第9話 女の勘
お兄、…いや、あのバカは何にも分かってない。
私と拓海の苦しみは、全部あいつから来てる。
なにが人助けのためにしか喧嘩しないだ。迷惑でしかない。拓海が学校でイジメら
れてるのも、あいつのせいなのに、あいつはそんなことも知らないで喧嘩を続ける。
私だって、クラスで腫れ物のように扱われている。
『東工の巨人』
どこの高校に通っているかと外見の特徴が簡単に特定されてしまう通り名で呼ばれ
ていることをなぜか誇らしげにしている。駆くんと同じように称号がもらえて嬉しいなんて呑気な発言をした時には、本気で殺したいと思った。
「だから今日、痛い目見るんだよ」
本番へのプレッシャーから震えた手つきでメッセージを送る。『藤原さん。今日に
してください』
これだけで伝わるほど、私は関係を築いてきた。
『いいよ。海莉ちゃんも来てよ。しっかり目に焼き付けよう。君のお兄ちゃんが号
泣するところを』
強いあいつが泣くところを想像できないが、藤原さんたちに期待する。大人だか
ら、器用な手を使って大泉大洋を貶めるはず。私はただ、傍観するだけ。
もうすぐだよ、拓海。
あいつの好き勝手で台無しにされた日常が、終わる。
間違ってない。
自分に言い聞かせる。言い聞かせる必要なんてない。間違ってるのは、あっちなん
だから。
「あ、あの!!」
声が耳を突き刺したのはその時だった。
慌てる心臓を手に当てたいのを我慢しながら、嫌な女の前で平静を装う。
「なんですか?」
できるだけ冷たく、警戒心を全開にした声音で応じた。
すると気の弱そうな女が、おどおどと、せわしなく目を動かし、ようやく私に焦点が合うと、一息に言った。
「お兄さんと仲直り、してくれませんか?」
「はあ?」
バカを極めたような発言。
警戒心が攻撃的なものに変化した。
△△△
あああああ!
なに言ってんだ私!
失言だこれ! 100パーセント、120パーセント怒ってる!
人の顔色ばかり窺って生きてきたのに、こういうところで器用に立ち回れない辺
り、私はやはり無価値な人間だ。助けて健次郎さん。やっぱり健次郎さんに電話で相
談してから決めるべきだったんだ。1人で突っ走っちゃた。
「はあ?」
大泉海莉は、あの兄に似て気が強そうで、私の苦手なタイプの他人だった。
「何が言いたいんですか?」
「ごめんなさい」
獣のような剣幕に、思わず目を背けてしまう。さっき、足利駆と喧嘩した兄とそっ
くりな目つきに、心臓が凍り付きそうだ。
「いや、ごめんなさいじゃなくて、どういう意味ですか? どうして私と兄が仲直
りしなきゃいけないんですか?」
疑問形で迫ってくる彼女は、兄の凶暴性に加えて、なかなか頭がキレるので、より
一層、身体が震えてしまう。涙腺もそろそろ我慢の限界だ。
答えに詰まる私に、ため息を吐く。
「第一、出会って間もない私たちの事情をとやかく言われたくないんですよね。駆
くんとだって、私の方が先に知ってるのに、仲良さそうに冗談言い合って…」
後半部分で、なぜか声がくぐもる。足利駆のことなんて今関係ないだろうに。
突如として一筋の閃きのような光が頭の中を駆け巡った。
「あの」と、勇気を出して声を出す。
「なんですか?」
「足利駆のことで、一緒に話したいことがあります」
女の勘という言葉をどこかで聞いたことがある。まさに今感じているのが、それ
だ。
この子は多分、あんな男のことを。
それから数分。私は生まれて初めて、健次郎さん以外の他人と、一緒に晩御飯を食
べることとなった。
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