ユートピアの詩 Ⅰ 偽りの薄灯

中性の暇神

Dirge of the Utopia

Genesis of Lycoris Albiflora

 綺麗事の裏側には必ず綻びがある。その綻びを世界から隠匿するのが、彼等の使命であった。多大なる犠牲の上に出来上がった、平和を守るために。


 人類は着々と文明としての一歩を歩み続けていた。歴史上最悪とされた第二次世界大戦に加え、二十世紀末――地球を襲ったエイリアンとの間に勃発した人類独立戦争。総人口の五分の一という大損害を被りながらも勝利――瞬く間にその技術を吸収。


 国際連合の再編から始まった大改革は、我々を――人類をまだ見ぬ境地へと運ぶ。

 その傍ら、平和の裏で必然的に表れる綻び――犯罪やテロリズムの蕾を世界から隠すために、各国の諜報機関や秘密警察が動き続けていた。


 ◇◇◇


 ――二〇二六年、一月某日。

 大阪・心斎橋の街には連日、多くの人々が行き交っていた。活気に満ち溢れ――どこを見ても危険などない世界。その世界に紛れ込む、スーツ姿の青年。パーマのかかった黒茶髪の彼は、傍から見れば学生――しかしながら、その服装は制服というよりも、仕立物。


 大通りから外れ、人気の少ない路地を回って辿り着く雑居ビル。エントランスのすぐ傍にあったエレベーターへと乗り込む彼。ドアが閉まると同時に、腰から取り出すのは拳銃――この日本という法治国家において、ごく少数の限られた組織のみが所持を許される代物。慣れた手つきで弾丸を再装填、身に纏うジャケットから小さな芯状の物体――消音装置サプレッサーを取り出し、握る拳銃の先端へと取り付ける。撃鉄ハンマーの下部、回転式のベゼルを回す。超小型ディスプレイは、捕縛・無効化目的の『麻痺』から『殺傷』へと表示が切り替えられた。そして間もなく、エレベーターは六階へと到着。


 開かれたドアの奥より無言の挨拶をしたのは筋肉質の用心棒二名。歓迎とは名ばかりの迎撃に走るが、それを見抜いたかのように彼は隙間へと潜り込み、相手の背後をとる。左側に立っていた男は一瞬にして倒れ、右側の男の背中には心臓を貫く風穴が。


 本来、人間は心臓を撃ち抜かれようと数秒はその意識を現世に留める。だが彼の用いたその弾丸――即死性の毒が仕込まれていた。左足の革靴のつま先からは仕込まれた刃が飛び出しており、壁で刃を押し込んで何の変哲もない紳士靴へと姿を戻す。倒れる左の男の背中には、大きな切り傷が残されていた。去り際、彼は念の為と言わんばかりに二人の頭へと銃弾を撃ち込む。


 廊下には鮮血を垂れ流す二つの屍がただ残り、彼はその先へと足を進めていく。全ての窓はシャッターが下ろされ、外部からの光は乏しいその空間。世間の目を気にせずこの者達を始末するには、うってつけという他ない。頼りとなる唯一の灯りは非常灯のみ――そんな事はなりふり構わず拳銃を構えながら、左右の警戒を怠ることなく歩みを進める。僅か数秒後、何かに気付いたのか視線を動かすことなく拳銃を背後へと向け、一切の間を置かずしてその引き金を引く。直後に響く鈍い音――頭を貫かれた者の死体が血を流して倒れている。そして彼のが拾う、微かな風を切る音。反射的に身体を動かし、迫っていたナイフを受け流す。その者の攻撃開始を皮切りに、青年を襲う者達が次々と現れる――だが、彼は動じることなく冷静に相手を潰してゆく。


 瞬時に拳銃を腰へ仕舞う彼。レザーグローブに覆われた左手が、受け流した腕を掴んで砕き、手放されたナイフを瞬時に回収。痛みに喘ぐ男を、飛んでくる銃弾に対する盾に――相手の弾切れと同時に投げ飛ばし、手に握られていたナイフは左側へと飛ぶ。首元を切り裂くようにして壁へと突き刺さり、男は突然の痛みと飛び散る自らの血に戦慄を。後方より襲いかかる者の拳も瞬時に躱し、カウンターパンチを喰らわせ、狼狽えるその人間の首を左手で吊し上げる。次第に首を絞める力は強く――彼の蒼い瞳は冷たく、何の感情も読み取れない。抵抗虚しく男は息絶え、彼はその場に放り捨てる。


 振り返り、ただ転がっている多くの死体――だが、彼の瞳に映るのはそれだけではない。壁全体を埋め尽くすような大量の血、地面に伸びる無数の根。そして、彼の耳に響く無数の悲鳴。その光景に立ち尽くす彼だったが、その意識は再び現実へと解き放たれる。

 全員の頭に向けて銃弾を贈呈、再装填リロードして再びその足を進めた。




 やがて彼はある部屋の前へと辿り着く。一切の音を立てることなくドアノブを回そうとするが、鍵がかっている――懐から小型のツールを取り出してピッキングを行い、ものの数秒で開錠。慎重にドアを開き、僅かな隙間から投げ入れる閃光手榴弾フラッシュグレネード。起爆と同時に響く悲鳴を確認し、すぐさま部屋の中へ突入。再び拳銃を取り出して次々に男たちの頭目がけて引き金を引く。瞬時に背後へ回った敵に対しても一切の油断を見せない――どこからともなく現れたブレーカーペンを手に、相手の鳩尾目がけて突き刺す。辛うじて放たれた弾丸も彼の前には無力、瞬時に避けられた。その事実を認識した時には既に遅く、容赦なく浴びせられる銃弾。間髪入れず振り返り、生き残っていた者にも。


 戦いの決着は、開始より三十秒も経たずして。溜息と共に彼は武器を仕舞い、周囲を見回す。保管されていたのは、ざっと見積もって八百丁はある武器。拳銃のみならず、マシンガンやライフル、重火器さえも。視線を倒れる男たちへと戻し、襟元に付けられた代紋を確認する。関西地方を拠点とする広域指定団体――大阪連盟、その傘下組織である華川組のものだった。世間ではヤクザとも呼ばれる彼等、またの名を極道。


「目標確保、オール・クリア」

 左耳に繋がれたイヤホンへ指を当てそう告げる彼。

清掃業者クリーナーはすぐ到着する、ご苦労だった」


 低い男の声が彼の耳へと響き、その声は無線から消え去る。拳銃の消音装置を取り外してポケットへ、拳銃はその手に握られたまま。外部から完全に遮断されたその空間に、ただ一人佇む彼。


「まったく、羽目を外し過ぎだ」


 死体に向けて呟く彼。その後まもなくして、ドアが勢いよく開く――彼はすぐさま拳銃を構えるが、銃口の先にいるのは白い清掃服を着た者達。落ち着いた様子で拳銃を下ろし、腰へと仕舞う。彼等は互いに目線を合わせて頷き、彼は部屋を出る。廊下にはもう一人――清掃用具の入ったキャスターを押す中年。その男の襟元にも代紋が付いていたが、先程始末した極道とは違う。同じく大阪連盟の傘下組織ではあるが、華川組とは異なる。彼がすれ違うさま、その中年は被っていた帽子を手に取って口を開く。


あんちゃん、毎度おおきに」

「今後とも」


 振り返って彼はそう返して小さく笑みを浮かべ、互いの足を進めた。



 平和な世界の裏側では、日々その平和を守らんとすべく動き続ける組織がある。世界平和を守る、日本の一組織――その存在を知る者達からは公安警察、または公安と呼称。警察庁とは異なり、日本政府直轄かつ警察庁公安部から完全に独立した極秘の警察組織であった。その為に背負う役目も多く、監視・犯罪捜査・治安維持・諜報・防諜など多岐にわたって、その力を及ぼしていた。


 そして彼もまた、公安警察所属の人間として、この平和に寄与する者であった。

 凱鷺かいさき悠人ゆうと、別名『コードネーム《トワイライト》』。その年齢は僅か十六歳であり、現職の人間としては最年少。公安警察特殊捜査局二課所属捜査員――それが彼の正式な肩書。


 公安の起源は戦後間もなく、GHQの占領統治からの早急な脱却を目指す日本政府が極秘裏に設立した。警察組織が正常に機能せぬ中、自警団のように治安を守り、自らの国を欧米人に支配されることを毛嫌いした極道組織との利害が一致したことにより、公安と極道組織は自衛・治安維持の為各方面で暗躍していくことになった。戦後の日本の復興を支えたのは、目に見える犯罪を取り締まる日本の警察と、目に見えない外敵を――日本のお家芸たる水際戦法で叩きのめし、日本という国を一つの独立国家として成り立たせた極道、そして公安だった。


 今日においても、憲法九条――『戦力の不保持』と『戦争放棄』によって大きく動くことのできない自衛隊に代わり、日本の平和を陰ながら保ち続けていた。国家、そして世界平和を脅かす勢力やテロリストといった者達が行動を起こす前に――その存在を抹消し、を世界から隠匿。その為ならば、どんな手段をも、たとえ世界を欺いてでも。


 日本の街並みはどうだ――見渡す限りの世界に、危険など存在しない。平和と活気に満ち溢れ、毎日の空気が新鮮かつ清潔であり続ける。事故はあったとしても、事件の匂いは全く香らない。第二次世界大戦――そして、それに次いで大被害を被った人類独立戦争を乗り越えて、世界各国が辿り着いた結論は一つ。『平和こそが団結であり、強みとなる』――その平和を守るために求められたのは、綻びを表社会へ露出させないこと。裏社会で生じるその綻びは、裏社会で葬り去る。


 どの国であっても、財政難は起ころうと国家を揺るがすような大事件は起きない――いや、。それは何故かという問いの答えは単純である。我々が居るのだから。

 真相を知らなくたって、世界はそこに居るとも知らぬ大きな存在を無意識的に必要とし続ける。努力や犠牲が世界に知られることも、誰かに成功を讃えられることもない。

 たとえそれでも、彼等は世界の為に人生を捧げ続けている。


 『この平和を守れるなら、それで十分だ』


 それが、彼がこの世界に対して、最も多く綴る言葉であった。


 ◇◇◇


 二時間と三十分。大阪駅を出発し、凱鷺やそのほかの乗客を乗せた新幹線は東京駅へと到着した。ホームへと降り――改札を通って駅前に出る。駅前のバスやタクシー、待ち合わせる民間人をよそに彼は少し離れた場所に停まる一台の車を見つけた。窓、塗装、ホイールに至るまでの全てが真っ黒のセダン。凱鷺が近づくとドライバーは車を降り、キャリーケースを受け取ってトランクへと仕舞う。凱鷺は後部座席に、ドライバーは無論運転席へ。シートベルトをすることなく車を発進させた。


 捜査員の特権その一。『基本的に憲法や法律にその行動・権利を縛られない』


 彼等にとって大きなアドバンテージとなり得る特権であり、必要ならば自由にデータの改竄をも行える。だがこの特権とは裏腹に、最重要の規則も存在する。


 ――『捜査員は組織の存在を不特定多数に知られるような行動をしてはならない』


 大原則であり数少ない規則の一つだ。その為に一人一人が多くの事柄に気を配らなければならない。偽造の身分証は使えるが、大きく残るは残さないよう、最大限の警戒が必須となる。


 あるビルの内部に据え置きされた立体駐車場へと入り、車両エレベーターへと進む。ドアが閉まり、リフトは下へと――十二秒後、巨大な車両保管庫が姿を現す。約四万平方メートルの面積を持ち、車種を問わず一般車や戦闘車両をも保管されていたが、共通点は一つ。全てが黒く統一されていた。リフトが止まってドアが開くと車は再び進み、一角へと車を停める。荷物を取り、エントランスから入った先では、巨大な施設が彼を出迎える。


 公安警察、東京本部――設備の全てが、東京都新宿区の地下七十一メートルからの空間へと収められていた。政府の国有地ではあるが、管理は公安へと一任。その存在を知らぬ者は警備システムによって一人たりとも立ち入ることが出来ず、完全に世間から隠匿されている。


 警察庁の手に負えない捜査を担当する『公安部』、犯罪捜査のみならず諜報・破壊工作など幅広く請け負う『特殊捜査局』、非常時には軍事組織としての活動をも可能とする純戦闘組織『戦略機動部隊』。そして彼等の作戦行動や任務を司る『司令部』の計四部署が集結する場だった。機能性を重視した白を基調とし、昼夜問わず多くの職員が行き交う。そこに結集された技術は、まさに現代におけるオーバー・テクノロジーであり、数十年から百年近い未来の技術の数々。


 本部内を歩く凱鷺――その耳にどこからともなく響く、虚の悲鳴。咄嗟に振り返った先に見える景色は、各所の明かりから微かな電気スパークが放たれ、施設の中は僅かな緑の光を残した暗闇に包まれている。壁には無数の弾痕、飛び散った血飛沫、爆発の影響で入っているヒビ。辺りを見回せば、地面には冷たくなった同僚たちが倒れ、その息を永遠に吹き返さず。垂れ流される血は温もり一つ残さず、ただ粘度の高さだけが感じられる。


「――た、何――っ――イト》」


 彼の耳へと届く、何者かの声。どこを見ても誰も居ないというのに、その声は繰り返される。次第に大きく、そしてノイズのように点滅を繰り返し始める視界。悲鳴は更にこだまし、脳へと深く刻み込まれる。


「――大丈夫か、《トワイライト》」


 その言葉と共に、視界に広がる本部の景色は何事もなかったかのように、綺麗さっぱりと。整わない息のまま、再び振り返る彼――視界の先に立っているのは、特捜局二課の同僚。


「あぁ、何でもない」


 彼の意識は引き戻され、またしても先の光景が現実でないことへの安堵を覚える。その様子を同僚は不安げに見つめるが、「何もないなら良いんだが」と。

 二人は揃って本部の中で足を進める――だが、凱鷺は何かに引きずられている。形は掴めないながら、日々絶えず彼に付きまとっている何かに。そして今回ばかりは、鮮明かつ確かなもので現れた。ただ一つ、直感的に彼が覚える――『何か、巨大な闇が動き出している』と。


 ◇◇◇


 ――所変わって、大阪。

 公安の監視網を掻い潜って逃げ続ける一人の男。公安だけでなく、この地で根を広げる何者かに、彼は常に追われていた。太陽はとっくに沈み、月夜が世界を見下ろす暗闇の中、微かな電灯に映る顔――その顔は大阪連盟直系、華川組の組長。追い込まれるようにして踏み入れる裏路地――だが、その先の光景に彼は唖然とするほかなかった。


「……嘘やろ、勘弁せえや」


 即座に振り返って逃亡を図るが、目の前には突き付けられる銃口がひとつ。引き金に指をかけるその者の頭は、月の輝きを綺麗にその場へともたらしていた。

 そして微かながら、彼を貫く発砲音が世界へと響き渡る――。




 我が国の公安警察は警視庁公安部から完全に独立した組織として機能し、我が国の治安及び国家そのものを脅かさんとす脅威を取り除くためにいかなる手段をも講じる。政府直轄組織としてその存在は完全に隠蔽され、我が国に属するあらゆる行政・司法機関、本条項を除く憲法・法律による影響を受けない。そして、我が国の非常事態においては、軍事作戦行動の実行を可能とする準軍組織としてみなされ、その行動における全権限を公安警察総監へと委任される。

 ――日本国憲法第九十八条の二、非公開項目。

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