恋など捨て、愛にも生きず

舞夢

第1話山本美紀の失意

東京駅至近、丸の内の中堅商社池田商事の時計は、午後5時を指している。


「圭太さん、今夜の予定は?」

山本美紀(総務課:入社二年目)は、隣に座る田中圭太(同じく総務課:入社三年目)に声をかけた。

ただし、大きな声ではない。

年度末も近い、周囲はまだ必死に仕事をしているのだから。


声をかけられた田中圭太は、表情を変えない。

「言う必要が?」

そのまま、帰り支度を終え、席を立ち、周囲に「お先に」と頭を下げ、退社して行く。


「また・・・フラれた」

山本美紀は、何故、田中圭太が、あんな冷たい態度を取るのか、理由がわからない。

仕事中は、完璧な意味で、良きチェック係にして、良き先輩。

美紀の帳票への入力ミス、報告書の誤字脱字、文意不明確を表情一つ変えず修正。

美紀がお礼を言っても、少し頷くだけ、すぐに圭太が担当する分の入力分析作業にかかる。

「しかし、圭太さんは、自分の担当の仕事ではミスがない」

「その上、的確な分析で、切るべきコスト、増やすべきコストを、上司に端的に説明できる」

「今では、圭太さんがいないと、決算書ができない」


美紀自身、何度圭太に助けられたのか、数え切れない。

「致命的な入力ミスを見つけてくれる人」

「だから、お礼の一つでもしたいのに」

「何度も誘うけれど、いつも、あんな態度」

「今日も、危ないミスを指摘してくれた、本当に助かった」

「圭太さんがいないと、私、ここの会社では生きていけない」


その山本美紀が、下を向いていると、営業課のイケメン鈴木亮が、近寄って来て、さわやかな笑顔と美声。

「美紀さん、どうかしたの?」

「また圭太に?」


美紀は、首を横に振る。

「いや、何でもないです」

美紀自身、この鈴木亮とは、なるべく話をしたくない。

他の女子社員の憧れの的であるし、下手に話せば、「デートに」と、発展も速い。

その「デート」への発展も、鈴木亮は手あたり次第だ。

イケメン笑顔で、営業実績も高い、上司から管理者の評判も高い、そんなことで、将来の部長候補、いやそれ以上の「期待のエース」なので、誘いに乗る(下心ありの)女子社員も、次から次だ。(遊ばれて、結局、捨てられる女子社員も、次から次)


「それなら、今夜はどう?」

イケメン鈴木亮は、さわやかな笑顔で、美紀に迫って来る。

美紀は、しっかりキャンセルの言葉が、口から出ない(ピンチに陥った)


「鈴木さん、少し待って!」

ピンチの美紀を救ってくれたのは、同期入社の佐藤絵里(同じく総務課)だった。

「美紀は、総務課の仲間で飲みたかったの」

「総務でないと、通じない話ばかり」

「圭太さんを誘いたかったけれど、まあ、仕方ないの」

「あの人は、ああいう性格だから」


佐藤絵里は、強い性格、容姿も固い(かなり年輩に見える、23歳だけど)。

社内の他の女子社員とは異なり、イケメン鈴木亮には、まったく興味もない。


イケメン鈴木亮も、同じく、佐藤絵里には、関心もないようだ。

「まあ、それなら」とアッサリと引く。(ただ、その後十数メートル歩いて、食糧事業部の池内美里を口説いている)


「ありがとう」

美紀は、佐藤絵里にお礼を言う。

佐藤絵里は、プッと笑う。

「鈴木さんは、私も嫌い、だから、追い払いたかった」

「女だったら誰でもだから・・・ほら、池内美里が落ちた、一緒に歩いているし」


美紀も帰り支度をまとめた。

「ねえ、絵里、いつもの」

絵里は、苦笑い。

「また、フラれ女の愚痴を聞けって?」

美紀は、「うるさい!」と小声で反発。

絵里は、「はいはい、何でもお聞きします」と、また苦笑している。

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