辺境の演算宝珠職人
第5話 辺境の街で演算宝珠職人になりました
商業ギルドに鳴り物入りで招かれたという希少な演算宝珠職人の出現と、店番を務める女性の美しさが街の噂になり、アイリの店は次第に賑わいを見せるようになっていた。
カラン、コロン♪
「いらっしゃいませ!」
今日もその噂の店舗で、出入り口に取り付けられたドアベルの音に弾けるような笑顔で客を迎えるアイリの姿があった。
「おや、お嬢ちゃん。今日は一人みたいだがドリーさんは留守なのかい?」
「今は中庭で日光浴をしていると思います。あと私の名前はアイリ、これでもれっきとした演算宝珠職人なんですよ!」
「ほお、そいつは驚いた。よろしくな、アイリちゃん。俺はロイド、職人街で鍛冶屋を営んでいる。今日はこいつを見てもらいたくてきた」
そう言ってロイドさんが差し出したのは、高熱を発生させる魔法陣を内包する演算宝珠だった。本来の性能を発揮していれば手に持てないほどの熱を常時発生しているはずだけど、今はその輝きを失っていた。
「うーん、鍛冶に使う
「ずっとって、普通は魔力切れまで使い潰すものじゃないのか?」
「いえいえ。ほら、この魔導オーブンや魔導コンロのように使う時だけ火や熱を発生させればいいんですよ」
店の棚に置いていた調理向けの魔道具を取り出して魔石に手を翳して火をつけたり消したりして見せると、ロイドさんはポカンと大口を開けて固まった。
何か変な事を言ったかしら。ひょっとして火の調節ができないような、低機能な魔道具と思われているのでは!
「もちろん、このように手元の魔力を調整すれば火の大きさや熱量も自由自在ですよ!」
この私が作り出した演算宝珠がそんな低機能だと思われては困る。魔導コンロから出る炎を小さくしたり大きくしたり、空気の量を調節して青い炎にしてみたりとデモンストレーションをした。
「はあ!? そんな都合良く魔法を調節できるわけがないだろ! こいつに使われている演算宝珠はどうなっているんだ?」
「どうって単なる三重魔法陣です。火魔法を発生する魔法陣、空気を送り込む魔法陣、それら二つに送り込む魔力を調節する魔法陣。ほら、たった三つの魔法陣で実現できるじゃないですか」
ロイドさんの目の前で指折り数えて簡単なお仕事ですと断言する。魔導オーブンの方が、タイマーが付いている分だけ複雑だけど説明に時間がかかるから割愛するわ。
「いやいやいや、こんな小さな魔石で三つも魔法陣を組み込んだ演算宝珠ができるわけがないだろ」
「そこは魔法陣をゼロとイチの二進数のデータに変換して圧縮してから記憶領域に格納すれば解決します。圧縮で稼いだ領域に
百聞は一見に如かず。実際に手持ちの魔石で魔導コンロに使用している演算宝珠を作ってみせる。
「こうして未加工の赤い魔石を手に包み込んで、魔石の擬似魂と同調してリンク……表示領域生成、演算領域生成、記憶領域生成、三重魔法陣転送、解凍術式転送……最後にファイナライズ!」
手を開くと特殊な錬金術により演算宝珠と変えられた魔石が青い光を放っていた。魔力を送ると三重の魔法陣が浮き上がる。うん、完璧だわ!
「アイリちゃんの話はさっぱりわからねぇが、とんでもない腕前だってことはわかった。とりあえず今まで使っていた演算宝珠の代わりになるものを頼む」
私は口に人差し指を当てて少し考えた後、ロイドさんに返事をする。
「わかりました。でも火は危ないから、今から直接出向いて組み込みます」
「そうか。じゃあ、すまないがよろしく頼む」
私は軽く頷くと、準備があるからとロイドさんを店内で待たせて店の裏口に向かった。勝手口を開くと、燦々と太陽の光が降り注ぐ中庭の中心にドリーの苗が青々とした葉を風に震わせている。その苗に水をかけて合図をすると、ややあって見慣れたドリーが姿を現した。
「少し出掛けてくるから、留守番をよろしくね」
「はいはい、気を付けて行ってくるのよ」
「街の中なんだから大丈夫よ、じゃあ行ってきます!」
私は店内に戻って適当な大きさの魔石を見繕って鞄に入れると、ロイドさんを伴い店の出入り口から外に出た。
「ん? 鍵とか掛けなくていいのか?」
「ドリーに留守番を頼んできたし、結界が張られているから大丈夫!」
「結界!? 神殿かよ!」
神殿の結界? ひょっとして、イリス様の許可を得ずに立ち入った者を雷で焼き払っている自動迎撃システムの事を言っているのかしら。あれは結界ではなく
「神殿の結界ほど強くはないです。悪い人が入れないだけで、間違ってもイリス様の結界のように問答無用で天罰を下したりはしません」
「そうか……もうアイリちゃんの店の事で驚くことはやめた。職人街はこっちだ」
思考を放棄した勢いで歩く速度を上げるロイドさんに私は急いでついて行く。しばらくすると細工屋や木工屋など、商店街では見慣れない店が立ち並ぶ区域にやってきた。
「そういえば金属の箱とか調理器具とかも発注できるようにしないといけないわ……冷蔵庫やオーブンの筐体とか泡立て器やクッキーの型なんか作っていられないものね」
今まではサラマンダーやノームのおじちゃんに頼めばすぐできたけど、美食に必要な機材は人間自身の力で作れるようにする必要があるわ。
そんな独り言を聞いたロイドさんが私の方を振り返ってニヤリと笑う。
「なんだ、金属の箱ならうちでも作れるぞ? その分、演算宝珠のお代を安くしてもらうと助かる」
「安くと言われても、鍛冶用の演算宝珠なんかパン十個くらいの値段で済みますよ?」
さっき作った魔導コンロ用の演算宝珠と大して変わらないし、違いは魔石の大きさくらいだった。フォレストウルフの魔石では無理だけど、フォレストマッドベアーの魔石で十分な火力が出せるはず。
「ミスリルやヒヒイロカネも扱うならシルバーファングの魔石を使いますから、パン百個くらいの対価をいただくかもしれません!」
「……アイリちゃんは相場ってもんを学ぶ必要があるなぁ。そんな高性能な演算宝珠はパン百個じゃなくて、金貨百枚くらいはするもんだ。だが、そんな魔石がこの街で手に入るのか?」
「街で売っているかはわからないけど、シルバーファングの魔石なら沢山持っています」
サブコアに使っているエンペラー級の魔石と違って、シルバーファングのような中級魔獣の魔石は十年におよぶ狩りの成果で十分な在庫があった。生活魔道具として使うにしては大きすぎるので、自分自身が使う機会もなかったのだ。
「まあ、とにかく道すがら物の値段を教えてやるから、販売価格を見直す事だな。アイリちゃんは稀代の演算宝珠職人なんだから安売りはいけねぇ!」
「ふふふ、そこまで言われたら見直すしかありませんね! ありがとうございます!」
広く普及させるのが目的だから値段はあまり考えていなかったけど、ロイドさんが安売りはよくないと言うならそうなんでしょう。ドリーの結界を抜けて店に入ってこられたロイドさんはいい人なはずだから、きっと私のためを思って言ってくれているはず。
そう判断した私はロイドさんに物の値段を教えてもらいながら、店に帰った後の値札の変更に頭を悩ませるのだった。
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