Light Years
塚原春海
イントロダクション
初夏の風が吹き抜ける平野に、公立・南條科学技術工業高等学校はあった。三ヶ月前には淡いピンクだったクラブハウス手前のソメイヨシノも、グリーンの葉が繁っている。
夏至が近く、放課後でも空は抜けるように青い。おそらく全国の中高でおなじみの、ブラバンの練習が開け放した窓から響き渡り、用事のない生徒の帰宅を促す放送部の女子の声が被さった。
グラウンドでは野球部、ソフト部、サッカー部がボールを投げ、蹴り、走る。体育館からはバスケ部の、床を打ち付けるボールの音が響いてくる。
クラブハウスからは写真部が型落ちの一眼レフを手に、ゾロゾロと這い出てきた。何を撮るつもりだろうか。
そのクラブハウスの一角というか、正確に言うとクラブハウスの右奥の、バラックと間違えそうな古い小屋に、私の所属するフュージョン部はあった。
いちおう鉄筋の三十数畳ある部室に、よく言えば年代もの、要するに古いPAやギターアンプ、そしてアンプヘッド、イコライザー、ミキサー、電源ユニットなどがマウントされたスタジオラック、ドラムセット等が据えられている。壁際には平成か昭和か、やはり古い角ばったデザインの巨大なオーディオコンポが置かれていた。
「はーい、いくよー」
ドラムス担当の、丸いボブカットのマーコがスティックでリズムを取る。ワン、ツー、スリー、フォー。ベース、ギター、アルトサックス、キーボード、ドラムス、全てのパートが一斉にイントロを奏でた。
曲はキャンディ・ダルファーの二〇〇七年のアルバムの一曲目。キャンディ・ダルファーって誰か、って? ジャズ・ファンクの巨匠キャンディ・ダルファーだよ。知らないの!?
この曲はテンポはそう速くはないのだが、実際演奏してみるとベース、ドラムスのリズム隊に合わせるのが難しい。よく「弾いてみた」系の動画で速さ自慢してる人がいるけど、速いと誤魔化しも効くので、本当はスローテンポでミスなく演奏する方が難しい。
ギター担当のジュナと、呼吸を合わせて吹く瞬間が心地良い。この曲はギターはシンプルなリフ主体なので、テクニカルな演奏を好む彼女には物足りないらしいが。
演奏を終えて、レコーダーアプリを停止する。マイクはネットショッピングで格安で見つけた、スマホに装着する高性能ステレオマイクだ。練習はこれで録って、例の年代物のコンポにスマホを繫いでチェックするのだ。
「まあまあ上手くいけたんじゃない?今回は」
ジュナは自慢のレスポール、ただしエピフォンのコピーモデルを抱えながら私の手元を覗き込んだ。ちなみにジュナいわく、レスポールはロックのイメージが強いが、もともとは1952年に、ジャズギタリストが制作したものなのだという。サックス少女のミチルはギターには詳しくないので、ストラトキャスターとテレキャスターとレスポールの違いしかわからないが。
スマホのイヤホン端子から年季の入った古いアンプに繫いで再生すると、同じく古い巨大なスピーカーから、ぼんぼんとベースが響いてくる。その奥にドラムがいて、ギターとキーボードとサックスがその陰に…
「ぼやけて聴き取れないな」
お団子眼鏡のキーボード担当マヤから演奏ではなく、まさかの録音にクレームがきた。しかし確かに、演奏がまともに聴こえない。これはどうした事か。中古ではあるが、少しばかり奮発したマイクだというのに。マヤは眼鏡の位置を直しつつ言った。
「もうちょっと高い位置に置いた方が良かったかもね、マイク」
そういえば演奏前も、そんなことを言っていたかも知れない。私は反省し、みんなに頭を下げる。
「ごめん」
「ドンマイ、ミチル。また演奏すればいいじゃない」
そうフォローを入れてくれたのは、ゆるふわの綿菓子みたいなロングヘアで、穏やかに微笑みながらものすごいベースを弾くクレハだ。彼女のサウンドは、文字通りうちのバンドの基盤である。
とりあえず、演奏しながらでも感触は掴めたので、私の録音ミスはお咎めなしという沙汰が申し渡された。そのあとマヤに言われたとおりマイク位置を調整し、適当に何曲か練習してみる。リー・リトナー、デイヴ・グルーシン、そして時々ライブの締めに演奏する、チック・コリア・エレクトリック・バンド「Light Years」。
私達フュージョン部は名前のとおり、フュージョンの演奏を行う音楽部だ。フュージョンって何か、って?うーん。
例えば、ニュースのスポーツ情報とかでBGMに流れてる、サックスとギターが入ってて、アップテンポでライトな感じの音楽、あるでしょ。あれ。ああいうやつ。あと好きな言い方じゃないけど、ホームセンターとかで流れてるようなBGM。ざっくり言うとね。
それから、バラエティ番組でレース企画の時とかにほぼ必ず流れて来る曲。誰でも聴いた事がある、THE SQUAREの「TRUTH」っていう曲。あれが日本人に説明する時に一番わかりやすいんだけど、すぐにあの大ヒットナンバーを持ち出す奴はニワカ、って言われるのは、あまり面白くもない。
とにかく私たちは、軽音楽部ではなくフュージョン部だ。サックスは入っているけど、吹奏楽部でもない。私は吹奏楽部にスカウトされていたのだが、この学校を選んだ理由はフュージョン部があったからだ。
日本でフュージョン・ブームがあったのは、私たちのお爺ちゃんお婆ちゃんが若かった頃、はるか昔の話で、この学校にこのフュージョン部が出来たのも、そのブームが最盛期を迎えたか、過ぎたかのあたりだったらしい。
令和のいま高校生で、フュージョンを進んで聴いている人はどれくらいいるんだろう。ロックのファンで肩身が狭い、なんていうのは私に言わせれば話にならない。ロックなんて市民権を得ているに等しい。高校生どころか、四十代のお父さんに「シャカタクって日本のバンドじゃないの?」と訊かれて説明しなきゃいけなかった十六歳女子の気持ちなんか、お前にわかるか。わかれ。
ラッカー仕上げのアルトサックスの煌めきが、私を支えてくれる。子供の頃、叔父さんの車の中で聴いた、キャンディ・ダルファーの輝くようなサックスが、全ての始まりだった。
これはわたし大原ミチルと、たくさんの仲間たちの、あっという間に過ぎ去った日々の記録。
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