第2話 森でのサバイバル生活に慣れました

 ドリーに精霊の森の奥地に連れてこられてから十年、十二歳となったアイリは森の神獣たちと楽しい毎日を送っていた。


「あはは! こっちにおいで、フォーくん、ピーちゃん!」


 ドリーがアイリの遊び相手として選んだのは、比較的温厚な性格をしている白狐と青鳥の子供だった。年月を経れば強力な炎を操る神狐と女神の祝福を告げるという幸福鳥となる二匹であったが、今はアイリと戯れたり狩りのお供についていったりする間柄の親しき友である。

 そんな二匹と一人が戯れ合う様子にドリーは微笑みを浮かべて親しい友に語りかける。


「人間の子供の養育を精霊がするなんてどうなるかと思ったけれど、無事に育ってよかったわ。ねえ、ウンディーネ」

「どこが無事によ! 私が何度あの子の火炎魔法の消火に駆り出されたか知らないわけじゃないでしょ!?」

「まあまあ、仕方ないじゃない。小さい頃は火魔法を使わないと威力が足りなかったのだから。大体、精霊の森の最奥で人間の子供が狩りで暮らせる方がおかしいのよ」


 人間の居住区域に近い場所と違って、精霊の森の最奥にはエンペラー級の魔獣が住んでいる。これは大精霊や神獣の幼体を守るための処置であったが、元が神聖演算宝珠であるアイリの繰り出す魔法の威力は異常だった。

 演算宝珠の記憶容量によって魔法陣の規模は限られるので魔法の威力もそれに応じた威力となるはずだったが、異世界の勇者が持ち込んだデータ圧縮技術に加えてアイリ自身を外部記憶として活用することにより、大規模な魔法を湯水のように扱うのだ。精霊の森に捨てられた当初に首にかけていた演算宝珠は王家の物だけあって質は良かったが、そこまで出来る容量ではない。アイリの繰り出す魔法はひとえに彼女自身がもつ叡智の賜物であった。


「まったく。あの子が女神様の使徒じゃなければ、湖の底に沈めてあげるところよ」

「心にもないことを言うわね。第一、そんなことをしてもアイリは水中呼吸の魔法を発動するだけで遊びにしかならないわよ? スキューバダイビングと言ったかしら。あの子の元・御主人様の記憶だと、異世界の人間は海の底で泳いで遊ぶらしいわ」

「……イカれてるわ、その世界の人間」


 アイリが話す異世界の遊戯は、一歩間違えれば命を落とすような内容も多く含まれていた。そんな末期的な娯楽に満ちた世界に負けない文化振興を推し進めることが女神様の使命だというけれど、精霊たちからしても人間が魔法も使わずに空を飛んだり道を馬より速く走ったりと荒唐無稽な話も多く、異世界の人間はどれだけ遊戯に飢えているのか皆目見当もつかなかった。


「まあ、このスイーツというものは大賛成だけどね」

「そうよね。まさか私の樹液がこんなものに化けるとは思わなかったわ」


 アイリが最初に作ったのはメープルシロップを使ったパウンドケーキやワッフルといった素朴なお菓子だったが、それでもこの世界では最先端のスイーツだった。

 火魔法にも使い道はあると、演算宝珠を使用したオーブンという魔道具で初めてお菓子を作った時のウンディーネの表情は見ものだったと過去を振り返るドリー。


「本人には人並みの食欲が欠如していたというのに、今は亡き主人の為に美食レシピを量産しているだなんて泣ける話よね」

「ちょっとドリー、勝手に御主人様を亡き者にしないで! 元の世界の輪廻の輪に戻っただけよ……って、あれ? そうすると亡くなった事は合っているのかしら」


 いつの間にか神獣たちとの遊びを終えて近くに寄っていたアイリに咎められたドリーは、自分で発した言葉の内容に一人で混乱しているアイリの様子に声を上げて笑う。


「はいはい。あなたが幼い頃に描いて見せてくれた絵本のように、恋する神聖演算宝珠がイリス様の世界を美食と遊戯で溢れさせて、いつか再び御主人様を呼び戻せたらいいわね」

「そう、それよ! そんなわけで、私は美味しいステーキを作るために狩りに出かけくるわ!」


 心の中を百二十パーセント代弁したドリーに笑顔を返して、長い金髪を靡かせて結界の外へと駆け出していく。そんなアイリに、お菓子を頬張っていたウンディーネが急いで声をかける。


「ちょっとアンタ! 火魔法は使うんじゃないわよォ!」

「わかってるー! もしもの時はお願いしまーす!」

「全然わかってないじゃないのー! あんまり森を燃やすんじゃないわよー!」


 こちらに手を振るアイリにウンディーネは言葉を重ねたが、その声は本気の声色を含んでいなかった。昔と違って今は十分な魔力と多くの演算宝珠を持つアイリが火魔法を使うような事態はそうは起こらないし、仮にそこまで追い詰められたなら火魔法の使用を躊躇わないで欲しいと考えているからだ。

 そんな言葉遣いとは裏腹に優しい性根をしている古くからの友人の心に癒されながら、ドリーはアイリの想いが詰まったお菓子を味わい、頬を緩めた。


 ◇


「さて、今日は少し遠出をしてみましょう!」


 危ないから遠くに行かないようにと思っていたけど、実は森の中央の方が強い魔獣が多い事に気が付いてしまったのよ。もっとも、その強い魔獣をやり過ごして精霊の森の外周に到達して戻ってくるだけの力がなければいけないのだけど、体力も魔力も成長した今なら往復するのも問題ないはずだわ。


「サーチ・エネミー! フライ!」


 強い敵は演算宝珠の材料となる魔石を含むから、索敵魔法で簡単に居場所を把握することができる。そして、魔力量が増大した今なら飛行魔法でエンペラー級の魔獣を避けて外周に到達することも容易だった。

 

「はい到着! 今日はビッグボアとかビッグホーンディアーみたいなお手頃な魔獣を狩ることができそうね」


 そう呟きながら、私は木漏れ日が差し込む森の中を悠々と歩いていく。食用可能なキノコやお菓子に使う木の実を採取しながら早く魔獣が襲ってこないものかとソワソワしていると、前方から争いの気配がしてきた。

 魔獣同士が縄張り争いでもしているのかと気配のする方に向けて匍匐前進し草むらに隠れてひょこりと顔を出すと、そこには思いがけない者たちがいた。


「くそっ! ルッツ、ゲイツ、ハンナ……ここは俺が食い止めるからお前たちは逃げろ!」

「そんな! レオンを置いて逃げるなんて出来ないわ!」

「そうだぞ! 死ぬ時は一緒だって誓ったじゃないか!」

「馬鹿野郎! 誰かがドライアドの樹液を手に入れて帰らなければ、娘の命は……」


 なんと冒険者パーティのようだ。御主人様はパーティを組む事はなかったけど、情報を得る際に冒険者ギルドに立ち寄ったので見ればわかる。

 それにしても、フォレストウルフの群れに囲まれたくらいで大袈裟ね。ドリーの樹液が必要だって言っているけど、運よく森の奥に行けたとしても問答無用でエンペラードラゴンに噛み殺されているところだわ。見たところ二十匹やそこらのようだから、ここは助けてあげましょう!

 私はメインコアとなる胸元の演算宝珠に魔力を流し、サブコアとなる百二十八個の演算宝珠を順次起動させながら草むらから飛び出した。


「こんにちわ! そして、さようなら! アイスアロー、百二十八連!」


 ズドドドドッ!


 完全な制御で打ち出された氷の矢は冒険者たちを囲んでいたフォレストウルフの首や心臓を確実に抉り、鳴き声を上げさせることもなく葬り去る。撃ち漏らしが無いことを確認すると、私は襲われていた冒険者たちに笑顔を向けた。


「大丈夫? 精霊の森にいる魔獣は強いから、これ以上奥に入ったら命は無いわよ?」


 親切心から忠告をしたつもりだったけど、四人は表情を固くして武器を構えていた。世界を救った勇者の魔法を一手に担った神聖演算宝珠にしてみれば、アイスアローの百本や二百本の斉射はほんの力の一端にすぎない。しかし、一般人からしたら十代前半に見える女の子がそのような力を振るうなど常識の範囲を逸脱していたのだ。


「き、君は……精霊かい?」

「へ? 精霊に育ててもらってはいるけど人間よ」


 魂は演算宝珠だけど。そう心の中で言葉を重ねたけど目の前の冒険者にとっては私が人間かどうかはどうでもいい情報だったようで、武器を放り投げて私に詰め寄ってきた。


「なんだって! ドライアドを知らないか! 娘が病気でドライアドの樹液を手に入れなければ、あと数日で息絶えてしまうんだ!」


 大声で一気に捲し立てられた情報に耳がキーンとしたけど、私はなんとか返事を絞り出す。


「えっと……樹液ならお弁当代わりに持たされたから持っているわよ。ほら」


 そう言って鞄の中から水筒を取り出して冒険者に差し出す。放っておくと何も食べずに活動を続けると叱られ、数時間おきに飲むようにと昔から水筒に樹液を入れて持たされている。結界から出たばかりだから、今は満タンだった。


「おお! すまない、これを譲ってもらうことは出来ないか? お礼はなんでもする!」

「お礼なんていらないわ、育ての親からいくらでも貰えるし。そうね……そのうち遊びに出かけるかもしれないから、近くにある街の方角を教えてくれれば十分よ」

「そんなことでいいのか! ハンナ、彼女に地図を渡してやってくれ!」

「わかったわ。はい、地図よ。今は精霊の森のこの辺りで、あっちがこの地図に記載されるローデンの街ね」

「ありがとう、お姉さん。へえ……こんな遠いところに住んでいたのね」


 生まれ落ちた王都から遥か西の方角に位置する精霊の森の表記に、ずいぶんと遠い場所まで連れ去られていたものだと認識を新たにした。この世界の文明を発展させるためにはいつかは王都にも行かなければならないけど、まずは近場の街の調査から始めた方が良さそうね。

 私は帰りを急ぐ冒険者に別れを告げると、フォレストウルフを異空間に収納しながら人間の街への進出に向けて思考を巡らせるのだった。

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