその気持ちが分かるから……」

「マイティロックは彼女が勝手にVWCに売ってしまった」

 ロビンがいきなり話の中核を突いてくる。

「僕は知らなかったんだ。今度の事も。VWCから逃げて来たエイミーが傷を癒す時間を与えられればと思った。でも彼女は完成していない、社外秘の遮那王の事を発表してしまった」

「エイミーとはチームでもないって事だね」

「マイティロックの時はゼミが一緒だった。でも今回はただ居場所を与えただけで。こんな事をするとは、こんな事になるとは思っていなくて」

 オルソンが言うとロビンが大きく頷く。

「でも病気があってエイミーを止められなかった」

「そう」

 オルソンは言う。本当は会議室でこれが言えれば良かった。

 しかし目の前に人がいるとどうにもならないのだ。

「僕の遮那王はこのオルソンが完成させてくれる。全人類の半分が駄目な僕と全人類が駄目な彼の活躍を見守ってね」

 言ってロビンがカメラのスイッチを切る。端末に表示されたコメント欄は荒れている。

「どうだい? 初配信の気分は?」

 ロビンが平静な表情のまま言う。

「君はカミングアウトして良かったのかい?」

 大きく息を吐いてオルソンは言う。ロビンがタレントとして大きな決断した事に違いはないだろう。

「今の僕はタレントである前にライダーだからね。ライダーに性別なんてないだろう」

 ロビンがオルソンの腕を掴んで立たせる。

 動画の再生数は既に500万を超えている。エイミー・アッシュベリーがマイティロックの盗作を行い、遮那王のアイデアを奪おうとしたと早くも炎上している。

「エイミーは病気なんだ……その……」

「彼女が病気なら必要なのは情けじゃなくて治療だよ」

 ロビンの言葉にオルソンは息を吐く。

 最初からそうしていれば良かったのだ。

 ――僕がエイミーを助けようと思ったのは――

 社交的で明るい性格のエイミーはオルソンにとって憧れの存在だった。

 違う……

 ――僕はエイミーが好きだったんだ――

 だから自分にも何かができると思い込んだ。思い込んで悲劇のヒーローになろうとした。

 そしてその思い込みで多くの人に迷惑がかかってしまった。

 エイミーは社会的に厳しい制裁を受けるだろうし、マイスターとして再起する事は不可能だろう。

 ――叶うならエイミーに穏やかな日々を――

 ここはヴァルハラではない。本人が望むなら新たな人生を見つける事ができるはずだった。

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