君に死んで欲しかった

草木 一

第1話 君に死んで欲しかった

*君に死んで欲しかった*




「君に死んで欲しかった」


最期の日に彼女ははにかみながらそう言った。その穏やかな顔を覚えている。



***


 彼女は、活発で快活で、気持ちの良いぐらいさっぱりしたまっすぐな人だ。過ごす場所が、部屋の寝台の上であっても、彼女は彼女だったと、僕は覚えている。


 彼女の荷物を整理する。といっても、ほとんど僕らの荷物だから大して考えなくても十分できる。手を付けなかったのは彼女の本棚。彼女に大事されてきたこいつらは、彼女と別れたことに気がついたのだろうか。いや、下の方の本は確かとっくに“さとみ”のものになっていたような気がする。


「……ふぅ」


 疲れやすいからだは息を吐いた。それでも、僕が生きているので重い腰を上げて作業に戻る。彼女が本読みだったように僕は写真撮りだった。この時代に“写真を現像”するやつは珍しいらしいが馴染みの店ならやってくれるだろう。幸い、使う予定のない金ならある。


 積み上げられたフィルムケースから必要なものを取り出し使い馴染んだ鞄に押し込む。細かいことは全部若いやつに丸投げしてしまっても、譲れないことがあった。それは、遠い日の軽口の続き、忘れてしまいそうなある日のこと。


「父さん、選び終わった?」


初めて聞いたときよりもずっと低くなった声に「あぁ」とだけ返す。


「じゃぁ、かして、俺が持つから」

「これは、自分で運ぶ」

「……意固地だなぁ」


 柔い気遣いも跳ね飛ばし、歩を進める。へコヘコとした歩き出しを呆れながらも許されるのは年をとったお陰かも知れない。


「さとみちゃんには退屈な時間だろうな」

「聡美も少しはわかってるよ」

「かぁさんの本、欲しがってくれるかな」

「たぶん、本の虫だから」

「そうか」


 短い会話がぽつりぽつり、馴染みの店までの距離はこんなにだっただろうか。



 店に着くと奥から店主が出てきてお決まりの挨拶をくれる。それにお決まりの挨拶で返して早速依頼の話に入る。といっても単純な話で、ここにある写真を焼き増しして欲しいという話だ。万年開店休業な店主は胸を張って引き受けてくれた。


「よかったね、直接届けてくれるって」

「あぁ」


 足取りは重く、のろのろしている。けれども二人、並んで歩いた。


***



 正面に掲げられた写真はこの式典の主役が誰であるかを堂々と示していた。とびきり良い写りの写真なのできっと文句は言われないはずだ。着慣れなくなって久しい礼服を着込み、ところ構わずうろつきながらそんなことを考えていた。そんなことを考えるほど僕がやることがないのだ。


 棺の中で横たわる彼女は白く、初めて見る色をしていた。そばに添えられた花はピンクや、黄色などの華やかな色である。彼女が好きな花はそう言う花だった。僕は、被写体としてしかみてなくて、注文するときに名前を知って、もう忘れた。


「いやぁ、お待たせしました」


 会場に小走りで入ってきたのは現像を依頼した店主だった。着慣れていない感丸出しの礼服と、忙しい動きは彼らしく、沈んだ会場に色が増えたようだった。


「ご注文通り、全て、現像できました!お確かめください」


 そっと広げられたアルバムには注文通りの写真が並んでいた。一枚、一枚を眺めながら、


「ありがとう」


自然に声が出た。


「いやぁ、ご満足いただけてよかったです。で、こちら何に使うんですか?」

「燃やす」

「えっ?」


予想外だったのか店主が固まる。


「こ、こんなに綺麗な写真なのに、ですか?」

「そう、だから、彼女に持たせる、約束だから」


 いつもより、口が饒舌に回る。彼女のことを“彼女”と呼んだのはいつぶりだろうか。彼女に“君”と呼ばれたのもいつぶりだったろうか


「そうですか、……はい、お役に立てて何よりです」


鼻声の店主の声は優しく柔かった。彼の父によく似ていると思った。



***


 式は恙なく進んだ。大抵のことは、僕がやらなくてもよかった。きっと今後何があっても、僕にできることはないと思えるぐらいには。



 最後の別れの時、花に埋もれた彼女を、僕の写真で埋めてやった。まぁ、常識の範囲内で。


「君が、先に死んでよかった」


 老人の掠れ声は誰にも受け取られずに棺に転がった。



***


「ねぇ、君が先に死んだら、君の棺いっぱいに私の小説を入れてあげる」


「え、なに、嫌がらせ?」


「もっとロマンチックに考えてよ」


「……難しいこと言うなって」


「君がさみしくないように、私のものを持って行かせてあげるってこと」


「ほぉ、なるほどな。それじゃぁ君が先に死んだら、僕の写真を入れてやるよ」


「……えぇ、私のが長生きするよ」


「そんなのわかんないだろ」


「そうだけど、私は、君に死んで欲しいな」


そうやって、あの日の彼女は穏やかに笑ったのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

君に死んで欲しかった 草木 一 @Soumoku_Hajime

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ