第33話圭太は孤独死を思う

午後になり、圭太は出かけることにした。

マンションにいても、何も用事がない。

とにかく、気晴らしがしたかった。


エレベーターを降りて、月島商店街を歩くと、もんじゃ焼きの香りが充満している。

笑い声も、香りと一緒に聞こえて来る。

「幸せな人たち」と思うが、とても、その人たちに顔を見せる勇気はない。

場を壊すだけなので、結局、通り過ぎて、佃大橋に向かう。


天気もいいので、本来は、心休まる散歩と思う。

しかし、佃大橋から隅田川を見ても、何の感動もない。

感動にしても、喜びにしても、伝える相手がいない。

伝えたとしても、相手には迷惑でしかないと思う。

「親も兄弟もいない」は、やはり重い。

もし、恋とか愛を感じたとしても、相手からは「同情」はされるかもしれない。

しかし、結婚など、論外。

相手も、相手の両親も、恥ずかしくて認めるわけがない、と思う。


下を向き、佃大橋を渡って歩く。

築地本願寺が見えて来た。

異様な立派な建物、およそ寺院とは思えない建築。

中に入ると、パイプオルガンまである。

圭太は、チラシを取って読む。

「南無阿弥陀仏と唱えれば、必ず救われるか・・・」

そのチラシは、すぐに戻した。

「アホらしい・・・」

この難しい世間を馬鹿にしている、としか思えない。

その「救い」そのものがわからない。

すぐに救われるのか、すぐでなければ、いつなのか。

それが全くわからないのに、何故信じろと言うのか。

紛争地で、そんなのん気なことが言えるのか?

そんなに立派な教えなら、紛争地に出向いて、救って欲しい。

救えたら信じてやる。

そこまで思ったけれど、やはりアホらしいと思った。

「ここでも場違い」と思ったので、築地本願寺を出て歩く。


つまり、「自分は救いの対象ではない」と思うと、逆に気楽になった。

「ゴミのような、どうでもいい、捨て去られるモノ」でしかないと思った。

要するに、適当に生きて、適当に孤独死すれば、いいのだと思った。

「後は、役所が始末する」と思った。(他に方法もないと思った)


トボトボと歩くと、銀座。

派手な街に顔を出すのは、場違いで失礼と思ったので、浜離宮を目指した。


浜離宮に入って、歩き疲れた。

風が冷たいので、美味しくもない缶コーヒーを買って飲む。


それでも、大きな空を見上げた。

その大空に、母の顔が何となく見えた。

「母さん、もう、どうでもいいや」

「もうすぐ行くよ、待っていて」

「そんなに待たせない」


そう語り掛けたら、心が軽くなった。

「人間は、何日食べなかったら死ぬのかな」

調べようと思ったら、スマホを持って来ていなかった。

「ゴミに連絡する人もいない」と思った。



圭太は、下を向いて、浜離宮を出た。

マンションに帰ろうと思った。

歩き疲れたのでタクシーを拾った。


マンションに戻っても、食欲もない、食事をする必要も感じなかった。

ただ、頭がクラクラする。

浜離宮の寒さで、風邪を引いたと思った。

「このまま死んでもいいか、自然死もいいか」

圭太は、そのまま眠ってしまった。


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