シュウチシン
諸井込九郎
執値身
私が〝あれ〟の存在に気付いたのは一体、いつだったろうか。〝あれ〟が私の内からまろび出たもので、私の意のままに動き、力を振るうと知ったのはいつだったか。そしてなにより──〝あれ〟が私の
五歳のときの話。その頃にはもう私・
ある日のこと、マリ子という友達と
『怖がってるのはヒサちゃんのほうでしょ!』
──その時の事は、脳裏に焼き付いている。血がのぼりきっていた私の脳内に、くろくて、つめたい、
〝あれ〟はヒトのカタチをしているんだ──と、このとき初めて認識した。
そして──
「あっ──」
叫び声。目の前のマリ子が、消えた。叫んだのはマリ子か、もしかしたら私自身だったかもしれない。
──〝あれ〟がマリ子を突き飛ばしたんだ──
その時の私にも、今の私にも、そういう風にしか考えられなかった。吸った息を吐けないまま、永遠のような一瞬に
直後、止まっていた時間が動き出したかのように、
でも大人たちは…いや、
『目の前で友だちがあんなことになって、つらかったね』
大人たちは口を
この一件以降、私は〝あれ〟のことを
『自分だけの特権』。そんなものを持ってしまった子供が
五年後、十歳の私は孤立していた。その頃にはもう両親は離婚し、母は私に対する興味を失っていたようだった。父なんて、もはや顔すら覚えていない。そしてその頃の私は、そんなグロテスクな家族関係を悲しいとすら思っていなかった。クラスメイトたちが夢中になっていたテレビも、ゲームも、マンガも、ポップスも、ロックも、私には全てが
「キョエイシン」
「きょ…虚栄心がどうかしたの?」
僕の
「別に、どうもしないけど。ただアンタ…
「なんだよ、急に改まって……まさか、また転校なんて言わない…よね?」
「それならもっと深刻そうに切り出してるっての…。まあそれにママ、今のアパートから動く気は当分ないらしいしね」
楸が僕の腰をつかむ力を強める。少しくすぐったくて、またバランスを崩しかける。
「ちょ、ちょっと!しっかり
「後ろで暴れられたらバランス崩すって!」
僕らは今、登りたくもないはずの坂道を自転車で登っていた。学校へ向かう坂道…ではあるけど、ここはメインの通学路ではない。それに今日の目的地は学校ではなかった。その先にある
「──なら、もう一回壊しておこうか」
うしろの楸がとんでもない事を口走る。
「繰りかえし繰りかえし、何度も何度も壊せば……そのうち丘の下に移るかもよ?」
「無駄だと思うけど……丘の下はスーパーの駐車場だし。市だか県だかのヘンピな財政じゃ、そんな
「ふーん…つまんないの」
楸の声色に、
しばらくのあいだ(僕が一人で!)必死にペダルを
「ほら。私の言った通り、この道なら誰にも見つからなかったでしょ?」
そのおかげで、僕が二人分の重さの自転車を
「……」
楸はただ
今日ここへ来たのは楸に
「あれ、千葉?」
「…たぶん千葉、
「見えるんだ、何十キロも離れてるのに」
「間には海しかないからね」
「………」
無性に何かを話したくなって、
「……
「ちょ、いきなり何?日本史の
「いや…僕の父さんから聞いた話」
「歴史わかんないよ、私」
楸は笑っていたけど、聞く耳は持ってくれたようだった。
「頼朝は
「房総って、千葉なんだよね?」
「そう、千葉まで。こうして僕自身の目で見て思うのは…頼朝は見えたから行ったんだと思う。もちろん、頼朝が人類で
「…ふーん、急にヨリトモ気取るじゃん。笑える」
「い、いやそんなんじゃないけどさ!」
「じゃあ私が今日、ここに来た理由も…だいたいそんな感じなのかもね」
「え?」
楸が姿勢を変えて、手すりにもたれ掛かった。
私と
『…だから、僕は楸のことが……好きなんだよ』
あの夏、
「…だいたいそんな感じ…って?」
姿勢を変えた私の顔を、融が覗き込んでくる。
「ずっと霧ばっかり見上げてたからかな、時々心配になるんだ」
「それって…」
融は私の
「私が霧の中に見上げる〝あれ〟…
「…まあ、三十メートルくらいはあった…ように見えたね」
「
「…………そんなこと…」
「…私はまだ、あの
「……そんなこと!」
「…まあ落ち着きなって。そうならないように、こうしてココに来てるんだから」
アイツは
「ほら!」
叫ぶほどに大きな声で呼びかけて、はるかに広がる
「ここから房総半島まで何メートルかな!」
「真鶴までは?沖縄もいいかも!北海道は!?その次はアメリカ?中国?えーっと、イギリスでも!アフリカでもいいや!遠くなら、どこだって!」
「私にも、私の
「──それが今日、ここに来た理由だよ」
──視界の
何か、おかしい。…直後、僕は腹部に
そこには、ナイフが
──二人乗りの自転車を追いかけて辿り着いた公園で。二人が、楽しそうに笑っていた。ヒサギが、見たこともない表情を浮かべていた。だから──
わたしは、気付いたら走り出していた。手に、なけなしの
──走り出す人影に、私は気付かなかった。だから、きっと私に突き立てられるべきその
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