第21話 自己満足-2

 結論から言って、事態の全貌は僕が想定していたよりも遥かに重大なものだった。タクシーが発進してから暫く経ち、漸く泣き止んだ許斐このみさんから聞きかじったことを要約すると、こんなところだ。


 ──いわく、彼女は数週間前から、ストーカー被害に遭っているということ。


 ──曰く、被害状況を他人に相談した時点で、許斐さん自身ではなく、その相談相手をただでは済まさないという内容の警告を受けていたこと。


 ──曰く、僕に事情を明かすことなく、僕の告白を有耶無耶うやむやにしたのは、やはり犯人の指示であること。


 ──曰く、犯人に心当たりはなく、電話番号を知られている程に身近な人間であること以外に端緒たんしょをつかめないということ。


 何故電話番号を知られていると思うのかと問えば、複数回に渡って同一人物と思われる人間からの非通知電話を受信しているからだと、彼女は答える。そういえば先日、彼女の所属するサークルの後輩である氷山ひやまさんから提供された目撃情報を思い出し、彼女に問いただす。


 すると許斐さんは、先日サークルの部室で怒号を飛ばしていた理由は、まさに犯人からの脅迫電話が掛かってきたからだと説明する。


 許斐さんは僕と食事の約束をしていた時点で、僕に誕生日プレゼントを用意して、僕の告白のやり直しについて満更でもない様子で楽しみにしていたという。そのような中、いつものように大学構内にてサークルの部室に向かい、椅子に座って休憩していたときに突如として掛かってきた非通知電話は彼女にとって青天の霹靂へきれきだった、という訳ではなかった。なぜなら彼女は、ここ最近のストーカー被害の一環として、このような悪戯いたずら電話を受信するのは、これが初めてではなかったからだ。


 ──電話に出なければ犯人を刺激してしまう。そう考えた許斐さんは、恐る恐るスマホの着信ボタンをタップして通話を開始する。彼女は神妙しんみょうな面持ちで口を開くも、何か言葉を発する間もなく、犯人からは一方的に要求を突き付けられたという。


 その要求の内容は単純明快で、僕の告白を断ること、それだけだった。無論、予め許斐さんから断るのではなく、約束当日にその場へおもむき、きっぱりと謝絶しゃぜつするのだ。僕に長い間期待を持たせておいてから、面と向かって言う方がダメージが大きく、僕に諦めがつきやすいとして、二度と僕が許斐さんに寄り付かないようにという意図があったと考えられる。


 従って、許斐さん側から僕に事情を説明する余地はなく、食事の約束は延期も中止も許されなかったらしい。そして、許斐さんが犯人の要求に背くことを妨げるための保険として、約束相手である僕への害意を隠さなかったという。


 ──もうやめて! わかってるから、それだけは、お願い……!


 氷山さんから聞き及んだ証言とも一致する許斐さんの話した内容に、僕はようやく合点がいった。つまり先程起きた行きずりの暴力沙汰は、僕が許斐さんの抱える事情の実態に差し迫って解決に乗り出し、精力的に情報収集などを行っていたことによって、結果的に彼女の相談相手と大差ない存在と見做みなされ、邪魔者として排除されようとした、ということだろう。あるいは単純に、僕を恋敵として消そうとした、ということもあり得る。そう考えれば、先程襲ってきた何者かが、許斐さんのストーカー本人ということで間違いなさそうだ。


 一通り聞くべきことを聞いた僕は、許斐さんが立派な犯罪に巻き込まれていることを知り、義憤に駆られる。一方で、不覚にも安心で表情が緩むのを抑えきることができなかった。許斐さんは僕の僅かな変化に気付いて、首をかしげる。


否己いなきくん、どうしたの……?」


「さっき、僕が許斐さんのこと、嫌いになったかって、そう聞いたよね?」


「う、うん……。」


「逆だよ。僕は今の話を聞くまで、心のどこかで、やっぱり全部僕の考えすぎで、許斐さんは僕のことが嫌いだから、僕の想いを拒んだんじゃないかって。」


「っ、そんなことない! 私は……。」


「わかってる。許斐さんの口から真相を聞くことができて、漸く僕は安心できたよ。」


「でも、私は否己くんのこと、私の問題に巻き込みたくなかった……。」


「じゃあ、もし僕が今日、許斐さんのストーカーに殺されかけてなかったら、まだ僕を無関係の人間として何も打ち明けず、1人で抱え込もうとしてたってこと?」


「だって、否己くんを傷つけないようにするためには、それしか……。」


「っ、ふざけるな!」


 僕は許斐さんの言葉に腹が立って、タクシードライバーの目をも憚らず咄嗟に怒鳴ってしまった。もしかしたら、今まで生きてきた中で一番大きな声が出たかもしれない。しかも、先程まで恐怖で泣いていたせいで目を赤く腫らしている女性相手に声を張り上げたことに罪悪感を覚えながらも、思いの丈をぶつける。


「僕は、頭を死ぬほど思いっ切り殴られるよりも、許斐さんに頼りにしてもらえない方が、何もかも1人で抱え込んで悲しい顔をしていた貴方を蚊帳の外で見ているしかない方が、よっぽど辛くて、傷つくよ!」


「許斐さんは何も悪くない! だから貴方がいわれのない罪悪感に押し潰されそうになっているのを見る度に、僕は胸が張り裂けそうだよ……!」


「僕も許斐さんの事情を知ることができたし、犯人に目を付けられてしまった以上、何が何でも貴方を助けたい。」


「だからもう、ごめんなさいだなんて言わないで、どうしてもって言うなら、これからはありがとうって、そう言ってください……。」


 許斐さんは僕の説教にも似た怒声を一頻り一身に浴びた後、再び声を殺して泣き出してしまった。──怖がらせてしまっただろうか。驚かせてしまっただろうか。いずれにしても、TPOを一切弁えていない僕の発言に、タクシードライバーの方からも苦言を呈されてしまう。


「お客さん、トラブルは困りますよ。大丈夫ですか……?」


「え、えぇ。驚かせてしまい申し訳ない……。」


「私は良いんですがねぇ。彼女さん、泣いてますよ……?」


 ──言われなくてもわかっている。そして、訂正するのも面倒だから敢えてそのまま流すが、彼女ではない。まだ癒え切っていない失恋の傷が痛むので、こういうのは勘弁してほしい。


 僕は許斐さんをなんとか慰めようと、優しく声をかける。


「ご、ごめん。怖がらせるつもりはなかったんだ。」


「僕は許斐さんを助けたい一心で……。いや、僕みたいな奴なんか、頼りなく見えるのは当然か。」


「ほんとに、さっき言ったことは忘れてもらっても構わないから……。」


「っ違う、違うの……。」


 ようやく許斐さんは口を開いてくれた。僕はどんな罵詈雑言ばりぞうごんをも覚悟していたが、彼女は開口一番、僕が最も予想だにしていなかった一言を口にした。


「っ、ありがとう……!」

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