第52話 天皇継嗣問題
仁和三年(八八七年)
正月の行事が一段落すると、中納言在原行平は老齢を理由に官職を辞任する旨を上表する。
帝の様子からすると、先が長くないと行平は感じていた。
かねてより、文子とは皇太子の件でその問題にかかわならいように対処してきた。次の帝の擁立に関しても太政大臣も黙っていないであろうし、太政大臣の思惑だけで決まるものとは思えない。臣下がもめる事は間違いない。
今が政務から離れる時だと考える。
春には辞任が正式に認められ、親子、皇子ともども内裏から去って行った。
この後、彼らはこの件に関わることはなく、平穏な日々が訪れる筈であった。
梅雨の時期になると、例年にないほど雷雨の激しい日々が続く。人が通行できないほどに雹が降ってきたりもしている。
鴨川のそばに構えた隠居宅に、長男の
自身が設立した奨学院で優秀な成績を修め、今は正六位上で右近衛将監を務めており、これからというときに起こった不幸である。
身内の者をすべて朝廷の官職から辞退させるべきであったのかと、心を痛める行平であった。
さらには地震も発生して人々が不安の日々を送る。六月中は雨の降る日が続く。
七月になっても雨が止むことはなく、地震が日を置かずに発生している。
風雨が順調であることを願う
神祇官からの提案で、雨の神を司祭とする
また内裏で白亀が見つかり、これは縁起が良いと神泉苑の池に放つが、その夜に地震が発生して皆が困惑する始末だ。
こういう年は何か不幸なことが起こる。勢力的に政務をこなしていた帝だが、体調を崩し倒れてしまう。
基経は見舞いも兼ねて清涼殿を訪れる。
侍従は面会を断るが、帝からの指示で中に通される。
「お加減はいかがでしょうか?」
「帝位の話を受けた時からこうなることはわかっていたからな」
「ご無理をさせてしまい、申し開きのしようもございません」
「気にすることはない。自らが望んだことなれば。朕もそう長くない、良い機会なのでそなたの本心を聞いておきたい」
「わかりました。基経、神命に誓い偽りは申しません」
「朕。いや儂が即位して早三年が過ぎた。皇太子を決めないのは仔細あってのことか」
「陽成帝のご兄弟をすべて皇位継承から外しておりますが、中には皇太后の意を汲むものをおり、それらを退けて参りました。帝の皇子らも殆どが臣籍降下しております故、帝の皇子を還俗させ、立太子することでそれらのものとの諍いが起こることを避けるために時を置くこととなってしまいました」
「場合によっては、そなたの血を引くものに継嗣することもあるということになるかの」
死にゆくものにとってやはり、自らの子の行く末は気になるというものだ。
「はい。それは亡き忠仁公のご意志でもありますれば。父はわたしが皇太后と不仲となるのを承知の上でわたしの娘を入内させて、親王を生ませることを望みました。皇太后の性分に将来を危惧してのお考えでした」
「なんとのぉ。良房殿は抜かりが無いの」
「皇太后の皇子が帝に相応しくないのであれば、これを退けるよう言い使ってございます。わたくしと皇太后だけのことであれば、かのものから恨まれるだけで良いのですが、清和帝には皇位継承の親王が多いことで、先延ばしにした次第です」
「そうであられたか。良房殿は先々の事までを考えておったとはな。兄の文徳帝のことで一時は恨みごとを思ったこともあった。天皇継嗣のことで過去の忌まわしき流れを断ち切りたいとする良房殿のお考えに接すると兄が不憫に思えた。そなたの決意は良くわかった。儂は儂の役目を果たせた。あの世で良房殿に顔向けができる。思い残すことは無い」
「わたくしとしては帝のお子を還俗させ、皇位を継承したいと考えております」
本音を話す様に言った帝だが、自身の本音は基経に遠慮しているのか話せずにいる。
出来うるなら、自身の皇子にと思っている。
「その方の思い通りになされよ。儂の子が適任でなければ、そなたのお目に適うものにすれば良い」
基経は涙ながらに殿上を後にする。
この月の下旬になると、死を覚悟していた帝であったが体調が回復する。
紫宸殿で回復の祝いも込めた相撲の興行が取り行われ、帝も三日間にわたり観覧した。
近臣らや、世の人々はこれで平穏な日々が訪れると思った。
だが、七月も終わる頃、夜明けとともに宮中が大地震に見舞われる。後に伝わる畿内を中心に発生した『仁和の大地震』である。
数時間経っても一向に収まる気配が無い。
帝は急ぎ仁寿殿から紫宸殿に向かい、庭に出ると大蔵卿を見つける。
「ここに幔幕を張り、指令所とせよ。各省の蔵、小屋に死傷者を収容できるように手配せよ」
建礼門から外に出ると、各省の官舎も幾棟か破損している。ものが所々転がっており、建物の下で圧死しているもの、気を失っているものが多々いる。
この日は畿内の諸国で大地震が発生し、摂津の国では津波が起こり、溺死者が出ている。翌日から連日の地震で、都の人々は家を捨て、他の地に逃げるもので道があふれている。
さらに台風なみの暴風雨も発生し、都を直撃する。多くの人や建物が転倒しながら飛ばされている。
鴨川が氾濫して人馬の行き来ができなくなる。圧死、溺死するものが多数でている。
この災害の中で帝も傷つき、仁寿殿に運び込まれる。
余命幾ばくも無いとのことで、太政大臣はじめ太政官の公卿らが集まり、急ぎ皇太子を決めることにする。
陽成帝の兄弟を立太子させないと決めた以上、臣籍降下した光孝帝の皇子を還俗させる他に手は無い。
直系王朝の考えからすれば、それが一番良いのある。
光孝帝の女御の
第一皇子の源元長は、四年前に他界している。
第四皇子の源
第七皇子の源
第十二皇子の源
第十三皇子の源
第六皇子の源
第八皇子の源
第十皇子の源
源
対象は班子女王の皇子で都に官職を持つ、是忠と定省になった。
基経にとっては格別どちらという事はない。後宮に強い影響力を持つ、基経と仲の良い異母の妹藤原
急遽、定省を還俗させて、定省親王とすることで立太子させた。基経は約定通り、陽成帝の兄弟を立太子させなかった。
定省親王が皇太子に決まったこの日の夜、帝は安堵し、静かに息を引き取った。
光孝天皇崩御(享年五十八)
天皇継嗣問題で基経が苦しい時期に、高齢ながら皇族の橋渡しをしてくれた。
自ら一代限りと見定め、自身の子を臣籍降下するなど、なかなか潔い人物である。
小倉百人一首に天皇の句が編纂されている。
『君がため 春の野に出でて 若菜つむ わが衣手に 雪はふりつつ』
あなたのために春の野に出て若菜を摘んでいましたが、春だというのにちらちらと雪が降ってきて、私の着物の袖にも雪が降りかかっています。
天皇の優しい人柄を表した句になっていることが伺える。
この年の十一月に、定省親王が即位し、第五十九代の
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