第35話 ビシュマールの職人街への訪問
普段着と言われたアイリは、精霊の森へと帰還して神獣であるホーリースパイダーにいつものように衣服の仕立てを頼んでいた。小さい頃から御主人様の世界の洋服のイメージを伝えてきたおかげで、細かいリクエストにも答えてくれる服飾のスペシャリストだ。
「春らしく白のフリルブラウスにピンクのプリーツスカート、それからベージュのベルトをお願い!」
「ついでだから、蝶々リボンも付けてあげよう……ほら、できた」
「わあ、いつもありがとう!」
防御術式を混ぜ込んだ特殊な光沢を帯びた布地は、アイリが幼い頃から愛用してきたホーリースパイダーの糸によるものだ。
白虎を契約獣にしてからというもの、距離の制約が無くなったアイリは以前のように精霊の森とアイリッシュヴォルドを行き来するようになっていた。
「それにしてもこんな小さな子供だったアイリがここまで大きく成長したなんて感慨深い。身長だけならドリーと変わらないんじゃないのか?」
含みのある言葉と胸の位置に集中した八つの目から感じる視線に、私は少し顔を赤らめて反論する。
「うっ……これでも少しは成長しているんですぅ! そのときは、またお願いね!」
「ふふふ、わかった。またおいで、アイリ……」
ホーリースパイダーに別れを告げた私は、再び白虎にお願いしてアイリッシュヴォルドの領主館に戻っていった。
◇
領主の館の一室で新しく仕立てた衣服に着替えた私は、チェスターさんとアレックスさんが待つロビーへと移動する。
「お待たせ、用意はできたわよ! 新しい春の服を新調したんだけど、どうかしら?」
「……いやぁ、俺としてはそこまで用意しなくていいんじゃないかと思うぞ」
「チェスター隊長、そこはよく似合っていますと褒めてあげるところでしょう。だから、いつまで経ってもいい女性に出会えないんですよ」
「うるせぇ、俺の事はどうでもいい! 似合いすぎているって、お前だってわかっているんだろ?」
チェスターさんの言葉にアレックスさんが私を上から下まで見回すと、顎に手を当てて確かにと呟くのが聞こえた。真面目なアレックスさんでも問題を感じる何かがあるのかと、少し不安になって問いかける。
「似合いすぎているって、どういうこと?」
「お嬢は文字通りお嬢なんだってわからされただけで、たいしたことじゃありません」
「何よ、それ。よくわからないけど、問題ないならビシュマールの離宮に隣接した街を見学に行くわよ!」
フレドリック王子は王都から少し離れた鍛冶師たちが集まる街で工房を構えているらしい。離宮から職人街に通っていることから変わり者と称されているとお祖父様が調べてくださったけど、肩肘張らなくて良さそうだから助かったわ。
白虎が伝えてくれたライオネルさんからの伝言によるとビシュマールにも美味しい農作物があるそうだし、早めに行って調査するのよ!
「じゃあ王子の工房がある街までお願いね!」
「承知、では行くぞ!」
白虎の合図と共に旋風が巻き起こり、私たち三人と一匹は見知らぬ街の門前に立っていた。セントイリューズと違って少し乾燥した気候のようで、風が吹くと砂埃が舞い上がる。
「ここが、地図に記載されていたロクスターの街ね!」
「王都に通じる南門とは逆の北門に移動したぞ。主人が目的とする食料は、北の市場に近い方が良かろう」
「そうなのね。ありがとう、白虎!」
お礼に首のあたりをわしゃわしゃしてあげると、白虎は気持ちよさそうに目を細める。
しかし、そんな様子を見ていた門番は突然目の前に現れた私たちを不審に思ったのか急いで近づいてくるのが見えた。
「おい、お前たち! いったいどこから現れた! その獣はなんだ!?」
どうやって説明しようかと考えを巡らせていたところ、チェスターさんが私の前に出て毅然とした態度で返答した。
「我らは貴国の第三王子フレドリック殿下のお招きにより、セントイリューズ王国からやってきた使者です。こちらは殿下の従者、ライオネル殿の友人である四聖獣が一角の白虎殿です。ここまで我らを運んでくれました」
「おお、フレドリック王子の客人でしたか。これは失礼いたしました。どうぞお通りください」
普段のチェスターさんからは想像もできないような礼儀正しい受け答えで、門番さんは納得してもといた場所へと戻っていった。
「チェスターさんも隊長さんだったんだって、わからされた気分です……」
「ブフッ! お嬢、笑わせないでください。今のは、かなりツボにきました」
「笑うな、さっさと行くぞ!」
少し照れくさそうにしたチェスターさんの後をついて街の北門を通ると、その先には市場が開かれていた。あまり食料は豊富ではないという話だったけれど、セントイリューズやサウスクローネとは違った作物が並べられているのが興味を引く。
「お祖父様の書庫で見たように豆や芋を主食にしているのね」
その他にはトウモロコシ、トマトや玉葱、ニンニク、ライムにパクチー、アボカド、バニラ、唐辛子といったものが見掛けられる。これらを輸入すればピザやバニラアイスクリームの出来上がり。豆や芋も加工すれば色々なお菓子に使えるかもしれない。
もっとも、これらの作物の実や種芋を持ち帰ればセントイリューズでも栽培できるけど。
せっかくだから買って帰ろうと思ったところで、南大陸同様にこの国の通貨に変えないといけないことに気が付いた。送られてきた地図を持つアレックスさんに尋ねると、市場を抜けた街の中心に各ギルドの支部が集まっているそうだ。
「じゃあ、セントイリューズ金貨をこの国の金貨に変えてもらいに行きましょう」
「お嬢、今度は商業ギルドで演算宝珠を作ったりしないでくださいよ。この国でも、お嬢の演算宝珠は十分すぎるほど異常ですからね」
「大丈夫、この国で作る演算宝珠は聖法陣を組み込むから。記憶容量が圧迫されて、たいしたものは作れないわ」
私の言葉に安心したのかアレックスさんは地図を見ながら街の中央へと先導していく。その途中で、道を行く人たちが乗っているものが目について足を止めた。
「……自転車を作っているとは思わなかったわ」
「あの、二輪の乗り物のことか?」
「ええ。タイヤの柔軟性が不十分なようだから道が舗装されていないと使えないでしょうけど、こちらの鍛冶師はなかなか良い腕をしているみたい」
ノームとサラマンダーの助けがなければ最初の一台が作れなかったかもしれないセントイリューズと違い、ビシュマールなら魔導自動車の骨組みを自前で作れるかもしれない。少なくとも、魔導モータでパワーアシストした自転車はすぐに作れそうだわ。
ビシュマールの想定以上の技術力に、更なる文明の発展に向けた可能性を見つけた気がして私は思わず頬を緩めた。
「ご満悦のところ水を差すようで悪いが、あまりビシュマールに肩入れしすぎるなよ? 腕が良い鍛冶師とお前が組んだら抑えられる国はないんだからな」
「もう、わかったわよ。でも、フレドリック王子がいるなら放っておいてもかなり発展しそうね。魔導モータを動力として使わない自動車ができてしまいそうだわ」
別に文明の発展に演算宝珠は必須ではない。同じ完成形のイメージを持っているのなら、やがては実現することができるでしょう。
それにしても、イリス様から知らされていなかったことを考えるとフレドリック王子は召喚されたわけではなくこの世界に自然に迷いこんだ魂ということだ。であれば、御主人様やミルドレッドさんと違って特殊な力を持たないはず。そんな彼が純粋に知識と努力だけで自転車を作り上げたのは尊敬に値するわ。
そうして私はまだ見ぬ第三王子の努力と熱意に感心しながら、街の様子をゆっくりと見物したのだった。
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