恋する演算宝珠はスローライフの夢を見る

夜想庭園

人への転生は前途多難

第1話 恋する演算宝珠には魂が宿る!?

 異世界に召喚されて魔王種と化した強大な魔獣の討伐を任されたマサシは長い旅の末、ついに目的を果たす事に成功した。盛大なパレードの後に女神に渡された演算宝珠の力でマサシは神域へと転移すると、そこには慈愛の笑みを浮かべる女神の姿があった。


「勇者マサシよ、よくぞ世界の危機を救ってくれました。褒美に何か一つ願いを叶えてあげましょう」

「女神様。それでは約束通り元の世界の輪廻の輪に戻してください」


 マサシは現代の日本で事故直後に女神イリスが創造した世界に誘われた召喚勇者であった。望めばこの異世界で権力や財力も思いのままだというのに、彼が望んだのは元の世界の輪廻に戻ることだという。

 女神は人の思考を読み取ることができたので、その意図を正確に理解することができたが落胆を隠そうともせず美しい眉を顰める。


「名残惜しいですが、それが願いであれば仕方ありませんね。マサシには、是非ともわたくしの世界で暮らして欲しかったのですが……」

「ははは、僕もちょっとは平和になった異世界でスローライフを楽しみたかったかな? でも、どんなに頑張っても生きているうちに元の世界の文化水準には到達できないと思うと望郷の念を抑えられなくて。発展したら、また呼んでください」

「そうですか。残念ですが仕方ありませんね」

「ああ、最後にアイリを……いえ、神聖演算宝珠をお返しします。とても僕の役に立ってくれましたので大切にしてあげてください」

「はい、確かに受け取りました。それでは元の世界で良き人生を!」


 そうして別れの言葉と共に女神イリスから眩しい光放たれると、御主人様の魂は遠い異世界へと帰還して行った。


「ふう。良き魂をつなぎ止めるには、わたくしの世界の文明をもっと発展させなければなりませんね。そんなに彼の居た世界に劣っていたとは少しショックです」

「仕方ないですよ。御主人様の記憶をのぞいたら衣食住の水準は段違いだったし、エンターテイメントなんて概念すらないこの世界じゃ満足できなくて当然です」


 誰も受け答える者がいないはずの神の座で独り言を呟いたはずが、ノータイムで返答が返ってきた事に女神は固まる。


「演算宝珠の擬似魂スゥードゥソウルが変質して本当の魂が宿っている? どうしてこのような……」

「御主人様を想う恋の力ラブパワーの為せる業です!」

「そんな夢物語、ありえません」


 目を細めて冷徹な表情で言い切った女神に、浮遊していた神聖演算宝珠はガクンと急落して遺憾の波動を送る。


「イリス様! 仮にも女神なのですから、そこは温かい表情で夢や希望を唱えるところじゃないですか!?」

「それを言うなら、あなたも少しは演算宝珠らしくしたらどうなのです。数字が全ての演算宝珠ならシビアな現実だけを見据えなさい」


 女神イリスが創造した世界では、高度な魔法を制御するのに魔石に宿る擬似魂を錬金術で加工した演算宝珠が必要となる。魔王種討伐のために異世界召喚したマサシに女神が託したアイリは女神が手ずから生み出した神器級の神聖演算宝珠だったが、彼の知識を吸収してずいぶんと人間らしい思考をするようになっていた。それだけならまだしも、どういうわけか生物や高次存在が宿すような魂を形成している。これは一体どういう事か。

 役目を果たした勇者マサシの思わぬ置き土産に悩む女神に、当の演算宝珠が思わぬ提案をする。


「どうでしょう。ここは私を再び下界に遣わして、御主人様のいた世界の技術や文化を広めてみるというのは!」

「でも、あなたはマサシ専用の宝珠として生み出したから今のままでは新しい主人を持つことはできませんよ? 活動する魔力を得るためには、まずマサシとのリンクを破棄して……」

「そんなの駄目です! 御主人様との魂のつながりを断つなんて酷いです!」


 じゃあどうすればいいのかと浮遊するアイリをしばらく眺めていた女神は、何かを思いついたようにパンと両手を胸の前で打ち鳴らした。


「わかりました。それなら、あなたは人間として転生しなさい」

「ええ!? 私は演算宝珠なんですよ? そんなことできるはずが……」

「魂がなければ無理だけど、あなたの言う恋の力ラブパワーとやらのおかげで魂を内在しているわ。そんなわけで、あなたの新しい使命はマサシが望んだスローライフを実現できる程度の文化振興を成し遂げることです」

「無理ですよ! イリス様はジャパンを何も分かって……」

「あら。丁度下界で王女が生まれようとしているから、由緒正しい家柄を保証できますよ? それでは、良き人生を!」

「ちょっと! 少しは私の話を聞いてくださいよォ!」


 輝く女神の姿が次第に遠退き、気が付いた時には王宮で産声をあげていた。こうして私は短い演算宝珠生を終え王女として転生した……はずだった。


 ◇


(どうしてこうなったの……)


 生まれて三年も経たないうちに侍女の手引きにより何者かに連れ去られ、私は精霊の森の中で鬱蒼と生い茂る草むらの中に捨てられていた。どうやら後宮争いに巻き込まれてしまったようだけど、せめて孤児院くらいにして欲しかった。


(何が由緒正しい家柄を保証できるよ! さては急いで転生させたから、近い未来に起こることも予知せずに転生させたわね!)


 不幸な境遇に心の中で愚痴を垂れ流していると、周りに魔獣の気配が生まれた。どうやら、お腹を空かせたフォレストウルフに嗅ぎ付けられたらしい。短い人生だったけど、もうすぐイリス様に直接クレームをつけられるのであれば悪くない。


 グルルッ!


 唸り声と共に涎を垂らすフォレストウルフの姿を目の前に捉えて痛みに耐える覚悟を決めたその瞬間、首にかけられた演算宝珠が神々しい光を放った。


『何を簡単に諦めているのです。元・神聖演算宝珠ともあろう者が、演算宝珠を手にしていながらフォレストウルフ如きに遅れをとってクレームをつけようなど言語道断。影響が少ないように死ぬ運命にある者を選んだのですから、多少の困難は乗り越えてもらわないと困ります』

(……)


 なんという女神様でしょう。急いで転生させた故の手違いかと思えば、こうなる事を予知していたらしい。別の意味でクレームをつけたくなったけど、確かに演算宝珠を使えるならフォレストウルフは敵ではない。

 私は胸元にある演算宝珠にリンクして記憶にある攻撃魔法陣を表示させ、フォレストウルフにアイスランスを叩き込んだ。


 キャイーン!


 胴体を貫かれたフォレストウルフは、甲高い鳴き声を上げたかと思うとそのまま動かなくなった。ふふふ、脆弱な赤ん坊の魔力でも演算宝珠で増幅すればこんなものよ!


『そうそう、それでよいのです。あなたの世話は森に住んでいるドライアドに命じたから、しばらくは精霊の森で暮らすのですよ。それでは今度こそ良き人生を』

(この人でなしー! いえ、女神でなしー!)


 天に向かって小さな拳を向けて罵倒を浴びせるも返事はなく、森は再び静寂に包まれた。


 ◇


 精霊の森の主である樹木の精霊ドライアドは、千年に一度あるかないかの神託を受けて人間の活動領域に近い森の端まで赤子の回収に訪れていた。よりにもよって女神の祝福を受けた精霊の森に赤子を捨てるなどと人間のする事に呆れてドライアドはゆっくり歩を進めていたが、静寂が支配する森の中で魔法が発動する気配と共に生じた狼の鳴き声に気が付き足早に森の中を進んでいく。

 そうしてしばらくすると、氷の杭で大地に縫い留められたフォレストウルフの脇に、ゆり籠の中で身を横たえる幼子を見つけた。


「あらあら。ずいぶんと可愛らしい女の子じゃない」


 こちらの発した言葉に気が付いたのか、目の前の幼子は驚く事に演算宝珠で体を浮遊させ、まだ短い金の髪を揺らしながら澄んだ青い瞳をこちらに向けてたどたどしい言葉使いで問いかけてくる。


「あなたが……イリスさまがはなしていたせいれいさん?」

「ええ、そうよ。真名は教えられないから種族名のドライアドでもなんでも好きに呼んでちょうだい」

「じゃあドリー……とよぶわ。わたしのなまえはアイリ、よろしくね」


 どうやら見た目に反して中身の精神年齢はそこそこ高いらしい。それに、なんだろう。人間であれば、どんなに小さな子であろうとも感じるはずの欲望が酷く希薄だった。

 どちらかと言えば精霊に近い精神に触れたドライアドは、女神の言葉を思い返す。


『わたくしの使命を帯びた人間だけど、魂は人間じゃないからアイリの育成には気をつけて』


 神託を受けた直後はわからなかったけれど、こうして相対してみればよくわかる。先ほどからグーグーとお腹を鳴らして目を擦りながらフラフラしているが、当の本人は人間であれば当たり前の生理現象の意味を理解していないかのように浮遊したままこちらを見つめている。

 年齢的に性欲はなくて当然だけど食欲や睡眠欲まで希薄では、放置していたら気がつかないうちに栄養失調や寝不足で倒れてしまいそうだ。


「ええ、よろしくね。アイリちゃん。それじゃあ、まずは甘い樹液で栄養補給よ」


 ドライアド……もといドリーは普通の人間とは別の意味で手がかかりそうなアイリを抱き抱えると、樹木の精霊である自らが生成する樹液で飢えを満たしてあげながら精霊の森の奥へと誘った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る