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 休日の帰路は、路線バスが出発し家の最寄りのバス停を目指すだけになった。ニケとリンが座席に着きバスが発車したと同時にリンはすーすー、と寝息を立てて居眠りを始めた。ときおり息苦しそうに唸るが、隣りに座っているニケの肩に頭を乗せたまま静かだった。密着した肌からリンの高い体温が伝わってくる。

「いろいろあったからな、今日は。気苦労も多かっただろうし」

 パルの着信音が鳴った。リンを起こさないようゴソゴソとポケットからパルを取り出した。小さな液晶画面に数列が並んでいる。定型文の数列ではない。

 ニケは記憶の中にある数列の符号表と合致させた。「ホテルにでも泊まればいいのに」と野生司大尉の音声で脳内で再生された。

 バスのダイヤの最後に近いとは言えまだ帰ることができる時間だ──そういえばヒトにとって“ホテル”とは単に宿泊するという意味以外に繁殖行為を行うという意味合いもあると、軍警察の女癖の悪い先輩が教えてくれた。繁殖能力がネズミ並なヒトならではの隠語である。

 バスの外の夜の闇は、それでも2桁区に帰ってきたから街灯や自動車のライトに照らされ煌々こうこうとしている。スラム街のような闇金融の張り紙や下品な落書きグラフティは存在を許さない瀟洒しょうしゃな街並み。自らを3桁区ロワークラスと切り離し1桁区アッパークラスのように振る舞わんとする虚栄の町。

 同心円状に切り取られたオーランドで善人と悪人、貧者と富者は決して交わらない。

 しかし──となりに寝ているリンにはそんな区別は存在しない。ヒトはすべて守るべき愛しい存在だ。純粋な兵士の彼女は、純朴な正義と純心な優しさばかりだった。ヒトでもない強化兵でもないリンとしての個性を勝ち取りつつある。

 強化兵として生産され戦場ですり潰されるはずだったリン。彼女の能力と運の強さでここまで生きてこれた。

 こだまエコー──自身の血の海で溺れる先輩──最期の言葉「たす……けて」。救えなかった命。

 こだまエコー──砂塵の中でも笑顔の強化兵──「うんうん、気に入った。リン。はじめまして!」

 それなのに自分は──流されたままだ。個性がない。その場で一番いい方策でのらりくらりと切り抜けてきた。両親の不審な滑落死の後、偶然 里にいたヒトの商隊に街へ連れて行ってくれるようにと頼み、ヒトの社会で生きていく食い扶持を確保するため軍に入ったのは偶然だった。

 士官学校の試験も徴兵事務所の所長の勧めがあったからだし、ヒトの半分の期間で卒業できたのも努力ではなく平均的なブレーメンの身体能力と思考能力のおかげだった。運良く戦場で生き残り、オーランドに来たのは、これも偶然。自分の意志なんて関係ない。

「俺は、リンがうらやましいよ」

 ニケはリンの細い髪を撫でてやった。左右非対称アシメの赤い髪がバスの細かい振動に合わせてぱたぱた揺れている。夢心地だが少しだけリンの表情が和らいだ気がする。

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