第60話 勇者の帰還ー1
桜の蕾が開き、ピンクの風が吹いている。
大介は、珍しくベランダに出て、眼下の桜を見つめて黙っていた。
「ダイちゃん、どうかした?大丈夫?」
今日はもうフィットネスをしなくても、制限時間までもつことがわかったアサヒが、タオルで汗を拭いつつベランダに出てきた。
足を乗せた健康サンダルのイボにちょっと顔を顰めている。
「アッちゃん、昨日、アレの最後の封印を解いたんだ」
桜から目を離さずに大介が続ける。
「来週まで休養をとって、それから1ヶ月かけて一気にアレの敵を倒しに行く。
せいぜい掛かっても1ヶ月半もあれば終わるだろう。
だから、来週来たら、次は帰ってくる時だ」
「うん」
「来週は、アッちゃんの力を借りるけど、帰ってくる時は、アレの力だけで帰ってくるよ」
「うん」
「だから、来週はみんなを集めて欲しいんだ」
「うん」
「改めて、みんなにちゃんとお礼を言いたい」
「うん」
「だから、最後に帰ってくるのは、どんなに遅くても、6月の頭だな。
アッちゃんの誕生日、6月だっけ。
早く帰ってきたら、俺がお祝いするよ」
アサヒが、泣いていた。
アサヒは、リビングに戻るとそこにいた綾子に話した。
綾子は、キッチンの奈緒子を呼んで、大介と抱き合った。
「アヤ。マコトから話は聞いてる。色々ごめんな」
「にいさん。まずは、元気に帰ってきてからだからね」
アサヒは、大介と抱き合う綾子をじっと見つめた。
「来週は、父さんにも来てもらってくれ。
物資系はもう大丈夫だ。
アッちゃん、マコトに来週はカメラはいらないって言って。
もう、持って行く余裕がないよ。
あと、ジンさんには、俺が戻り次第例の件を頼むって言ってくれれば伝わる」
アサヒは、寝室からお守りを持ってくると、半分を大介に渡した。
「必ず、肌身離さず、これを持っていてほしい。
何か、力になってくれるかもしれないから」
うんうんと頷く綾子を見て、大介が笑った。
「了解。でもまだ来週も来るよ」
洗い物をしていた奈緒子が、タオルで手を拭くと言った。
「大介!あんたズボン脱ぎなさい!鎧は脱げないんでしょ?
アサヒちゃん、針と糸はある?」
「え?ボタンつける裁縫セットくらいならありますけど」
「お守り、縫い付けてあげる。どうせすぐ失くすんだから!」
奈緒子に脱衣場に押し込まれた大介が渋々ズボンを脱いだ。
巻きスカートのようにバスタオルを巻いてリビングに戻ると、奈緒子にズボンを渡した。
上半身が鎧で、下半身がバスタオル装備。間抜けな勇者だ。
奈緒子がちゃっちゃと針を走らせながら、下半身バスタオル姿の大介に聞いた。
「来週、何食べたい?」
「すき焼き、かな?
あと、母さんのオニオンスープ」
「わかったわ。仲間の皆さんの分も用意するからね!」
「こっちの味が口に合う奴ばかりじゃないから、ほどほどに」
少し話をして着替えたあと、大介は消えていった。
翌週、大介は、現れなかった。
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