ハケン・キャスト(株)
赤
プロローグ 三種盛り
―第1話― 『針が12時を指す前に』
=======================
『針が12時を指す前に』
作:葉桜きみどり
==========▽============
「あなたが『地縛霊』さん?」
陽が温かな春の日の昼前のこと。
僕が病院の中庭にあるベンチに腰を下ろし、いつもの様に俯いて自分の影をボーっと眺めていたところに、彼女はふらっとやって来て、いきなりそんなことを尋ねてきた。
誰だろう。
目線を上げても逆光で顔は良く見えなかったけど、とにかく知らない子だ。
「別に霊じゃないけど、そう呼ばれてるのは知ってるよ」
少し不機嫌さを見せつけるように、僕は投げやりな調子で返す。
僕は長期入院を示す青い患者衣を着た、ただの入院患者だ。
病院の地縛霊──それは僕の入院期間の長さを揶揄した陰口みたいなものだったから、呼ばれてあまりいい気分はしなかった。
「そう。ね、あなたって、あとどれだけ生きられるの?」
けれども、彼女に僕の気持ちを汲む気はないらしい。
それどころかズケズケと、更にとんでもないことを聞いてくる。
「どれだけって……」
「余命幾許もないって噂で聞いたけど、本当?」
いくらなんでもノーブレーキすぎるだろ。
デリカシー以前に倫理が危うい彼女は、ピンクの患者衣を着ていた。
新入りの証だ。
恐らく彼女はこの病院の新しい入院患者で、誰か(例えば同室の入院患者とか)から僕の話を聞いて、面白がって絡みに来た。
そんな所だろう。大した行動力といい性格をしている。
しかし、『余命』か。
僕は厄介な病気で長期入院こそしているけれど、どうやらそれは死病という訳じゃないそうで、今のところ死ぬ予定はないはずだ。
だから『幾許もない』だとかいう根も葉もない噂を否定するのは簡単で。
ところが……僕はそれなりに腹を立てていた。
何せ死ぬ予定がないと言うだけで、僕は歴とした病人なのだ。
十五の僕は、もう何年も治らない難病に苦しみながら、この病院に囚われている。
よくウロウロと院内を歩き回っていて、顔色が、自分でも鏡に映る自分にギョッとするほど悪いから、『地縛霊』だなんて呼ばれるのも仕方ないにせよ(いや……無愛想な僕も悪いとは思うけど、やっぱり入院患者に『霊』はないだろ)──にしても、こんな風に面白がられる謂れはない。
流石にあんまりだ。
といっても、怒鳴りつけて追い払うような真似は、僕には難しい。ただ、まともに相手する気にもなれなくて。だから僕は、あしらうつもりで適当に……。
「余命? ──1ヶ月だってさ、間もなく本物の地縛霊になる予定だよ」
……なんて言った。
そして僕はその軽率な言葉を、この先悔い続けることになる。
「わ、私も!」
彼女は僕の言葉に、予想外に強く食いついた。
「あの、私の命も……あと1ヶ月なんだって」
そして何故だか少し、救われたみたいにそう言った。
「……え?」
「笑っちゃうよね。あはは、本当、参っちゃうよね」
間抜けな僕は、その時になってようやく、先程までの彼女の声が強張っていたことや、手が細かに震えていることに気が付いた。
丁度、太陽が雲に隠れる。
逆光が消えた隙に、僕は彼女の顔をきちんと見た。
まるで雪女の様な、色白の綺麗な子だった。
けれど頬が、少しこけている。黒くて長い髪もボサボサに荒れていて、目の下には隈と薄っすら赤い、泣き腫らした痕がある。
その有様が、彼女の言葉が悪質な冗談などではないということを、何より雄弁に物語っていた。
「……あ」
じゃあ、なんてことだ。
全てを察した僕は、同時に自分が犯した過ちをも知ることになる。
「──い、いや、僕は」
「ごめんね、急に声かけて。恥ずかしながら私、昨日余命宣告されちゃいまして」
そう言って、彼女は僕の左隣に「よいしょ」と腰かけた。
その距離にドキリとした僕は右に飛びのく様に体をどかす。
って、いや、そんな場合じゃないだろ。
要するに、僕は言ったということになる。
余命1ヶ月の人間に、『僕も余命1ヶ月』だと。
そんな……嘘を吐いたということになる。
「それで、どうしたらいいかわからなくてさ。そんな時、あなたの噂を聞いたの」
その声が最初に比べ、少し安らいでいるように聞こえ──いたたまれなくなった僕は、彼女の方から視線を逸らした。
すると、視界の端に薄桃色の欠片が過る。桜の花びらだ。
それは宙を舞うような顔をして、ヒラヒラと地面落ちる途中だった。どうしていいかわからなくなってしまった僕は、その軌跡を意味もなく目で追いかけた。
この中庭には中央に芝生のエリアがあり、その更に真ん中に大きなソメイヨシノが一本聳え立っている。それを囲むようにコンクリの通路があり、他にはベンチが一脚あるだけの──このシンプルな光景も、見慣れたものだ。
良い場所だ。
何もなくて、人が少ないところを、僕は気に入っている。
追っていた花びらは、芝生と通路の丁度境目あたりに着地した。
今座っているベンチからだと、どちら側に落ちたのかはわからなかった。
「……怒ってる? ごめんね不躾に話しかけちゃって。こう、なんて言えばいいかわからなくてさ」
顔を逸らしたままの僕に、彼女は焦ったように言う。
「あ、いや、怒ってるわけじゃなくて。あの……」
頭の中の
僕の中の理性が『今すぐ訂正しろ』と騒ぎ立てていた。
「……なんで、僕に声かけたの?」
しかし臆病な僕の本体は言うことを聞かず、その『決定的な瞬間』を先延ばしにしようとする。そして、その場しのぎの質問をした。
ただ実際、彼女が僕に何を求めていたのかが気になったのは本当だ。
彼女は「うーん」と、指を顎に当てて唸った。
「私ね、昨日……自分があと1ヶ月で死ぬって聞いて、最初あんまりピンとこなかったんだ。ほら『死ぬ』って、よくわからないじゃん? 経験ないしさ。だから、昨日病院でずーっと、布団の中で考えてみて。そしたら、すごく怖くなったんだ。『死ぬこと』じゃなくて……『1人になること』が」
「1人?」
「そう……家族も、学校の友達も、これから先、何年も人生が続いていくんだなーって思って。人生って、『旅』とか『道』とかにみんな例えるでしょ。とにかくどんどん先に進んでいくものらしいじゃない? というかよく考えたら、世界ってそういうの前提に出来てるよね──『将来設計』とか『未来予想図』とか『年金』とか『家族計画』とか言って。で、私って、それに置いていかれるんだなーって。じゃあ、私ボッチじゃん、ハブじゃん……1人じゃん。あ、死ぬってそういうことか、って納得したらさ……恥ずかしながら、しっかり怖くなっちゃいまして」
彼女は触れなかったけれど、今のコンディションから見て、昨夜は泣いて眠れなかったのは明らかだった。
そして迎えた今日の朝、誰かから、余命僅かだとか勝手に言われている『病院の地縛霊』の話を聞いたという流れらしい。
彼女の恐怖は孤独への恐怖だ。
だから藁にも縋るつもりで、僕に声をかけた。
若くして、命僅かという不幸を背負った……同じ恐怖を抱える、仲間なんじゃないかと期待して。
話を逸らすつもりだった僕は、気付けば更に追い詰められていた。
「ごめんね、自分勝手な理由で。言葉にしてみて思ったけど、あなたにしたら迷惑な話だよね」
「い、いやいや! ……め、迷惑なんてことないよ。ただ」
覚悟を決めろ、僕が悪いんだ。
一呼吸かけて息を整えると、僕はようやっと切り出した
「言わないといけないことがあるんだ」
ああ、ただ、なんて言えば良いんだ。
僕が面倒な相手をあしらう為、適当に言った言葉は、絶望の只中にあった彼女が、まさに希求していたものだったらしい。
何の因果か、『1ヶ月』という期間までバッチリだ。
最初から事情を話してくれていたらと思う反面、彼女が今、こんな調子にスラスラと話せるようになったのは、僕が同じ境遇だと知ったからだというのもわかる。
彼女が明るく見えるのは反動、裏返しだ。
なら、どう言えば良い?
僕の嘘は、どうやら彼女の支えになっている。
そもそも言っていいのか、訂正していいのか?
葛藤を振り切るように、僕はとにかく言葉を続けた。
「僕は余命宣告を受けてない」
「え」
「つまり──」
あれは嘘だ、と、そう告げようとした口が、ピタリと止まる。
彼女は目を見開いて、僕の顔をじっと見ていた。固まっている──まだ『驚』以外の、何の感情もない、まっさらな表情。
ここからどの方向にでも転がりそうな、そんな顔を見て僕は。
壊れる──と、思った。
顔を見ただけでそう思った根拠は、人には勘としか説明できない。
僕にとっては確信で……敢えて理由をつけるなら、僕が病院に長くいて、病気に関わる色々な人を見てきた経験があるから、だろうか。
病人だけじゃなく、その恋人や家族達……受け止めきれない不幸を突き付けられて壊れそうになっている人間を何人も見てきた。そういう環境で培われた勘だった。
真実を伝えたら、彼女は立ち直れない程の絶望を味わうことになる。それが、わかってしまった。
だから僕は。
「──家族が、病院に言ったらしいんだ、『余命の件、僕に隠して欲しい』って。だから公には、僕は自分の寿命を知らないことになってる」
咄嗟に嘘を重ねてしまった。
「けど偶々聞いちゃってさ、医者が僕について話してるところ。それで知ったんだ」
即興なのにポンポンと嘘が繋がるのは、それが実際に僕が想像したことがあるケースだったからだ。長引く入院に、『もしや』と浮かんだことがある。
……実際には、見舞いにもロクに来ない僕の家族が、僕を気遣って医者に配慮させるなんて可能性は少ないのだけど。
「そんな……」
彼女は『驚』の顔のまま両手を口に当てた。信じてもらえただろうか。
……『信じてもらえただろうか』か。これで後戻りは出来ない。
僕は今、明確に自分の意志で、彼女を騙そうとしている。
「まぁ……噂になってるくらいだし、隠し通すのは無理だったと思うけど。要するに『1ヶ月に僕が死ぬことを、僕が知っているとを知っている』のは、僕と君だけなんだ。だから、みんなには僕が気付いていることは黙っていて欲しい」
この設定なら、僕の余命が1ヶ月だという『嘘』は早々露呈しないはずだ。
しかし我ながらよくもまぁ、ペラペラと。僕はこんなに淀みなく上手に嘘が吐ける奴だったのか。
実際には罪悪感や緊張がないまぜになって、頭は殆ど真っ白で、鼓動はバクバクと激しかったのだが、僕の死人みたいな顔色の仏頂面は、冷や汗一つ流さず、よく言えばポーカーフェイスを保っていた。
入院生活で死滅した表情筋が、いつの間にか僕を大した嘘つきに仕上げていたらしい。
ああ、なんで、こんなことに。
ただ、他にもう、リカバリーする手が思いつかなかった。
彼女を傷付けずに済ます方法が、何も。
「わかった、気を付けるね」
彼女は神妙に頷くと、ニッと笑う。
「ね、ところで『みんなには』ってことは、これからもお喋りしてくれるってこと?」
……やめろ。
何をドキリとしているんだ僕は。
最低だ。全然そんな場合じゃないんだよ。
そうだ。今はこれで凌いで、これから先はどうなるんだ?
このまま二度と会わないのが本当はお互いの為だ。だが同じ病院にいる以上、きっとそうはいかない。
僕と彼女は今後も顔を合わせるだろう。
今更本当の事なんて言えるはずもない。
つまり僕は最悪これから1ヶ月間、嘘を吐き続けるということだ。
彼女を騙し続ける?
彼女が……死ぬまで?
「私は
彼女──鈴蘭は僕の沈黙を肯定と受け取ったようだった。
「……『地縛霊』じゃなくて」
心が軋むように痛い。
それでも、もう僕に逃げ道はなかった。
「僕は
名乗りながら僕は、昔見た古い映画を思い出していた。
あまりハッキリとは思い出せないけれど、その映画の主人公は、確か仮病を使って難病のグループセラピーに参加して、癌患者のフリをして泣いていた気がする。
僕はあれになったのか。……まるで悪魔だ。
こうしてポカポカとした陽気に包まれながら、ゆっくりと坂道を転がり出すように──僕と彼女の一ヶ月は始まった。
==========△============
ここで文章は終わっている
=======================
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます