ユートピアの詩 Ⅰ 偽りの薄灯
ともひナ
Dirge of the Utopia
Genesis of Lycoris Albiflora
――世界平和なんて、夢物語。
数多の戦争を経験し、歴史上最悪とされた第二次世界大戦が終結してもなお各地で続く紛争を前に、そんな考えを持つ者は大衆の多くを占めた。人間が人間であり続ける限り不可能と思われていた世界平和を、人類は成し遂げた。
国際連合が唱えた『協調と団結』のもとで、過去三十年にわたってかの夢物語は現実のものとして在り続けてきた。すべての発端は二十世紀末、突如として地球を襲ったエイリアンとの間に勃発した『人類独立戦争』。総人口の五分の一という大損害を被りながらも辛勝し、国連再編から始まる戦後復興が人類を新たな時代へと運んできた。この平和は多大なる犠牲の上に出来上がったモノ――そんな綺麗事の裏側には、必ず綻びがある。
――僕達は、表に隠された現実を知っている。
◇◇◇
南アジアはパキスタン・アボタバード。星一つ見ることすらかなわぬ雨夜の中で、精鋭装備の軍隊と交戦する者の姿は無数にあった。
「
鼓舞の掛け声と共に畳みかけるがその抵抗も虚しく、次々と銃弾が彼等の身体を蝕む。圧倒的な戦力差を前に同胞たちが倒れてゆく光景を、彼は瞳に焼き付けていた。
――何が、世界をこうさせたのか。
疑問に囚われながらも負けじと応戦するが、相手の戦力とは雲泥の差がある。塹壕戦に持ち込み徹底抗戦に至るが依然として戦況は不利なまま変わらず、各所から芳しくない報告が飛び交っている。衛生兵と共に負傷した仲間を引きずって応急処置にあたるが――。
「おい!しっかりしろ兄弟‼」
身体の各所に空いた穴という穴から絶え間なく鮮血が流れ続け、残り少ない包帯で重傷を癒さんとする。
「これも神が――与え給うた試練なのだ」
「諦めるな‼まだ我々には為さねばならないことがあるだろ‼」
彼の詞を遮るように、爆発音と振動がその場の空気をかき乱す。もはや制空権まで奪われた今、敵は空爆によって塹壕そのものを焼きつくそうとしている。
「今は耐えろ……いずれ神が我らに……慈悲を――」
腕を必死に掴みながら訴えるものの、手当しきれない負傷によりその息を絶つ。また一人、巣食えるはずだった命が目の前で失われ、その拳が微かに震えだす。
――神よ、あるべき世界を求めることは間違いだったのか。
生まれるべきでなかった疑念。彼の内なる叫びは続く轟音によってかき消される。闇夜から降り注ぐ鋼の雷が大地を揺らし、土壁を容赦なく削り取ってゆく。舞う土埃、視界を満たす煙。耳元で響くのは仲間の最期の息吹か、あるいは己の鼓動か。
だが突如として、その全てが止んだ。
只者でない気配を放つ悪魔が迫ってきていることは若人の彼にも容易く感じ取れた。息を殺し、皆が銃を構え直したそのとき、塹壕の穴から飛び出したそれが一瞬にして彼等を死中へと誘う。
「手榴弾だ‼」
同胞の警告と同時に弾頭は複数の子爆弾に分裂し、一帯を閃光に染める。衝撃により甲高い耳鳴りに襲われるが、辛うじて目を見開いたその先にいる謎の者へ向けて銃弾を放つも、なにゆえかその全てを防がれる。赤子の手を捻るかのように拳銃一丁でその場の者達を薙ぎ倒す姿に唖然とするほかない――相手は戦闘区域にあるまじきスーツ姿なのだから。
――世界は、やはり狂ってしまった。
その思考に至った矢先、数発の弾丸が彼の身体を抉る。意識が朦朧とする中で微かに目にするのは、明らかに兵士達とは一線を画す悪魔のような瞳を持つ男の顔だった。旧友と同じようにその地に倒れ、意識は途絶えた。
独立戦争後の世界平和を揺るがした、たった一つの狂い。それは二〇〇一年九月に起こった『世界同時多発テロ』だった。この暴挙に対し国際社会は迅速かつ断固たる報復行動に動く。実行犯たるテロ組織『アルカイダ』への攻撃は、大改革により世界規模の治安維持組織として力を得たインターポール主導のもとで実行に移された。指導者のみならず組織構成員含めた数万人の殲滅――この作戦にはアメリカもさることながら、ロシアのほか欧州諸国の軍も参戦していた。
日本も非公式ながらある組織を以て参入、この作戦においてその突出した実力を遺憾なく発揮していた。先の凶弾に倒れた彼が相手にした者もその一人。悪魔のような瞳は、時を超えて受け継がれる。
『報復』や『制裁』という言葉では片付けられないほど、完膚なきまでの『殲滅』。人類が思い描く理想のシナリオを実現する為に必要な犠牲。だがそのシナリオは、誰も知らぬところで狂い始める。
「……っ」
戦闘による重傷にもかかわらず、彼は息絶えていなかった。復讐――その執着が彼の魂を現世に留めた。失いかけの力を振り絞って立ち上がり状況を確認する。
遠くから続く銃撃音は、兵士たちが既にこの場を離れているという彼の考えを確たるものにした。だが油断は禁物、直近で接近した者達の気配は何一つ掴めない。
降り続ける雨が身体から流れる血と土汚れを洗い流す。同胞の亡骸が数多に転がる
「……兄弟」
微かに聞こえたその声に彼は立ち止まる。泥と血に塗れたその先に同胞の顔があった。同じように致命傷を負いながらも、瞳には未だ魂が宿っている。
「生きていたのか」
「神は――私を見捨てなかったらしい」
それ以上の言葉は不要だった。瞳に映っていた絶望は、怨恨の炎へと変わる。同胞へと無慈悲に貪った者達への決して消えることのない憎悪。全てを捨て去る覚悟で、彼等は暗黙の誓約を立てる。
――この狂った世界を、あるべき姿に戻す。
◇◇◇
「今年十月に開催されるサミットへ向け、都内では再開発が進み――」
民放の電波が飛び交う空の下、見渡す限りの世界に危険など存在しない。平和と活気に満ち溢れ、毎日の空気が新鮮かつ清潔であり続ける。時に西暦二〇二六年――日本は列強として返り咲き、平和を噛み締めている。
だが日本も例外なく、その裏に拭えぬ闇があり続ける。
「居たぞ!殺せ‼」
大阪・心斎橋の一所――怒号の飛び交うビルの中で絶え間なく鉛の雨が降り続け、四人のスーツ姿の者達がヤクザ相手に暴れ回っている。
「まったく――けったいなお出迎えやね!」
「感心してる場合かよ‼」
その中に、本来居合わせるべきでないはずの少女が混じっている。周りと同じくその手に握られるは拳銃――この日本という法治国家において、ごく少数の限られた組織のみが所持を許されるはずの代物。
「それ以外どないせぇっちゅうねん‼」
彼女も只者ではない。外見は学生そのものだが、銃の扱い含めて相手と互角に渡り合っている。だが現状は人数に差がありすぎる――彼女たち四人に対し、相手は組一つ分の構成員。加えて揃いに揃って銃を携えている以上、劣勢という他ない。
「――左から来てる!」
仲間の察知に応じて再び銃口を向けるが残弾は僅か、
「くたばれ犬どもめがぁぁ‼」
直接視認できていないにも関わらず乱射――銃口を角から覗かせて反撃する。
「なんでアイツらあんなの持ってんのよ⁉」
彼女たちも驚きを隠せないが今はそれどころでない。絶え間なく銃弾がフロアの至るところに飛びかかり、コーナーショットですら流れ弾を喰らう危険性がある。想定外の長期戦に加え、想定外の相手の武装――これ以上の戦闘継続は現状を鑑みて困難と判断せざるを得ない。
「司令部――
彼女の耳に繋がれたインカムに訴えるは、緊急事態により即座に増援を要請する為の略号。無線によりバックにつく者達に伝えられるが、その返答を待たずして。
「
突如として割り込む一声――だが若すぎる。そんなリアクションの余裕すら与えず、小銃を持った二人の心臓と頭が一瞬にして撃ち抜かれる。何事かと鏡の欠片を投げる彼女の視線の先に、これまた仲間と思しき背広を着た者がいる。背後から振りかざされる拳も、風切る音を地獄耳に捉えられ、受け流すと同時にどこからともなく現れたナイフが切り裂き、辛うじて放たれた銃弾でさえいとも容易く
「……アレが増援?」
「最初から任しときゃ良かったんちゃん?」
四人がアシストするまでもなく単独で次々にヤクザ達を捻り潰している光景に、もはや唖然とするしかない。
ドアより無言の挨拶に現れた男の腕を掴んで砕き、痛みに喘ぐザマなど気にすることなく再び飛んでくる銃弾への盾代わり――相手の弾切れと同時に投げ飛ばし、四発の銃弾が彼等を終わらせる。正面からの殴打も全て見透かすかのようにカウンターを喰らわせ、狼狽えるその者の首をレザーグローブに包まれた左手が吊るし上げる。
「答えろ。誰の差し金だ?」
現場での取り調べを通り越してただの拷問だが、ただ冷静沈着に――徐々に絞める力を強く。見つめる彼の蒼い瞳は冷たく、何の感情も読み取れない程に平ら。
「黙れ――お前みたいなクソガキに――」
利用価値がないと判断したか、遺言と共に息絶えさせてその場へ放り捨てる。間髪入れずして、念の為と言わんばかりに撃ち込む銃弾。
四人が目の当たりにしたのは完全なるワンサイドゲーム――軽くパーマのかかった茶髪の青年が、七人を僅か三十秒足らずで死に追いやった。
「……怪我は?」
歩み寄る彼の声が響く。他の面々の状態を確認し「大丈夫そう」と少女が一言。
「残りはこっちで対処する、帰っていいぞ」
戦力として不要なのか、それとも身を案じてか。お互いに
「若造一人残して退却できるわけないやろ」
「そうだ、俺達だってまだ――」
次々に発するが、彼の一言がすべてを切り捨てる。
「その
一目見るだけで残弾や投擲武器の有無を把握し、些か蔑むかのような目で告げる。たじろぐ四人を前に溜息をつき、インカムに指を当て発する。
「《トワイライト》より司令部、
「了解。引き続き続行されたし、オーバー」
現場の同意を得るどころか彼が現場を仕切っているかのような口ぶりだが、権限の行使はともかくとしてその名に一人が驚きの表情で見つめている。
「……なんでお前がここに
「言わんでも大方予想はつくだろ」
声のトーンは冷徹なまま再び彼の口から飛び出す。間違いない――上が彼を直接呼び寄せた。その判断に決して間違いはなく、絶対的な信頼を置くに値する存在であることは明確だった。
「久々のガサ入れで別の異端児と会うとはな」
些か呆れながら吐き捨て、「どないします、警部」との少女の声に一呼吸置いて返す。
「……同じ警部でもこっちの立場は下や、従うしかない」
問題は階級ではなく所属。ヤクザ相手の永年勤続よりも、せいぜい数年目であろう若手の方が力を握っている。不満を隠しきれない口調ではあったが、気にも留めずに。
「
「K3了解。司令部以上」
同僚が撤収を始める中、少女は無線で報告を入れながら彼等に歩みを合わせる。
思い違いでなければ、彼が名乗った呼称は音に聞くものと同一。初めてその姿を目にしたが、実際の外見は彼女の予想を裏切って同い年と思しきもの。自身とは比べ物にならないほどの首輪の緩さで実力を発揮させている――その現実を前に足を止め、咄嗟に振り返る。
「……特殊捜査局」
小さく呟く彼女の視界の先に、微かに輝きながらこちらを見つめる蒼い瞳――その奥に、ただならぬ何かを感じて。
数秒の声なき会話を経て彼が振り返った先にはただ転がっている複数の死体――だが彼の目に映るのはそれだけでない。壁全体を埋めつくすような大量の血、地面に伸びる無数の根。耳に響く無数の悲鳴に立ち尽くす彼だったが、その意識は現実へと解き放たれる。
気付けば先ほどの少女も同僚のもとに戻ったのか姿を消している。依然としてすべての窓のシャッターが下ろされ、唯一の灯りは非常灯のみ。
――また繰り返すのか。
己の心に告げながら再び足を進め、僅かに覗かせるガンベルトのポーチから
やがて辿り着く一部屋。一切の音を立てることなくドアノブを回そうとするが施錠により阻まれ、懐から取り出した小型のピッキングツールで開錠。ドアに耳を寄せ、内部で生じる複数の呼吸音を捉えると同時に、僅かに開けた隙間から投げ入れる
次々に響く悲鳴に戦慄し、抜け落ちた力で後退りする者が一名。待ち伏せを狙った暗闇が、逆に彼等を狩りの場へと引きずり込んだ――それを察したのか部屋のライトを点けるものの、待ち受けているのは悪夢だけだった。
「あ、あぁ……嘘やろ……」
二十名以上を以て待ち構えたが結果は何一つ変わらなかった。瞬く間に切り裂かれ、撃ち抜かれる。ついさっきまで言葉を交わした仲間が遺言すら残さず息絶えて横たわる光景に、ただ嘆くことしか。
「コイツ、こっちの動き読んでるぞ‼」
態勢を立て直す暇さえ与えない――全ての動きを見通すと同時に、自らが望む動きに相手を落とし込む。数十を超える大人が、たった一人の若者に翻弄され為す術なく死んでいく。
銃撃、格闘、行動操作。全てにおいて常軌を逸し、もはや人間なのかさえ疑われる程の者はこの世界においてごく僅か。ましてやそんな兵器を手駒に出来るような組織は日本においてたった一つしかない。
とうとう角で怯える者を残して皆永遠に血色を失った。歩み寄ってくる青年に震えながらも引き金を引くが、無論一発たりとも。弾切れと同時に男の頬を銃弾が掠める――偶然ではなく意図的に直撃を避けたことは安易に分かることだった。手に握られた拳銃を奪い取り、その青年は銃口を向けながら尋ねる。
「目的を吐け、下手なマネをすれば殺す」
透き通るような冷たい声が響く。使い物にならないのであればすぐにでも黙らせるとでも言うかのように、既に引き金には指がかけられている。
「し――知らんわ、
慌てながら必死に言葉を紡ぐが、無情にも彼の肩を一発の銃弾が貫く。
「口の利き方には気をつけろ、テメェに口を付けてやってるのは誰だと思ってんだ」
「……っっ」
十代の若者の口から飛び出して来ないようなワードが機械的なトーンで。拳銃の構えと同じく一切の揺らぎがないその瞳で、肩を抑えながら震える男の真意を推し量らんとする。
「組長はどこだ?」
「親父は数日っ……帰ってきてへん――ほんまですわ」
「……所詮は下っ端の極道崩れか」
呆れるように拳銃を下ろし、蔑むような目で数秒程見つめたのちに背を向ける。仕留める必要性すら感じないほどの小物、と煽るかのように。
一方の男はたった一人残され、先行きの見えない状況に恐怖しながらもゆっくりと見回す。近くで鮮血と共に倒れる組員――その手の僅か先に拳銃が一丁、もはや考えるまでもなかった。即座に手にしてがら空きの背中へ向け発砲しようとするが――振り返ることもなく心臓と頭を撃ち抜かれる。
「下手なマネをすれば殺すと言っただろ」
溜息をつきながら吐き捨て、視線を周囲へと向ける。この場にあるのはざっと見積もって八百丁の銃器――拳銃のみならず
「《トワイライト》より司令部へ。オールクリア、
「後始末はこちらに任せてくれ、ご苦労だった」
返されるはこれまでと違った渋い一声だが、その意味を彼も即座に汲み取る。
「了解、
背広を身に纏った者の襟元にあるピンズは青年のものと違う。関西地方を拠点とする広域指定暴力団『大阪連盟』の傘下組織、『
突如として開くドアに銃口を向けるが、その先に立っているのはIDパスを首より下げた者達。落ち着いた様子で青年は拳銃を下ろし仕舞う。互いに目線を合わせて頷き、入れ替わりで部屋を去る。
廊下にはもう一人――清掃用具の入ったキャスターを押す中年。その男の襟元にも代紋が見られるが、先ほど始末した者達の代物とは異なる。同じく大阪連盟の傘下組織にして、その名を『
「毎度おおきに」
「……今後とも」
世間ではヤクザとも呼ばれる彼等だが、その別名を『極道』とも。落ち着き払った様子で目線すら合わせず互いの足を進める。
◇◇◇
平和の裏で必然的に現れる綻び――犯罪やテロリズムの
『十二年連続、治安維持率一位』――日本も例外なく、その裏でとある組織が動き続けている。国家公安委員会からは完全に独立した、日本政府直轄の組織『公安警察』。その起源は一九四五年――太平洋戦争終結直後にまで遡る。
GHQによる占領統治からの早急な脱却を目指した政府は、治安維持部隊として極秘裏に創設。当時、実質的な自警団として活動していた極道たちとの利害関係の一致により、西は『大阪連盟』、東は『
ヤクザを圧倒的な実力でねじ伏せた彼――
――我々が真に仕えるべきは、日本の民である。
その信念のもと、決して救済のない裏社会で数多を手にかけてきた。己をどれだけ拭えぬ血で染めようとも、たった一人で現実という闇に向き合い続ける。
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