ようこそフュージョン部へ

廃部通告

 スマホで録音した練習の演奏を再生していて、ミチルがボリュームを上げようと古いステレオアンプに触れたその時に、それは起きた。ガリガリ、ブツン、という音がして、左チャンネルの音が出なくなったかと思うと、電源が切れたのだ。スタンバイのランプはついている。

「なにこれ」

「いよいよこの老齢アンプもお迎えが来たか」

 額のヘッドバンドの位置を直してミディアムロングストレートの髪を左右に分けながら、ジュナが冷徹に呟いた。このあいだ、部室を念入りに掃除して、乱雑な配線も見直したばかりである。

「まあ、これも旧校舎からのお下がりでしょ。今までよくもったわよ」

「でも、うちの部費じゃ新しいコンポなんておいそれと買えないかも」

 クレハが持ち出した部費の話に、マーコがぼそりと付け足した。

「来年どうなるか自体もわかんないけどね」

 一瞬、みんなの会話が止まる。それは、わかってはいるが、それとなくみんな避けていて、でもいつかは直面する問題についてだった。

 空気が重くなるのを避けるため、ミチルが口を開いた。

「とっ、とりあえず、今日はライブに向けての感触も掴めたから、お開きにしよう。当日のセットリストのアンケート明日取るから、各自意見をまとめておいて」

 ミチルが多少強引に話を引き戻すと、全員それなりに気持ちを切り替えてくれたようだった。5人はそれぞれ自分の機材を片付け始めた。


 古いアルミ製のドアを閉めると、ミチルが責任者として鍵をかけた。陽が傾いて、雲の色が赤みを帯びてくる。

「それじゃ私、鍵を返すついでに顧問のとこに寄ってくるね。コンポの件、相談してみる」

「よろしく頼むわ」

「うん。また明日」

 ジュナと手をパチンと合わせて、ミチルは一人校舎に向かう。その背中に、遠ざかる4人の声が小さく聞こえた。

『もう色々厳しいのかな』

 それはマーコの言葉だった。何とかなるさ、とジュナが励ましている。ミチルは不安を抱えながら、職員室のあるA棟へと向かった。


「市民音楽祭へ向けての練習は順調です」

「そうか。じゃ、当日は俺が車を出してやる」

 具志堅用高がもう少し細面になったような、鈴木雅之の髪が増えたような風貌の顧問の竹内先生が、足を組んだままガスチェアーをくるりと回して振り向いた。生徒からの提出物をチェックしていたらしく、デスクには様々な筆跡の用紙が広げられている。

「ありがとうございます」

 色々と力になってくれる先生なので、頭を下げる。ちなみに部室でライブと言っていたのは、毎年夏休みに市内で開かれる、そこそこ大きな音楽祭のことである。学生から社会人まで大勢が参加し、毎回ちょっとしたプロのミュージシャンも招かれる。フュージョン部も常連だが、今年はメンバー全員女子ということで話題になっているらしかった。

 丁度いいタイミングで、調子が悪いコンポの件を切り出そうとした時だった。竹内先生に先手を取られてしまう。

「大原、ちょっと」

 立ち上がって指をくいっと曲げ、先生は空いている応接コーナーにミチルを招いた。


 あまり座る事がない黒レザーの椅子に座り、竹内先生と向き合う。先生は勿体つけても仕方ないと思ったのか、さっさと本題に入った。

「お前に相談されていた、部活存続の件だが」

 いよいよ来たか、とミチルは身構えた。さっき、部室でみんなが話題にしかけたのは、この事である。

「まあわかってるとは思うが、フュージョン部は現在、部員が10人いる。そのうち5人がお前たち2年生で、残りが3年生だ」

 淡々と竹内先生は現状を述べた。そう、フュージョン部は今年の春の勧誘で、1年生を獲得できなかったのだ。

 先生は続けた。

「当然今のままなら、3年生が卒業してお前達が進級すれば、来年のフュージョン部は3年生5人だけでスタートする事になる。いっぽう、部活動として部費が下りるための規定は、部員が10名以上で活動の実績が1年以上あることだ。厳密にはな」

「はい」

「なので、規程どおりならこのまま行くと、来年春にはまず、フュージョン部は同好会に降格する事になる。…といいたい所なんだが、実のところ、廃部という線で意見がまとまりつつある」

 それも、ミチル達にはわかっている事だった。だが、改めて顧問から言われると、それが現実か、と思い知らされた。

「俺は活動内容そのものに関してはサポートしてやれん。音楽の心得もないし、機材を積んで車を出すとか以外はな」

 だが、と先生は言った。

「俺だって、もう4年ばかりフュージョン部の顧問だ。このままにして終わらせるのは忍びないし、俺の代で36年続いた部活が無くなる、というのもあまり格好良くはない」

 なんだか話の様子が変わってきたぞ、とミチルは思った。単に、要するに来春で廃部です、と言われるのを覚悟していたのだ。だが、実際はそれほど希望がある話ではなかった。

「まあ、頭のいい大原のことだ。察しはついていると思うが、条件次第で存続の可能性はある」

 だがそれは厳しいぞ、と竹内顧問の目が語っていた。ミチルは黙って頷き、続きを聞く。

「フュージョン部存続の条件だ。今学期中、つまり夏休みまでに1年生を最低でも5人、入部させること」

「こん…」

 言葉を返しかけて、ミチルは絶句した。今学期があと何か月あると思っているのか。もう6月である。春の必死の勧誘も、フュージョンとは何ぞや、という反応ばかりであった。竹内顧問は頭をかいて、申し訳なさそうに下を向く。

「…ひとつだけ」

 ミチルは、震える唇でそう言った。顧問は静かに答える。

「言ってみろ」

「私は先生に相談した際、せめて”文化祭までに3人の1年生を確保”という条件を提案しましたが、これが学校側に通らなかった、という事ですか」

「まあ簡単に言えば、そういうことだ」

 苦い顔で、いかにも残念そうに頭の後ろで手を組み、天井を仰ぐ。

「これは俺の、お前たちに対する保身の言い訳だと受け取ってくれていい。だが、俺の立場で学校に言える事は言った。これは、お前が俺に相談した結果だ。だから、お前の行動も意味がなかったわけじゃない」

 それは本心だろうが、ミチルとしてはやはり不満ではあった。だが、満額回答がもらえると期待していたわけではない事も確かである。

「あれこれ言っても仕方ない。もう一度、さっきの条件を言うぞ。今学期中に、5人の1年生を確保すること。それができなければ、フュージョン部は事実上、廃部が確定する」

 竹内顧問は、あえて厳しくそう言った。本当は言いたくない、というのが表情でわかるが、そういう役目を引き受けるのも教師の務めなのだろう。ミチルはそれ以上、精一杯掛け合ってくれたであろう先生には何も言えなかった。

「…わかりました。色々ありがとうございました。あとは自分達でやってみます」

 ああ、と顧問は頷いて、冷蔵庫から1本の缶コーラを差し出してくれた。


「失礼します」

 冷えたコーラを手に職員室を出ると、固い階段を降りる。扉を開け放した職員室から、会話が聞こえてきた。

『フュージョン部の子ですか』

『ええ。私も何とか、職員会議で掛け合ってみたんですけどね』

 竹内顧問の声が耳に痛い。


 昇降口を出ると、ミチルはブラバンの演奏を聴きながら、なくなる心配がない部活もあるよな、と一瞬考えて、ふるふると頭を振った。よそを羨んでどうする。私たちは私たちだ。

 もらったコーラのタブを引くと、ガスの音とともにカラメルの香りが漂う。ミチルは気持ちをリフレッシュするかのように、喉に流し込んだ。しかし、”廃部”という冷徹な現実が脳裏をかすめ、口をついて出るのは気弱な本音であった。

「先輩たちとみんなに、何て言おう」

 ミチルは、長く伸びたポプラの影を踏みながら一人、駅に向かって歩いた。

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