27.博士の夢
それはある日の記憶。
「夕ご飯までには帰ってきてくださいね、姉さまっ」
「分かってる分かってる」
そう言って、心配そうな目をして見送るナナの顔を尻目に、アタシは換気ダクトの中をよつんばいになって進む。
部屋の隅の天井にある換気用の四角いダクト。
小さい子供なら何とか通れるそれの中に、アタシは探検と称して今日も入っていた。
前に侵入した後で換気口に柵をつけられてしまっていたが、ナナのパワーがあれば外すことは容易かった。
身体が大きくてつかえてしまうので、ナナは監視役も兼ねてお留守番だ。
普段は入れない部屋、知らない設備、2人で外に出れそうな新ルート。
夕食に研究員が呼びに来るまでの僅かな時間で、今日はどんな新しい発見ができるのか。
胸はワクワクでいっぱいだ。
新しい発見があれば、それを土産話にナナと盛り上がる。
これは、いつもの遊びの1つだった。
気を抜けばベコッと音を出してしまいそうな薄い金属の壁に四方を囲まれた小さな空間。
その中で身を縮ませながら四つん這いになって進むアタシ。
気づかれないよう音をたてないよう慎重に、それでいて素早く進んでいく。
途中に何度かある分岐は、当然いままで行ったことない方を選択する。
やがて、出口となる換気口が見えてきた。
柵の隙間から部屋の明かりがダクト内に入り、その向こうから人のいる気配と僅かな声が漏れている。
「…………ティス様の……通りに……かと」
「…う…、……良…………」
聞こえてくる声は2つ。
1つはよく知るミチナキ博士のもの。
もう1つは、聞いたことのない男性の声だ。
もっとよく聞くため、アタシは音をたてないように慎重に換気口に近づく。
「――にて、仕様書通りのスペックは発揮できます」
「なるほど。これなら【
それは聞き覚えのある単語だった。
アタシの電子脳内の記憶によると、それは確か三賢人からの依頼の中にあった言葉だったはずだ。
ホムンクルスで作られる、三賢人の直属部隊。
ナナが完成して1年。
研究がついにそれを可能にする段階に入った、という話をしているのだろうか。
博士たちの会話の内容から、アタシはそう予想した。
そしてそのことを報告する相手ということはつまり、博士と話しているこの男は……。
「……いかがでしょうか?……カーティス様」
やはり、そうだ。
博士の相手は予想通り、三賢人の1人。純白のカーティス。
シティの行政を
「素晴らしい仕事ですね。完成の日を楽しみにしていますよ」
そう言って、カーティスはその部屋を出て行った。
「…………」
その後ろ姿を見届けて扉が閉まるのを確認したミチナキ博士は、ふぅっと疲れたように深いため息とともに肩の力を抜いて椅子に座る。
1人部屋に残る博士は、何かを考えるかのように遠い目をしてモニターを見つめる。
見ればそこは培養槽の並んだ研究室。
ナナも生まれた、アタシも何度か入ったことのある部屋だった。
1つ知らない点があるとすれば、立ち並ぶ培養槽の中に沢山の人影が浮かんでいたことだ。
おそらくは、アタシの新しい妹たち。
そして、アタシやナナのような試作品ではなく、三賢人のために作られた
シティのために働き、戦うためだけに生まれる子たち。
そこに並ぶ皆や博士の様子をもっと見ようと、アタシはさらに換気ダクトに這って近づいた。
「!?」
「……あ」
目が、合った。
伸びをした博士の目が、換気口の柵の隙間から覗いたアタシの目を捕らえていた。
● ● ● ●
「前にも言ったけど、換気ダクトに入るのは危ないからやめなさい……」
「……はーい」
ダクトから降ろされたアタシの気のない返事に、博士はため息をつく。
アタシたちのするこういった遊びは今に始まったことじゃない。
こうやって見つかって怒られるのも、もう日常の一部だった。
「何があるのか気になって、ついやっちゃったの……」
そう言いながら、アタシは
ごめんなさい、と付け加えるのもポイントだ。
「まあ、好奇心が強いことはレイミのいい所でもあるけどね……」
ため息とともにそう言って、博士はいつものように頭をなでてくれた。
博士はアタシたちに甘い。
言葉上だけでも謝れば、こうしてすぐ許してくれる。
まあ、こうやってお説教を聞き流して再犯することがまた怒られる原因だったりするのだが。
「さあ、もうすぐ夕食だ。部屋でナナと待っていなさい」
お説教も終わり、博士はそう言ってアタシを部屋の外へ促す。
その言葉に、アタシは少し博士の焦りを感じた。
まだ残った仕事を進めたいのか、1人になりたいのか、あるいはアタシをこの場所にいさせたくないのか。
そんな焦りだ。
怒られた直後でもあるので、アタシはそんな気づきに蓋をして、大人しく部屋を出ようと体を向き直す。
その時、視界の端に映った培養槽と、そこに浮かぶ妹たちの姿。
ふと、アタシの口から1つの質問がついて出た。
「……ねぇ、この子たちは兵士をやるの?」
さっきの会話を聞いてしまった流れで出た、何気ない質問だった。
だけど、
「!?」
博士は、目に見えて動揺した。
悪い行為をとがめられたかのような、まるでいつものアタシみたいだった。
「それが、博士や皆の目標なんだよね?」
三賢人、マザーAIから与えられた名誉ある大きな仕事。
そのために、この中央官邸に来てからの日々はあった。
当たり前で、聞くまでもない質問。
なのになぜ、アタシはそれをワザワザ博士に尋ねたのか。
アタシにも、それは分からない。
……もしかしたら、否定して欲しいとどこかで思っていたのかもしれない。
「…………ああ、そうだ。それが、我々の仕事だ」
返事は、やはり肯定だった。
でも、続きがあった。
「だが、最終目標ではない」
それはどういう意味?
その疑問を口に出す前に、博士は続けて答えてくれた。
「三賢人からの依頼は【猟犬部隊】を、優秀な兵士を作ること。だがそれは【
依頼の達成は、研究の予算や設備を得るためのもの。
計画の本当の目標は。
「シティという閉鎖空間で行き詰った人類という種が、次のステージに進むための新たな人類を生み出すことさ」
進化した人類、
それがアタシやナナが生まれた理由だと、博士は言った。
● ● ● ●
博士は語る。
高ランクの人間、マザーAI、それらに管理され、彼らに評価されるために日々を生きる人々。
他者の目を常に気にして過ごす閉塞した世界。
500年続く、完璧に
そこで新しいものが生まれることはなかった。
評価されるのは、すでに高いランクにいる古い人間が評価する物だけ。
そして評価されないものは、不要なものとしてアウターに押し込められる。
このシティでは、もう200年は新しい発明や発見は生まれていないのだ。
それらしいものはどれもこれも、
いつまでも続く、同じ日々、同じ世界。
だが、永遠に続く物などない。
そして、変われないものに明日はない。
だから、変えることのできる誰かが必要だ。
これまでの閉塞を超えられるような新たな世代、新たな人類。
そう、完全なる人類が。
● ● ● ●
「…………」
博士の話は、分かるようで分からなかった。
新しい何かが必要、というのは何となくわかる。
でも、何故それがホムンクルスになるのか。
そこにイマイチつながらない気がしたのだ。
アタシたちの電子脳がもっと高性能になれば、それも分かるようになるのだろうか?
「まあ私たちの目標がなんであろうと、この子たちがシティの
そう
確かに、そうだ。
でも、そのためだけに生まれるよりはずっといい。
少なくてもアタシはそう思えた気がした。
ピコーン
その時、突然の電子音が頭に響く。
そして視界に表示される、『
「……ああ、今日がそうだったか」
数日置きに行われる、マザーからの『
普段クロユニをやる機会がないとついついタイミングを忘れてしまう。
突然の水入りで話もそれたので、アタシは
そんなアタシの様子に肩を少しすくめながら、博士もウィンドウを開いて確認する。
「《虚構天使ヴァナ》?」
『配札』されていたのは、青く透き通る羽を持った小さな電子妖精のイラストの描かれたユニットだった。
ランク1であるアタシに『配札』だけあって当然のようにレベル0。
ただ、その能力は何となく強そうにも見えた。
まあ、カードが足りなくてデッキも作れずバトルしたこともないので、実際の所がどうなのかはよく分からないけれど。
「…………」
手に入れたカードを見せようと博士の方を見ると、なにやら難しそうな顔をして表示した自分のカードを見つめている。
「……?」
そんな様子を不思議に思いながら、アタシは博士のウィンドウを覗きこむ。
そこに映っていたのは1枚のスペルカード。
「……《アシッド・ストーム》?」
そのテキストには「全て破壊する」と書かれており、何だか強そうなカードだった。
レベル3だし。
「ああ、いや何でもないよ」
そう言って博士は自分のウィンドウを閉じると、アタシのカードを見る。
「これは結構いいカードじゃないか。良い配札が貰えたね、レイミ」
そう言って博士はニッコリ笑う。
どうやら予想通り、そこそこいいカードらしい。
ただ、アタシにはもう1つ嬉しいことがあった。
「これで、アタシのカードは30枚になったよ!!」
そう、ついにデッキの最低枚数にカード数が達して念願のバトルができるようになったのだ。
遊びでの対戦はもちろん、
「おお、ついにかい!!おめでとう!!」
博士の手の平がアタシの頭を優しくなでる。
デッキが作れるのは1人前の証だ。
アタシはこの先の自分が行うカードバトルに思いをはせる。
そうして夕食に呼ばれるまで、アタシは博士にカードのことを聞き続けた。
この日はアタシにとって特別な日になった。
カードが揃って1人前になった日で、自分たちが生まれた理由の
だけど、だから、アタシはあえて少しだけ意識の外に置いたことがあった。
兵士として生きることを決められた妹たちのことを、頭の片隅に追いやってしまっていた。
次回「終わりの日」へ続く
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