ユートピアの詩 Ⅰ 偽りの薄灯

ともひナ

Dirge of the Utopia

Genesis of Lycoris Albiflora

 ――世界平和なんて、夢物語。


 数多の戦争を経験し、歴史上最悪とされた第二次世界大戦が集結しても尚各地で続く紛争を前にして、そんな考えを持つ者は大衆の多くを占めた。人間という生き物が、人間性を持つ限り不可能――そう思われていたモノを、人類は成し遂げた。


「経済平和研究所は今日、世界平和指数ランキングを発表。日本は十二年連続一位を記録しました」


 見渡す限りの世界に、危険など存在しない。平和と活気に満ち溢れ、毎日の空気が新鮮かつ清潔であり続ける。子供の笑顔は日々絶えず、日本は経済的・外交的な列強として返り咲いた。

 無論その平和は、日本のみならず全世界が噛み締めている。過去三十年に渡って、国際連合が唱えた『協調と団結』の下で、かの夢物語は現実のものとして在り続けてきた。

 全ての発端は二十世紀末――突如として地球を襲ったエイリアンとの間に勃発し、総人口の五分の一という大損害を被りながらも辛勝を収めた『人類独立戦争』。戦後復興の一環――国連再編から始まった大改革が、人類をここまで運んできた。この平和は、多大なる犠牲の上に出来上がったモノ――だが、そんな綺麗事の裏側には必ず綻びがある。



 ――僕達は、を知っている。


 ◇◇◇


「居たぞ!殺せ!」


 大阪・心斎橋の一所――怒号の飛び交うビルの中、次々に襲い掛かる男達を返り討ちにするひとりのスーツ姿の青年。その手に持つは拳銃――この日本という法治国家において、ごく少数の限られた組織のみが所持を許される代物。ましてや、彼のような若者が持つものではない。

 発射時の反動をものともせず、寸分の狂いなく心臓と頭を一瞬にして撃ち抜く。背後から振りかざされるその拳も、風切る音を彼のに捉えられ、受け流すと同時にどこからともなく現れたナイフが切り裂く。辛うじて放たれた銃弾でさえいとも容易く躱し、繰り広げるは完全なるワンサイドゲーム。

 彼の左手がドアから無言の挨拶に現れた男の腕を掴んで砕き、痛みに喘ぐザマなど気にすることなく再び飛んでくる銃弾への盾代わり――相手の弾切れと同時に投げ飛ばし、四発の銃弾が彼等を終わらせる。虫のように絶えぬ襲来にも動じず、ただ冷静沈着に――正面からの殴打も全て見透かすかのようにカウンターパンチを喰らわせ、狼狽えるその者の首を吊るし上げる。次第に首を絞める力は強く――彼の蒼い瞳は冷たく、何の感情も読み取れない程に平ら。


「この――悪魔め――」


 抵抗虚しく遺言と共に息絶え、屍はその場へ放り捨てられる。念の為と言わんばかりに撃ち込まれる銃弾――「残念だな、使徒だ」との詞と共に。

 振り返り、ただ転がっている多くの死体――だが、彼の瞳に映るはそれだけでない。壁全体を埋め尽くすような大量の血、地面に伸びる無数の根。そして彼の耳に響く無数の悲鳴。その光景に立ち尽くす彼だったが、その意識は再び現実へと解き放たれる。

 足を進めながら僅かに覗かせるガンベルトのポーチには複数のマガジン――その一つを取り換え、慣れた手つきで再装填リロード。全ての窓はシャッターが下ろされ、外部からの光は乏しい――世間の目を気にすることなく始末するにはうってつけという他あるまい。頼りとなる唯一の灯りは非常灯のみ、されどなりふり構わず左右の警戒を怠ることなくただ前へ前へ――拳銃に取り付けられた懐中電灯フラッシュライトも付けず、深夜のように暗い空間を進み続ける。

 やがてたどり着く部屋――一切の音を立てることなくドアノブを回そうとするが、鍵により阻まれる。懐から小型のツールを取り出してピッキングを行い、ものの数秒で開錠。その間に彼は部屋の内部を地獄耳で探り、微かな呼吸音を複数捉えていた。僅かにドアを開いて隙間から投げ入れる閃光手榴弾フラッシュグレネード。起爆と同時に突入、相手に生じた一秒の隙を突いて次々に男達の頭目がけて引き金を引く。瞬時に背後へ回った敵も全て察知済み――知らぬ間に握られるブレーカーペンが相手の鳩尾へと突き刺される。容赦なく浴びせられる銃弾の雨に、ただ彼等は成すすべなくその命を奪われる。


「なんなんだコイツ、完全にこっちの動きを読んでるぞ!」

「一度退がれ!正面からじゃ――」

 話し終える前にナイフで切り裂かれる喉元、それが遺言となる。ついさっきまで詞を交わした仲間が息絶えて横たわる光景に、ただ戦慄することしか。力は抜け、静かに後ずさりしながら嘆く。


「あ、あぁ……嘘だろ……」

 ビルの中にいた者の数、六十は下らない。しかしたった一人の青年に、一切の手出しすら出来ぬままほぼ全滅にまで追い込まれた。あんな人間――いや、もはや人間かさえ疑われるほどの者を手駒とする組織は、この日本においてたった一つ。そう結論を導き出すと同時に、彼の肩と足を三発の銃弾が貫き、その頭は左手で掴まれる。

 

「た、頼む――どうか命だけは」


 襟元に付けられたピンバッジを見て、その考えは確たるものへと。か弱く慌てたような声、しかし請願を以てしても響かない。

「現実を思い知れ」

 透き通るような声が無情に彼の耳へと響く。その力は徐々に強く――ついに、その頭は砕かれ、溜息と共に魂の抜けた身体は地面へと放された。微かに顔へと飛び散った血を拭き、その視線を周囲へと向ける。この場に保管されているのはざっと見積もって八百丁はある銃器――拳銃のみならずマシンガンやライフル、重火器さえも。

 再び視線は血を流して倒れる男達へ――同様に襟元のピンバッジを確認。関西地方を拠点とする広域指定団体――大阪連盟、その傘下組織である『華川はなかわ組』の代紋。世間ではヤクザとも呼ばれる彼等、またの名を極道。


「目標確保、オールクリア」

清掃業者クリーナーは直ぐに到着する。ご苦労だった」

 耳へ繋がれたイヤホンに指を当て報告――返されるは渋い一声。極道六十名以上を以てしても敵わないこの青年へ指令を下せる者がバックについている。幸か不幸か、彼らはこの事実を知らされぬまま葬られた。

「了解」

 無線は僅かなノイズと共に切断。外部より完全に遮断されたその空間に、ただ一人彼は佇む。屍を見下ろすその瞳――まっすぐ、突き通すような鋭さを。


「まったく、羽目を外しすぎだ」


 非常時に備え拳銃を再装填、静かに吐き捨てる。徐々に広がる鮮血――再び、彼に訪れる幻覚。広がる根、微かな悲鳴に漠然と立ち尽くす中、勢いよく開くドア――彼は即座に拳銃を構えるが、銃口の先に立っているのはIDパスを首より下げる者達。落ち着いた様子で拳銃を下ろしガンベルトへと仕舞う。互いに目線を合わせて頷き、入れ替わりで彼は部屋を去る。

 廊下にはもう一人――清掃用具の入ったキャスターを押す中年。その男の襟元にも、代紋のピンバッジが付いていたが、先程始末した極道達のものとは異なる――同じく大阪連盟の傘下組織ではあるものの、その名を『絢路あやじ組』。二人がすれ違うさま、その中年は被っていた帽子を手に取って口を開く。


あんちゃん、毎度おおきに」

「今後とも」

 振り返り、落ち着き払ったように穏やかな表情で返す。続く数秒の言葉なき対話ののち、互いの足を進める。



 平和の裏で必然的に現れる綻び――犯罪やテロリズムの蕾は、決して表社会に露出させてはならない。全世界の目を欺き、闇を闇のまま葬り去る――その使命を負ったのは、各国の諜報機関や秘密警察を始めとする数多の組織。

 それは日本も例外なく。十二年連続、治安維持率一位――その裏には、全ての犯罪を根絶せんと動き続ける組織がある。国家公安委員会より完全に独立し、日本政府直轄にして極秘の警察組織――その存在を知る者達からは公安警察、または公安と呼称。彼等が背負う任は多く、監視・犯罪捜査・治安維持・諜報・国防など多岐に渡って、その力を及ぼしていた。

 そして彼もまた、公安警察の一部署『特殊捜査局』の二課所属の人間として、この平和に寄与する者であった。

 

 神崎かんざき悠人ゆうと、別名『コードネーム《トワイライト》』。その年齢は僅か十六歳であり、現職の人間としては最年少クラス。


 極道を始末する警察――その構図は世間一般に受け入れられそうではあるが、一方で警察とタッグを組む極道――互いに相容れぬはずの関係にはカラクリがある。


 

 太平洋戦争終結後間もなく、GHQによる占領統治からの早急な脱却を目指す日本政府が極秘裏に公安警察を創設。既存の警察組織が正常に機能せぬ中、自警団のように治安を守り、自国を他所者に支配されることを毛嫌いした極道組織との利害が一致したことにより、『関八連合』『大阪連盟』以下、各極道組織と公安は自衛・治安維持の為各方面で暗躍していくことになった。

 戦後日本の復興を支えたのは、目に見える犯罪を取り締まる組織として後に設立される『警察庁』と、目に見えぬ敵をお家芸たる水際戦法で叩きのめし、この国を一つの独立国家として成り立たせた極道――そして公安だった。

 今日においても、憲法九条――『戦力の不保持』と『戦争放棄』によって大きく動くことの出来ない自衛隊に代わり、日本の平和及び安全をその裏から保ち続けてきた。

 

 世界平和を脅かす勢力やテロリストといった者達が表社会へ影響を与える前に――その存在を抹消し、を世界から隠匿。その為ならば、どんな手段をも――例え、全世界を欺いてでも。

 真相を知らなくたって、世界はそこに居るとも知らぬ大きな存在を無意識的に必要とし続ける。努力や犠牲が世界に知られることも、誰かに成功を讃えられることもない。

 たとえそれでも、彼等は世界の為に人生を捧げ続けている。


 ――『この平和を守れるなら、それで十分だ』


 それが、彼がこの世界に対して、最も多く綴る言葉であった。


 ◇◇◇


 の後、東京へと舞い戻った神崎――彼を乗せた車は、あるビルの内部に据え置きされた立体駐車場へと入り、車両エレベーターへと。ドアが閉まり、リフトは下へと――二十秒後、巨大な車両保管庫が姿を現す。車種を問わず一般車や戦闘車両をも保管されていたが、その大半が黒く統一。残る車は覆面車両のように、世間に溶け込みやすく。リフトが止まってドアが開くと再び車は進み、一角へと停まる。荷物を取り、エントランスから入った先で、ソレは彼を出迎える。

 内閣府公安警察庁東京本部――設備の全てが、地下七十一メートルからの空間へと収められ、その規模たるや東京都新宿区を埋め尽くすほど。管理は公安へと一任、存在を知らぬ者は厳重な警備システムによって一人たりとも立ち入ることを許されず、完全に世間から隠匿されている。

 警察庁の手に負えない捜査を担当する『公安部』、犯罪捜査のみならず諜報を始めとして幅広く任務を請け負う『特殊捜査局』。非常時には軍事組織としての活動をも可能とする純戦闘組織『戦略機動部隊』、捜査員の健康管理及び治療を行う『医療部』。特捜局よりも調査・潜入に特化し全職員にとって欠かせない『情報局』、そして彼らの作戦行動や任務の総てを司る『司令部』の計六部署が集結する場であった。機能性を重視した白を基調とし、昼夜問わず多くの者が行き交う。そこに結集された技術は、まさに現代におけるオーバー・テクノロジーであり、数十年から百年近い未来の技術の数々。



 本部内を歩く神崎――その耳にどこからともなく響く、虚の悲鳴。咄嗟に振り返った先に見える景色は、各所の明かりから微かな電気スパークが放たれ、施設の中は僅かな緑の光を残した暗闇に包まれている。壁には無数の弾痕、飛び散った血飛沫、爆発の影響で入っているヒビ。辺りを見回せば、地面には冷たくなった同僚たちが倒れ、その息を永遠に吹き返さず。垂れ流される血は温もり一つ残さず、ただ粘度の高さだけが感じられる。


「――た、何――っ――イト》」


 彼の耳へと届く、何者かの声。どこを見ても誰も居ないというのに、その声は繰り返される。次第に大きく、そしてノイズのように点滅を繰り返し始める視界。悲鳴は更にこだまし、脳へと深く刻み込まれる。


「――大丈夫か、《トワイライト》」


 その言葉と共に、視界に広がる本部の景色は何事もなかったかのように、綺麗さっぱりと。整わない息のまま、再び振り返る彼――視界の先に立っているのは、特捜局二課の同僚。

「あぁ、何でもない」

 彼の意識は引き戻され、またしても先の光景が現実でないことへの安堵を覚える。その様子を同僚は不安げに見つめるが、「何もないなら良いんだが」と。

 二人は揃って本部の中で足を進める――だが、神崎は何かに引きずられている。形は掴めないながら、日々絶えず彼に付きまとっている何かに。そして今回ばかりは、鮮明かつ確かなもので現れた。ただ一つ、直感的に彼が覚える――『何か、巨大な闇が動き出している』と。


 ◇◇◇


 ――所変わって、大阪。

 公安の監視網を掻い潜って逃げ続ける一人の男。公安だけでなく、この地で根を広げる何者かに、彼は常に追われていた。太陽はとっくに沈み、月夜が世界を見下ろす暗闇の中、微かな電灯に映る顔――その顔は大阪連盟直系、華川組の組長。追い込まれるようにして踏み入れる裏路地――だが、その先の光景に彼は唖然とするほかなかった。


「……嘘やろ、勘弁せえや」


 即座に振り返って逃亡を図るが、目の前には突き付けられる銃口がひとつ。引き金に指をかけるその者の頭は、月の輝きを綺麗にその場へともたらしていた。

 そして微かながら、彼を貫く発砲音が世界へと響き渡る――。



 我が国の公安警察は警視庁公安部から完全に独立した組織として機能し、我が国の治安及び国家そのものを脅かさんとす脅威を取り除くためにいかなる手段をも講じる。政府直轄組織としてその存在は完全に隠蔽され、我が国に属するあらゆる行政・司法機関、本条項を除く憲法・法律による影響を受けない。そして、我が国の非常事態においては、軍事作戦行動の実行を可能とする準軍組織としてみなされ、その行動における全権限を公安警察総監へと委任される。

 ――日本国憲法第九十八条の二、非公開項目。

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