第17話 同居生活
空いている部屋は三つあった。
その全ての間取りが同じであり、違いがあるとすれば、それは窓から見える景色だろう。……絶景に興味はない。ぼくは屋根があって、雨風を凌げれば満足なので、三つのどの部屋でも構わなかった。
どの部屋でもいいとは言え、許可は取るべきだろう。
なのでぼくは一旦、楽外の部屋を覗くことにした。
ふと、イタズラ心が芽生えて、殺される覚悟で聞いてみようと思った。
そう、楽外と同室でもいいのか、である。
楽外の部屋、扉の前に立ち、こんこん、とノックをする。
返事も待たず、扉を開け、
部屋に踏み込み、声をかけた。
「やあ、楽外」
「――両手を上げて、死ね」
早い。命乞いをさせてくれない楽外が、柄の先に刀身をはめこみ、その刀の刃を、ぼくの首にぴたりと当てていた。寸止めではない、もう触れている――、ちょっとでも引けば、それでぼくの頸動脈は綺麗に切れてしまうだろう。
というか既に切れている――、じわり、血が流れてぼくの胸に落ちているのだが、そこは楽外がタオルで拭ってくれた。
親切だ、と言うよりは、彼女自身が自分のためにと思っての行動だろう。
苦しい状態をさっき嫌というほど味わった後である。
で、だ。かちゃり、と刀をぼくの首から離し、タオルを押し付けてきた。……ああ、ぼくが自分で傷口を押さえろってことね。なら、傷をつけなければいいのに。
これには楽外も、ちょっとは後悔をしているらしい。
「言っておくけど、返事も待たずに女の子の部屋に勝手に入ってくるあんたが悪いからね? 文句は聞かないし、言えない立場だからね?」
と、彼女が刀を鞘にしまいながら。
「分かってるよ。これは、ぼくが悪かった――、もうしない。一応、女の子でも、魑飛沫で、殺し屋だもんね。部屋に勝手に入ってきた人物を殺そうとするのは、当たり前の本能か。ぼくが用心していなかったのが悪い――うん」
彼女の言う通りだ、ぐうの音も出なかった。
「……一つ気になるのは、『一応、女の子』ってところだけど――なに、一応、女の子って? 仕方なく女の子の部類に入れてあげるよ的な、その言い方はなんなのかしらね?」
楽外の文句を聞き流しながら、ぼくはさらに部屋へ入る。じろじろと部屋を見回し――、ベッドの上にはくまのぬいぐるみが置いてある。小さい女の子に人気の可愛いマスコットキャラクターが印刷されたクッションもあった――、カーテンはピンク、机の上には写真だ……楽外と、心志さんが映っている、ツーショットである。こうして見ると、普通の女の子の部屋だな。
「……あっそ、無視するのね……いいけどさ」
呟き、楽外がぼくに近づいてくる。
「あんまり、じろじろ見ないでくれる……?」
と言われたが、ぼくは構わず観察を続けた。
ふうむ、やはり、ぼくの想像は間違っていなかったのか。
予想は、確信に変わった。
いや、既に変わっていて、変わった理由を探していたに過ぎない。
女の子の部屋に、本来ならあるはずがないもの――刀や、様々な刀身があることについては、今は置いておこう――とにかく。楽外の部屋の家具、刀の置き場所は、何度か変更した形跡があった――模様替えだ。しっくりくる置き方を見つけるまでは、何度かすることになるだろう。
物が多いと移動させるのも大変だ。
しかし、何度か模様替えをした形跡があるのだが、壁に貼り付けてある写真――、壁に突き刺さっている
写真については、模様替えの時に、一度もそこから移動させていないことになる。
写真をメインに、模様替えをした?
写真が映えるように、見やすいように、家具を移動させているとでも?
楽外と心志さんのツーショット写真ばかり、である。
中には無理やり、遠近法で隣に並んだ瞬間を狙って撮ったものもある。
強引に、心志さんにしがみついて撮った写真もあり――。
どれもこれもが、同じ構図だった。
「やっぱりファザコンか」
「――ふぁ、ふぁっふぁふぁっ、ファザコン!? そんなわけないでしょ!? こんな年齢になってお父さんが大好きとか、しかも女の子がっ、だよ!? ないない、ないわよあり得ない! そんなわけあるはずがないでしょう!? いきなりなにを言い出すのかと思えば、そんなこと!? もうっ、まったく、見当はずれよ、大間違いよ。かすりだってしていないわよ、まったく――」
…………、
いや、ここまで否定されたら、逆に『私はファザコンです』、と言っているようなものだと思うけど……、本人は真面目に、そんなことに一ミリも気づいていないのだろう。
まったくもうっ、と言い続ける楽外は、ファザコンではない、と自分に言い聞かせているようにも思えて、事実、言い聞かせているのかもしれない。
しかしこの対応、反応、まず間違いなくファザコンであることは決定だ――。まあ、だからと言って、なにか変化があるわけでもないし、接し方を変えるつもりもない。
ただ、楽外の秘密のようなものを知ることができた――つまり、彼女との距離を、ぼくの自己満足ではあるが、ちょっとは縮められたのではないか、と思えたのだ。
どういう食べ物が好きなのか、みたいなものだ。
知ったからどうこうではなく、知ったこと自体が、前進していると思える。
なのでもう充分なのだが――
だから別に、必死に否定の材料を探し、返す言葉が出ないような死角なしの言い訳を考え、ファザコンであることを否定しなくてもいいのに、楽外は未だに喋り続けたままだった。
「そりゃあね、普通で、一般の女の子と比べたらね、仲良しの親子に見えるだろうけど――、だからと言ってファザコンって決めつけるのは、早計なのよ。安易なの。ただ仲が良いだけなのよ。仲が良いだけで、全然、執着しているわけじゃないんだから。――ねえ、分かってるの、聞いてるの飛躍屋!?」
「聞いてる聞いてる、分かったから。もう落ち着いて。とりあえず鞘から抜き取ろうとしているその刀をゆっくり置いてくれ、頼むから」
隙があれば刀を抜き取ろうとするな。危ない女だ……、癖なのか、本能なのか。
気が付けば刀に手が伸びているこの現象――魑飛沫の性質なのだろうけど。
こうして日常生活に混ぜて見てみると、やっぱり病気に思えてしまう。
不治の病だ。
病院では分からない、一般常識と比べて浮いてくるこの病気は――、
これを病気とするのであれば、質が悪い。
楽外の場合、無意識になにかを襲う、という最悪のケースは免れているようだけど、ぼくの力が作用した場合、油断していると後ろからぐさりと刺されそうで、だから気を抜くことはできそうになかった――。
「ん、分かればいいのよ、分かればね」
やっと、鞘に刀をしまってくれた楽外。
その隙に、ぼくはベッドの上に腰かける。彼女のベッドだ――、ふわふわで、弾んで、寝心地が良さそうである。トランポリンみたいだ――じゃあ寝にくいか。
それにしてもよく弾む。天井まで跳ねそうだ――いけるか、と挑戦しようとしたら、
無言の圧力。
しまったはずの刃が、鞘から出て、ぼくの首に触れていた。
もしも激しくして、ベッドが壊れたら、殺されるだけじゃ済まなそうだ――。
無言の圧力で止めてくれたのは、優しい方だろう。
「……はぁ。――で、なんなの? ファザコン云々だけのことを言いにきたわけじゃないんでしょう? わざわざ部屋までくるってことは、それなりの用事があったんじゃなくて? それとも、単に私に会いにきたってわけ?」
「まあ、それに近いかもね。この部屋にぼくも――、嘘嘘、冗談だって」
最後まで言えず、楽外の刀が、殺意を帯びた。
たとえ冗談でも、その先を言うのは、本能が止めてくれた。
喉がきゅっと閉まったのである。
楽外には冗談が通じない……、それが分かっただけでも、収穫ではあった、か。
次からは気を付けよう。日常的にこうも刀を向けられることは避けたいが、これが楽外の癖だとしたら、減らすのも難しいかもしれない。
まあ、あっても斬られなければ問題はないわけで。
刃と一緒に向けられる感情が、憎悪でなければ、安心できるけど――。
まだそこまでの信頼を得ることはできていないようだ。これから、である。
やがて、楽外に振る話題もなくなってきた。用事もないし、からかう内容もない。
部屋にただいるだけの存在になってしまうので、そろそろ引き際かな。
夕飯ができる時間までなにもしていないのも無駄だな――風呂にでも入るか。
そして、ぼくは部屋を出ようとする。
「…………」
一応、この沈黙はぼくだ。
勝手に入って勝手に出ていくだけだから、楽外がわざわざ声をかけることもない、というのは分かっているが、それでもせめて、一言くらいは欲しかった――、そう思っている自分がいる。
ここまで寂しがり屋ではないはずだけど、成長か? 退化か? どうなのだろう……。
となれば、言葉が欲しければ、ぼくからかけるのが礼儀か。
なんて声をかければ――
……ふと、そこで頭の中に浮かんだ言葉が、まさかそれだとは。
完全に、悪手だった――不器用だなあ、以前に、気づけないものか、と自己嫌悪である。
まあ、わざと、の部分もあったけどね。
「じゃあね、ファザコン」
ぼくは少しだけ、優しい喧嘩ができる、『きょうだい』、というものに、憧れた。
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