第16話 我が家
母親、母さん。
母さんは、ぼくが生まれてからすぐに、ぼくをここへ送り込むことを、見越していた、ということなのだろうか。ぼくに会わず、なにも言わず、顔も見せずに姿を消して。ずっとずっと、帰ってこないまま――もうどこかで死んでいるんじゃないかって、何回も思った。
生まれてから数年、気が付けば、ぼくは父親と二人で暮らしていた。だから母親の存在なんて知らなかった。そりゃあ、一般常識的に存在することは分かっていたけど、ぼくに母親だと?
誰だよそれ。
今更、新キャラなんて必要ない。だけど、姿を、内面世界で想像して母親の存在を導き出すのは、パズルゲームとしては面白そうで、ぼくも心志さんに聞いてみたいことがあった。
母さんは、どんな人で、どんな人格で、なにが好きでなにが嫌いなのか。
どうしてぼくをここへ送り込もうとしたのか、予想できるところまでいければ、満足なのだ。
ぼくを置いて姿を消したことについては、どうでもいい、と言えることだ。理由があるなら納得しよう。仕方がなかったのならば許そう。なんの理由も用事も事件も事情もなく、ただの気分で姿を消したのなら、ぼくはなにもしないし、なにも抱かない。
興味はない。綺麗さっぱり、あなたにはなにも想わない――。
「……その手紙、なにが書いてあったんですか?」
ぼくは手を伸ばし、手紙を掴もうとしたけど、ひょいっと避けられた。
ぼくに見せる気はない、という意思表示か。
「つまらねえ内容さ。お前のこととか、お前のこととかな。近況報告に、未来予知。みたいなものだ。この手紙は十年以上前に書かれたものだしな……当時はあいつ、母親のことな――涼宮も恥ずかしかったんだろうな。……文末に『棺には見せないでね』って書いてあるんだからよ。だから、見せるわけにはいかねえんだ」
「そういうことなら、まあ、無理に見ようとは思いませんが――、じゃあ、ぼくはどうすればいいんですか? と言っても、引き取ってくれないと、ぼくとしては困りますけど。食糧もそろそろ底を尽きますし、金銭的にも限界です。それに、屋根がある家にも、住んでみたいですしね」
「安心しろよ、お前はこっち側の世界に入ってきちまったんだ、今日から――今からお前は、魑飛沫だ。そして、俺の息子みたいなもんだ。手下であり、部下みたいなもんだ――大雑把に言ってしまえばな」
どうにか、ぼくは今日からこの家に住むことができそうだ――良かった、良かった。と思うところではあるが、さっきから視界の端に映っている、ゾンビみたいな動きで這う楽外に、指摘を入れた方がいいのだろうか。
いま一番の悩みである。
そう言えば忘れていた。
ぼくの血を、全然止めていなかったな――。すぐにタオルで血を拭く。傷口を押さえるが、彼女――目に見えるほどの大きな変化はなかった。でも、楽外の顔色が、ほんのちょっとだけ良くなったように見える――光の当たり具合の影響、でなければだが。
「飛躍屋……あんたねえ……っ」
「ちょっと待て。これはぼくのせいなのか? ぼくも、楽外のことを忘れて話し込んでしまったのは、確かに悪いとは思っているけど……、でも、原因はこの人の方だろう!?」
ぼくは心志さんを指差す。
すると、折られた。指を。
「――痛っっ!?!?」
「人を指差すな。俺はお前の保護者で、上司なんだぞ」
「だったら子供で、部下であるぼくの
折られた指を押さえながら。
折られた、というのは少し間違っていて、正確ではない――言うなら、骨をはずされた、だ。
関節をはずされたから、まだ修復は簡単だろう……、自分でできればそれが一番だが、いつの間にか、ぼくの真後ろのポジションを取っていた詩八千さんが、ぼくの指に自分の指を重ね、絡ませて――、そして「ふんっ」という声の後、指が綺麗にはまった。
ただし、激痛が走ったが。
「いつつ……っ」
「はい、おしまいね」
詩八千さん、笑顔である。
ぼくの力で、不快な気分を味わったと言うのに――。
さすが、『元二番手』。
過去に二番手だった実力を持っていただけのことはある。
楽外とは大違いだ。
彼女も見習ってほしいものだけど、無茶を要求するのも悪いか。
できないことは、時間をかけるしかないのだから。今すぐには無理だ。
「……なんだか今、すごく馬鹿にされた気がするんだけど――」
「してないしてない。これっぽっちも、馬鹿になんてしてないよ」
勘が良い楽外が、ぼくの心の声に過剰に反応したけど、ぼくが否定すればそれまでだ。
証拠はない、だから逃げ切れる。
不満な顔をする楽外だが、すぐに表情を元に戻した。
で、心志さんへ視線を移し、叫ぶように文句を言う。
「ちょっとパパ!? いきなりこいつの力を出さないで! 堪えるのしんどくて、大変なんだから!」
「でも、お前は学校でずっとこれを堪えてるんだろ? それを踏まえて、棺の血を出したんだ――詩八千に関しては、当然、堪えられるだろうって分かっていたしな。なんだよ、指南。お前はこいつの力に、屈服させられてんのかよ?」
「そういう、わけじゃ、ないけどさ……。でも、話を聞いたけど――引き取るってことは、一緒に住むってことでしょ? いいの? パパは、それでいいの!? 私、こいつの力のせいで、こいつのことを襲っちゃうかもしれないのに!?」
なにを言い出すんだ、この子は。
楽外は、ぼくを一体、どういう目に遭わせたいのか、謎である。
「いいよ、別に。お前がどうしようが、どうなろうが、俺には関係ねえ――、とまでは言わねえがな。どうするか決めるのは、お前だ。お前が俺に許可を求めるのはおかしいだろ。もう、あれこれ言われるのは嫌な年頃じゃねえのか? だから俺はなにも言わねえよ、好きにしろ」
「――ッ、ああっ、はいはい、分かりましたよ! もう知らないっ! もう――このっ、馬鹿パパっ!!」
楽外は拗ねて、背を向け部屋を後にする。
自分の部屋へ――二階にあるのだろうか――に向かうため、階段を駆け上がり、ばんっっ、と扉を強く閉める大きな音が聞こえてくる。彼女で騒がしかったこの部屋が、静かに――。
静寂を取り戻した。
そんな、子供のようにいじけた娘の父親が、ぼそっと呟く。
「……分かんねえやつだ、あいつは」
「まあ、直接言われたら、わけが分からないってのは、分かりますけど。でも、外側から見ればまる分かりというか、どうして分からないんだって感じですけど――」
「なんだお前、あいつの言いたいこと、分かったのか?」
「半分くらいは、まあ。でも、その半分は確実でもない、ぼくの推測も混ざっているので、実質、四分の一程度の理解ってところでしょうけどね――」
ふうん、と相槌を打ち、心志さんが、
「まあ、いいか。男の気持ちなら分かるが、女は分からねえからな。謎なんだ、謎――」
すると、ぼくを手招く心志さん。
ちなみに、詩八千さんは、この部屋からいつの間にか消えていた。
楽外を追って、慰めにいってくれたのかもしれない……と思ったけど、台所の方から食器同士がぶつかる音が聞こえたので、夕飯を作ってくれているのだろう……、つまり楽外のフォローは一切されていない、と見るべきか。ほったらかしの状態って、大丈夫か……?
まあ、フォローしなければいけないほど、弱いメンタルではないとは思うが――。
「部屋は、空いている部屋をテキトーに使え。ま、許可を得られたら、指南の部屋でも俺は文句ねえけどな」
「冗談でも殺されますね」
だろうな、と心志さんが笑う。
それから。
心志さんと別れ、ひとまず、ぼくは空いている部屋を見ることにした。
階段を上がる。
……明日からのこととか、聞くべきことはまだまだたくさんあったとは思うが、そういうことはまた明日以降に話せばいい――、だって、また明日、会えるのだから。
この屋根の下で、これから何度も、顔を合わせるはずなのだから。
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