すきを見つけて

茅花の芽

第1話

 子は親に似る——。いつだったか耳にした、そんな言葉。遺伝子がどうのだとか、染色体がどうのだとか、そんな話だったような気がする。

 だけどそんな小難しい話なんてどうだって良くて、ただ親の元で生まれ育って、甘えたい時は甘えて、愛情を注がれて生きてきているのだから自然と似ていくものなんじゃないかな、なんて見当違いなことを考えてたんだっけ。


 子は親を見て育つ——そうだ、そう言い換えてみてしっくり来たんだった——なんて思い返してみても、今は何だかそれでも少し違うような気がした。

 しばらくそうして悩んでみて、手を顎に添えれば自然と気分も上の空。首を傾げてみても、呆然と見上げた天井が視線に沿って傾くだけで、答えが出てくることはなかった。


 結局どうでも良くなって、変に沈んだ気持ちを振り払うように止まっていた手を動かす。今日は週末だってこともあって、取り込んだばかりの洗濯物がまだまだ山を築いていた。

 いつも通りの光景だった。次は……下着か。


 気持ちを切り替えようとして、ふと気付く。


「あれ、どこ行っちゃったかな」

 先に妹のものを探そうとして山を漁れど、それは見当たらなかった。運ぶ途中で落としたのかもしれない。そう思って少し辺りを見渡すと、不意にゴソゴソ——と、物音が聞こえた。


 二人掛けの小さなソファだった。狭いリビングには少し贅沢な、背の低い白いソファ。じっと見つめていれば、そこに二つ並んだ大きなクッションがもぞもぞと動く。続けて小さな足がクッションの下からちらりと覗けば、思わずため息が漏れた。

 またか、なんてもう何度思ったことか。よいしょと腰を上げると、わたしはそのままソファの元へと向かった。


「こーら、ダメでしょ」

 クッションを持ち上げると、その小さな影はようやく姿を見せた。器用に体を丸めながら、上手いこと隠れていたらしい。わたしが叱ってみせれば、その白い布切れをぎゅっと握りしめる朧げな瞳が、瞼を擦りながら小さな欠伸をしてみせた。

 無邪気な犯人だった。呑気なもので、どうやら寝ていたらしい。


 まだ幼い——今年で6歳を迎えたばかりの子供には、もうすっかりと染まった茜色は温もりの恋しい頃合いだろう。

 寝ぼけたまま、手元から落とされたものを拾い上げる。犯人を見やれば、クッションだけは抱きしめたまま、ボケーっと座り込んでいた。

 もはや、怒る気にもなれそうにない。


ゆきちゃん、あんまりさくらのもの取っちゃダメだからね」

 念の為そう告げてみるも、小さな犯人——雪ちゃんはきっと聞いちゃいないだろう。何度注意しても、いつも懲りずに妹の下着を狙っては知らない間にこっそりと抜き取っている。

 二人の仲の良さを知ってるからこそあまり咎めはしないものの、特に楽しいようなことでもないだろうに、不思議なものだった。


 家が隣同士なこともあって、家族ぐるみで昔から仲が良かったからわたしとしても妹のように思っているし、こうして気軽に過ごしてもらえてると思うと嬉しい部分もある。

 それに妹の桜と同い年で、仲の良い友達——そしてわたしの幼馴染の妹、ともなれば互いに遠慮もいらないだろう。


 とは言え、桜はこれをどう思ってるんだろう。いや、鈍感な妹のことだ、気付いてすらない可能性も全然ある。


「ほらほら起きて。もうすぐ小冬こふゆお姉ちゃんも帰って来るよ」

「……さくらちゃんも来る?」

「うん。あーでも、雪ちゃんが寝ちゃってたら桜も遊べなくて悲しんじゃうかもよ?」

「え……だめ! お、起きてるもん!」


 まだコクコクと船を漕ぎ続けていた雪ちゃんの肩を揺すって、耳元でこそこそとしていると、うとうとと泳いでいた焦点は次第にわたしを捉え、慌てたようにクリリとした瞳が現れた。

 眠気もさっぱり吹き飛んだようで、子供らしい切り替えの良さと、ソワソワと落ち着かない様子に思わず笑みが溢れる。


「そうそう、これなら桜も喜ぶね、きっと」

「うん!」


 実の姉だというのに、どうやら小冬お姉ちゃんには無関心なことで。


 よしよしと頭を撫でてあげれば、心地良さそうに表情を崩す。気付けば、小さな犯人はすっかり上機嫌なご様子で、下着のことなんてきっと忘れてしまっていることだろう。


 こんなはずじゃなかったんだけどな、なんて思いながら、中断していた洗濯物の作業を再開する。

 そして崩れた山をまた漁るようにして、気付く。


「あれ、わたしのも無い……」


 全く、困った日だ。

 反射的に雪ちゃんを見れども、まだ何かを隠しているような素振りはない。さっきのこともあって疑ってはしまうものの、あの子ではないのだろう。

 時々あることだった。わたしのミスではないと思いたいけれど、次の日に洗濯物を取り込んでいると、何故かあったりする。

 それなりの出費になるだけあって失くすわけにはいかないものの、変に取り乱すこともない。


 ソファの上で元気よく歌を歌っている雪ちゃんをちらりと見る。


 互いに父親を交通事故で亡くして以来、こうしてそれぞれの家に泊まるようになったのも、まだあの子達がもっと小さな頃のことだった。

 お母さん達はパートで忙しくて、家を空けることも多いから、代わりにわたし達が家事や幼い妹達の面倒を見てたりする。それももう、高校生にもなったわたし達の役目だった。


 わたしの部屋だって、幼馴染との共同部屋になってから随分と長く経つ。

 困ったら、小冬に頼めばいいだろう。割とズボラちゃんなのだ。わたしの幼馴染は。


「さてと、あと半分……っ!」

 わたしの家の分だけ先に終えると、あとは雪ちゃんたちのものだけが残る。こちらは特に不揃いなものは……まあ、無いか。

 時計を見ると、もう短針は六時を指していた。日もすっかり暮れていて、薄暗くなった空を見上げながら窓のシャッターを閉めていく。部屋の明かりは雪ちゃんが点けてくれた。


「ただいまー!」

 そんな元気な声が玄関から聞こえて来たのも、シャッターを閉めた直後のことだった。

 小刻みな足音を響かせながら、玄関から小さな影が姿を見せる。そのまま一目わたしを見たかと思うと、途端にパッと笑みを咲かせて、飛びついて来た。


「お姉ちゃんおかえりっ!」

「もう、ただいまでしょ」

「ん、ただいまっ!」

「よしよし、おかえり」

 わたしの腰にぎゅっとしがみついては、ぴょんぴょんと体を揺すられる。頭を撫でてやれば大人しくなって、だけど緩みきった頬がもっとと強請ねだる。


 元気で我儘な妹だ。

 全く、誰に似たのか——とふと思って、ハッとする。なんだか、モヤモヤと漂っていた蟠りが解けたような気がした。


 ついさっき脳裏を過った、些細な疑問だった。


 わたしも小さな頃、お母さんにこうやって甘えては、頭を撫でてもらうのが好きだったなと、桜を見ていて、そんな昔の自分を思い出す。

 似るのは別に、お母さんじゃなくたっていい。お父さんでも、わたしでも……。


 そっか、そっか。わたしに似ちゃったか。

 元気いっぱいで、もうそれは手の掛かる妹なわけだ。きっと桜たちはお母さんよりもわたし達に懐いてしまっていることだろう。お母さんとの繋がりが薄れていって悲しいようで、それでもって働き詰めなお母さんを見て育たなくて良かったようで、少し複雑な感情がい交ぜになる。


 しばらく撫でてあげれば、満足したのか雪ちゃんに手を引かれるまま、その小さな背中はソファへと飛び込んでいった。はしゃぐような声だけが置き去りになる。


 ……まあ、元気が一番だよね。


小春こはる、ただいま〜」

 そんな微笑ましい光景を眺めていると、ふと後ろから声が聞こえた。どこか間延びのする、落ち着いた声だった。振り向けば、両手ともに抱え込んだスーパーの袋をテーブルへと並べる幼馴染の姿が目に入る。

 桜の足でも行けるほどの距離とはいえ、随分と買い込んできたらしいびっしりと詰められた袋は、歩くのにも一苦労なものだっただろう。ふぅ、と一息吐くと肩の力を抜いて、明るいブラウンのポニーがその尻尾をふわりと揺らす。

 ゆっくり、端正なその顔はこちらへと向けられた。


「おかえり、小冬」

 ぎゅっと、わたしよりも少し背の高いその背中に抱きついたところで、不意に先ほどの桜が脳裏をかすめて、苦笑いしてしまった。

 こういうところが似ちゃったんだろう。


「二人とも、そっくりだよねー」

 小冬も手を止めれば、仕方がないとばかりによしよしと細長い指でわたしの髪を撫でる。肩口まで伸びてきたそれも、もうそろそろ頃合いかもしれない。指に沿って波を描けば、首元がなんだかくすぐったかった。


 小冬の言葉に対抗心が芽生えたところで、それもすぐに有耶無耶うやむやになる。

 ただわたしは労わってあげてるだけだから……とでも言えたら良かったのだろうけれど、小冬の腕の中でこうされていることに、満更でもない自分がいるのも事実だったから。


「そ、そんなこと……」

「あるよー。小春も桜ちゃんも甘えん坊さんだからね〜」

「……む」

「あはは、お菓子買ってって駄々捏ねてた桜ちゃんと同じ顔〜!」

「……ふん」

「あー、ごめんごめん。……お疲れ様」

「……うん。小冬も買い出しありがとね」


 そう一息漏らせば、頭を撫でてくれていた手が徐々に沈んでいって、背中を少し過ぎたところで……ピタリと止まった。ハッとしたように息を飲み込む音がして、少し速くなった小冬の鼓動が耳朶じだを打つ。

 柔らかな感触に埋もれて、塞がれた視界に小冬の顔が映ることはないけれど、わたしを抱く腕の力が不意に弱まれば、少し分かったような気がした。


「……結局、お菓子買ってあげちゃったなー」

 小さく、漏れた声。


 ……きっと、疲れているんだろう。


「お風呂、沸かしておいたからゆっくりしてね」

 一言掛けると、一度強く抱きしめてから体を離す。普段から桜たちの送り迎えや買い出しを頑張ってくれているだけあって、やっぱり疲れは溜まっているのかもしれない。

 頷いてはくれたものの、その揺れるような瞳は、わたしの視線から逃れるように地面へと向いていた。俯いたその表情は、どこか優れない。

 あまり見ない小冬の様子に、少し戸惑う。


 わたしは台所を一瞥すると、冷蔵庫に留めてあるカレンダーを確認する。幸いにも明日明後日と、特に予定は入っていない。

 ……もう一度、小冬を見る。


 今日くらい、肩の力を抜いてみるのもいいかもしれない。


「それじゃあさ、わたしが洗ってあげようか? ほら、昔みたいに!」

 だからそれくらいの時間なら押しても平気だろうと、軽い気持ちで提案したつもりだった。

 わしゃわしゃと、元気づけるつもりで肩を揉む。


「だ、だめだからっ!」

 けれど、帰ってきたのは強い否定の言葉だった。慌てるように顔を上げて、真っ赤に染まった頬を上下させながら小冬が息を吐く。

 そしてすぐに何かに気付いたようで、わなわなと震えた口を衝くと、わたしに迫る。

 

「ち、違くて! 小春が嫌な訳じゃないよ? む、寧ろウェルカムっていうか、あっ、いや、えっとこれも違くて、そのぉ……」

「もう、分かってるって」

「……ほんとに、違うからね?」

「はいはい。なんだったら、結構元気で安心しちゃったかも?」

 笑いかければ、小冬も安心したように頬を緩めた。久しぶりに一緒に入れるとばかり思ってただけあって少し悲しくはあったものの、せっかくの機会ともあり明日はどうかと流れで聞けば、小冬は渋々と頷いてみせた。


 小学生の頃以来になる。わたしはそれなりに上機嫌な中、小冬は恥ずかしいのかモジモジとしながら、まだ畳み終えていなかった洗濯物の山から着替えだけをそそくさと手に取っていた。

 結局、疲れていた様子でもないらしい。着替えを抱き抱えながら、時折わたしを見ては目が合って、さっと視線を逸らすのだ。もはや心配していただけ損したような気分になる。


 コロコロと落ち着かない情緒は姉譲りか。

 桜に抱きつかれて嬉しそうに目を細める雪ちゃんをちらりと見て、脱衣所に向かい始めた背をもう一度見返す。


「あ、小冬! そう言えば、わたしのがまた無くなっちゃったみたいで、まだ新しいもの残ってたり、しないかな?」

「はっ?! あ、いや、な、ななな、なんのことかなー?」

「えっと……下着、なんだけど」

 肩を大きく揺らして驚く小冬に、さすがにもう余ってないかと不安が募る。借りる側として申し訳ないものである上に、失くすにしても頻度が過ぎることもあって、小冬からしても困ったものだろう。

 狼狽えているように見えて、きっと内心は困惑していることだ。


「明日一日! 明日一日丸々あげる! 家事でも身の回りのお世話でも何でも……何でもするから!」

 だから一生のお願い! と、少し大袈裟に頼み込んだところで、ニコニコと満面に笑みを浮かべた小冬がひたすらに首を縦に振ってくれたこともあり、わたしの平穏はきっと保たれたことだった。

 それほどには死活問題だろうし、明日はどんな可愛いお願いが待ってるんだろうなんて寧ろ楽しみなところだってある。


 わたしのミス……らしいものが原因だけど、鼻歌まで歌い始めて、上機嫌にスキップで脱衣所に入って行った小冬を見て、わたしもホッと一安心する傍ら、どこか満たされたような心地だった。


 そこからは特にこれといった出来事もなく、もう短針が12時に差し掛かる頃には、キッチンの小さな磨りガラスもすでに、蛍光灯の白模様を移すだけの板になっていた。和室は既に常夜灯に切り替わっているというのにまだ明るいリビングを通して、真っ暗なそれが目に入る。

 隣には、もう疲れ切ったらしくぐっすりと眠る桜がいた。規則正しいリズムで揺れる毛布から覗く頭は反対側を見ているものの、わたしはふと微笑むと、また目を閉じる。


 今日もいつも通り11時には寝たつもりが、偶然この時間に目が覚めたらしかった。


 目を閉じた後、カチッと音がしたかと思えば、瞼を照らす光が弱まる。小冬と雪ちゃんも、ようやく寝るらしい。


 暗闇に染まったリビングに、仄暗い和室。途端に静かになった気がした。


 少し目を開けてみれば、布団を踏まないように端を歩く小冬の影と、桜を正面に布団に飛び込む雪ちゃんの影が見える。

 お昼寝が原因かは分からないものの、雪ちゃんには明日、お説教が必要だろう。この年で夜更かしなんて……いや、それなら小冬を叱るべきなのかもしれない。


 そんなことを考えていると、ガサゴソと桜の奥から音がした。そしてその音に反応したのか、桜がモゾモゾと身を捩れば、毛布の中に入り込む侵入者をぎゅっと腕の中に納めて、また落ち着いたように静かになる。


「……さくら」

 不意に聞こえたその声が、雪ちゃんから発せられたものだと気付くまで、暫くかかった。

 寝ぼけるには早すぎるし、何しろ飛び込んできたばかりだ。それに初めて聞く呼び捨てだというのに、それすら気にもならない囁き声で……。


 どこかで少女漫画でも読んだのかもしれない。そう、多分きっと、それだけのことだ。それに、そう聞こえただけかもしれないし。


 よく見れば毛布の動きで、雪ちゃんが桜を抱き返しているのが分かる。ただの妹同士の可愛いじゃれ合い、と思うにはなんだか少しだけ、胸が騒つくような感じがした。

 だけどそのまま雪ちゃんは、その顔を桜のそこへと近づけていく。


 まさか——と、思った。


 わたしからは、それ以上は見えない。だけど、聞こえていたはずの桜の微かな寝息が、湿ったような音の後から聞こえなくなれば、流石にそれを察せられないほどわたしも鈍くはなかった。

 顔が、熱い。頬が、どうしてか熱を持って、心臓の音がやけにうるさい。


 止めないといけないことのようで、どうして止めないといけないのかも分からなくて、その中で寧ろ、その事実に安堵していた。


 雪ちゃんが、桜を——。

 下着を盗んだり、抱きつかれて嬉しそうだったりしたのも、そう言うことだったのだろう。色々と腑に落ちて、そこまでいって仕舞えば、桜も早く気付いてあげなよと言いたくなる。


 全く、鈍感な妹だ。


 耳を澄まさずとも、聞こえる音——どうやら雪ちゃんは少し、激しいらしい。

 桜ももし気付けたならと思うと、その先を思い描いて少し、頑張れと応援しようと思った。


 はぁ、もうそろそろ寝よう。そう思って目を閉じれば、全部忘れられそうな気がしてくる。

 気を紛らわせたくて寝返りをして、桜達に背を向ければ、いつの間にか小冬も布団に入り込んでいたらしい。外の空気の抜け切っていない、少し冷たさの残る程よいその温もりに、ぎゅっと抱きつく。


「こはる……っ!」

 腰に回された手と、塞がれた唇。


 そこにもう、言葉は必要なかった。

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