第56話 食文化について考えよう

「ごめんね。会社の同僚から仕事の確認の電話きちゃって」


 スマホを手にアサヒが時間を置いて席に戻ると、ハルカは少しは落ち着いたようだった。

 マコトは、ヤツとやらの名前はわかったのだろうか?

 アサヒ、掘り炬燵、ちゃんと座って大丈夫だぞー。


「なんのお話をしていましたっけ・・・。

 えと、異なる文化圏に対して、安易な発想のクールジャパンもどきの押し付けは危険なんですよ」


「あの、まぁ、でも喜んで食べているとかだけのビデオですし」


「締めはちゃんぽんか。入れるねー」


「中国料理と中華料理の違いを、理解されていますか?」


「え?」


「中国料理は、中国本国で実際に食されている料理です。

 中華料理は、日本でローカライズされた料理です。

 日本という国に合わせて、多様な人々が、試行錯誤を重ねて、受け入れられるように努力を重ねた結果です」


「ハイ」


「カリフォルニアロールだって、お寿司という文化がアメリカに順応するために生み出されたモノです。

 当初日本の職人からは、『あんなの寿司じゃない』なんて言われましたが、年月が経った今、どこのスーパーでも普通に販売されています」


 マコトが薄ーい水割りを作ってハルカに渡す。

 ハルカはグラスを半分ほど干すと、刺身盛り合わせの中のマグロに箸をつけた。


「今では高級なお寿司のトロも、江戸時代は『下魚』です。

 劣化が早くて鮮度が落ちるので、食べられませんでした。

 鮮度を保存する技術と物流の向上が、寿司文化を進化させたのです。

 カリフォルニアロールも寿司文化に変化をもたらしたのでしょう」


「お椀だしてー」


「食は文化です。

 気候・風土・歴史が育んだ文化です。

 人の血が流れているんです。

 一朝一夕で培われるものではありません。

 今では普通に食されているトマトも、最初に日本に入ってきた時は観賞用や薬用だったそうです。

 江戸時代に入ってきたトマトが、洋食文化で食されるようになったのは大正時代と言われます。


 西野さん、あなたはどこかよくわからない国の、よくわからない食材で作られた、食べたことのない物を差し出されて、簡単に口にしますか?

 ましてや未知の味のそれを美味しいと思えますか?」


「いえ、どうでしょうか」


 ハルカが険しい顔でちゃんぽんを啜る。


「それを簡単に・・・。一番気になった動画があります。

 雪に閉ざされた寒冷地で食事をするシーンです」


「ああ、あのカレー作ってたやつ?現地の人とアザラシみたいなの仕留めて食べてたね。みんな結構美味そうに食ってたじゃん。現地の人も」


「最初、現地の方が生肉をすぐにそのまま食べるよう勧めていました。

 おそらくイヌイットと同じような食習慣で、寒冷地のため野菜が育ちにくく不足しているビタミン類を補うために、あえて『仕留めたばかりで菌が繁殖していない安全な生肉』の状態で食しているのです。

 それを安易に加熱して、貴重な栄養素を壊すとは何事ですか!」


 またヒートアップしてきたのか、ハルカが空のグラスをアサヒにグッと差し出す。

 ハルカ、ほっぺがほんのりピンクなだけだねぇ。


 アサヒがグラスに焼酎と水と氷を入れて、両手でハルカに渡す。

 ずいぶんと水ばっかだな。というかボトルの栓がしまったままだ。それは氷水というのだ。


「すいませーん。ゆずシャーベット3つお願いしますー」


「GHQじゃないんだから、ギブミーチョコレートですか?

 上から目線で、占領軍ですか?

 あの世界の方々の文化を侮辱していますね」


「ほら、シャーベットきたよー美味しいよー」


「あ、もう良い時間だね」


「先日の動画で椎茸や昆布で出汁をとっていましたが、あれも気になっているんです。

 今でこそUMAMIバーガーなどが出てきましたが、旨味成分というモノが海外で定着するまでに・・・」


 マコト、もう動画見せないようにしなよ。


 ******


「アッちゃん、今日は5千円だけお願い。あとは俺出すから」


「え、割り勘で大丈夫だよ?

 本当に勉強になったし、楽しかったよ」


「いいから。今度飲むとき多めにしてくれればオッケーだって」


 アサヒから5千円を受け取ったマコトは、店員を呼ぶとカードを渡した。


「お会計で。『今井酒店』で、領収証お願いします」





 駅の西口まで戻ったアサヒは、会った時と変わらずスッと背筋を伸ばして去るハルカと、こちらを振り向き拝むようなジェスチャーをするマコトを見送った。


「雪村さん、ゆっくり休んでね」

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