誕生日屋【不思議、コミカル】

それは噂に聞いたとおり、静岡県は富士山の麓あたりの、寂れた商店街の一番端にあった。


古い画廊のような小さな平屋の建物で、外壁の色は黒。窓はなく、道に面した壁に木製のドアが1つあるだけだ。私は少し離れたところからその建物を眺める。羊羹みたいな形だな、と思う。


1人の年老いた女性が建物に近づいていった。杖をついて、ゆっくりとした足取りで。木製のドアは少し重いのか、杖を脇にはさんで、両手でドアを開け、入っていった。


私はしばらく眺めている。どうなるのか。噂は本当なのか。



5分ほど待っていると、建物から若い女性が出てきた。長い艶めく髪と凛とした背筋、美脚を見せつけるように闊歩して、建物から去っていった。手には先程の老婆が持っていたものと同じ杖。若い女性には不似合な杖を片手で軽く振るように、女性は楽し気に見えた。


噂はやはり本当だった。

私はゆっくりと建物に近づいた。

木製のドアの上に小さな看板。



【誕生日屋】



私の人生は、誰かと比較するまでもなく、おもしろみのない人生だ。貧しい家に育ち、もともと不仲だった両親は私が小学生のときに離婚した。兄弟姉妹はおらず、母親と2人で暮らした。母親は水商売で稼いだ金を全てホストにつぎこむようになり、家にいても食事にありつけなくなった私は、中学を卒業して家を出た。


自分の容姿や愛嬌で稼げる母親と違って、私には可愛げがなかった。美醜の問題ではなく、私自身が自分を醜いと思い込んでいること自体が問題だった。愛嬌もなく、愛想もない。接客は性に合わず、工場でベルトコンベアの上を流れてくる部品の検品をする仕事についた。でも、生憎、集中力もなかった。連日小さなミスを繰り返し、先輩たちに怒られた。しまいには、会社に大きな損失を与えかねない大きなミスを犯し、クビになった。17歳のときだ。若さゆえの溌剌さもない。失敗をバネにする向上心もない。そう、私には何もなかった。



そんな私は、1人家に引きこもるようになった。そして、子供の頃からいつも心のどこかにあった願望が、じわじわと、ぬらぬらと、顕在化してきた。深爪にじんわりと滲む血液のように、微痛を伴って浮上してくる願望。希死念慮。




そんなとき、【誕生日屋】の噂を聞いた。【誕生日屋】は名前のとおり、誕生日を売ってくれる店らしい。誕生日を買うと、買った誕生日に生まれたことになるという。そのため、ほとんどの人が「若返り」の手段として買うらしい。つまり、自分の誕生日の10年後の誕生日を買えば、10年若返ることができる。30年後の誕生日を買えば、30年若返ることができる。昨今のモデルや女優たちは、ばれない程度に少しだけずれた誕生日を毎年買って、若さを維持している、なんて話もあった。



しかし、私が興味を持ったのは若返りではない。【誕生日屋】が、陰では「自殺屋」とも呼ばれていることだ。つまり、ものすごく昔の誕生日を買えば、今はとっくに老衰で死んでいることになる。例えば、200年前の誕生日を買ったら、現在200歳ということになる。現在の医療技術でも200歳まで生きている人はいないから、その誕生日を買った瞬間に、死ねる、ということらしい。実際に100年以上前の誕生日を買った人は、その瞬間に、その場から消えたそうだ。瞬時に消えて、いなくなる。なんて理想的な死に方だ。



そんな店が本当に存在するのか。そんな信じがたい話が本当にあるのか。都市伝説の類だろう。そう思ってはいたが、誕生日を買った瞬間に死ねる、というのは魅力的に思えた。死にたいという気持ちはあるが、やはり苦しむのは怖い。一瞬で老衰で死んだことになるなら、なんて安らかなんだろう。私は、【誕生日屋】に関する噂を集め始めた。




そして、とうとう辿り着いた。それは噂と同じ場所に、噂と同じ佇まいで、噂と同じ建物で、ドアの上に【誕生日屋】と書いて、そこにあった。


私はひとつ小さく息を吐いて、ゆっくりと重いドアを開けた。




中は仄暗く、静かで少し空気が湿っていた。古本屋のような暗さだ。実際、壁には本の背表紙のようなものがびっちりと並んでいる。でも、並んでいるのは本ではなく、さまざまな誕生日だった。2020年という新しいものから、紀元前なんていう大昔のものまで、ありとあらゆる誕生日が、本の背表紙ほどの幅の、薄い木札に書かれ、壁に並んでいるのだ。あまりの量に、おもわず見惚れてしまう。



「いらっしゃいませ」



突然背後から低い声がして、心臓が跳ねた。振り返ると、色白の背の高い男性が立っていた。この人が【誕生日屋】の店主らしい。【誕生日屋】の店主だけに、年齢不詳だ。若く見える50代と言われても納得するし、30代と言われても違和感はない。黒い髪をオールバックに固めて、黒縁眼鏡、ダリのひげを短くしたような、ツンっとした口ひげを生やしている。白シャツに黒いベスト。バーテンダーみたいだな、と思った。



「何年頃の誕生日をお探しですか?」


「あ、あの、この誕生日って、買ったら本当にその誕生日に生まれたことになるんですか?」


少し声が上ずってしまった。緊張しているのかもしれない。


「はい。もちろんです。もし、誕生日が気に入らなかった場合、その場で返品をお受けいたします」


店主は落ち着いた声で答える。


「あ、そうなんですか?」


「はい。お気に召さない方もいらっしゃいますので。ただし、購入後、ここにいらっしゃることができる方においてのみ、となってしまいますが」


そう言って店主はニヤリと笑った。


やはり「自殺屋」の異名は間違っていない。私は確信した。だって、死にたくて買ったのに死ねなかった場合、ここに存在することになる。そしたら、返品を申し込めばいい。そのときは、とんだ茶番に付き合わされたな、と自嘲すればいい。


「あの、なるべく古いのがいいんですけど」


私は確実に死ねる年の誕生日が買いたい。


「古ければ古いほど値段が高くなります。ご予算はおいくらくらいでしょうか?」


私は、死ぬつもりでここに来たから、工場で働いていたときの貯金は全て持ってきた。それでも、20万円しかない。


「予算は20万円です。これで、なるべく古い誕生日だと、いつ頃の誕生日が買えますか?」


「20万ですか。それだけあれば……1200年前くらいの誕生日が買えますよ」


「1200年前!」


それだけ昔の誕生日が買えるなら十分だ。


「そ、それでお願いします」


「かしこまりました。それでは……この794年なんていかがでしょうか? なかなか良い誕生日だと思いますよ」


店主は丁寧な手つきで1枚の薄い木札を手にとった。そこには794年と記してある。横に小さく日にちまで書いてあった。それだけ昔の誕生日なら、日にちまでは関係ない。私は唾を飲んだ。これを買えば、確実にその瞬間に死ねる。


「それで、よろしくお願いします」


「本当に、よろしいんですね?」


店主は最後の確認をしてきた。引き返すなら今ですよ、という顔だ。でも私の決意は揺らがない。


「それを買います」


店主はゆっくり頷く。


「かしこまりました」


そう言って店主は店のカウンターへ入っていった。私はあとについていく。


「では、20万円ちょうどいただきます」


「はい。よろしくお願いします」


私はお金を払って、薄い木札を受け取った。その瞬間、目の前が真っ白い光に包まれ、一瞬気を失った。





気が付くと、まだ目の前は真っ白い光に包まれていた。あれ、意識がある。でも、あの店ではないようだ。店主もいない。ここは天国なのか? 本当に死ねたのか? なんだか、窮屈で動きにくい。



ん? 誰かの声が聞こえる。



「おぉ、これはずいぶんと光っておるのお」



誰? 知らない人の声だ。



「切ってみるかの」



そう言うなり、カッコーン! と大きな音がして、まばゆい光から解放された。



「ありゃま! 驚いた。これはこれは、可愛い赤ん坊だこと」


え? 赤ん坊? 周りを見渡すと、そこは竹林だった。私は光り輝く竹の中にすっぽりとおさまっている。よく見ると、体が赤ん坊のように小さい。目の前には驚いた顔したお爺さん。




794年。平安時代初期。私の新しい誕生日。



そこで私は初めて理解した。昔の誕生日を買った人は、死ねるわけじゃない。過去に生まれてくるだけなんだ。あの店から消えたのは、もうあの時点では死んでいたからであって、あの瞬間に死ねるわけではないんだ。でも、伝える人がいなかったから、「自殺屋」なんて異名が独り歩きしていた。



未来から勝手に来たんだ。誰かの子として産まれるわけにいかないから、こんな形で誕生日を迎えたのか。あの店主の企みが見えてきた。私が女だったから794年を勧めたんだ。私が男であったなら、他の誕生日を勧めて、竹からではなく、桃から生まれた可能性もあったのか?



お爺さんの胸に抱かれながら、あぁ、私はこれからいろんな人に求婚されたりして、そのたび無理難題を押し付けて生きていくのかあ。しんどいな、と思った。最後は月に帰ることになっているけれど、実際はどうなるんだろう。前の誕生日のほうがマシだったかもしれない。でも、もう返品はできない。まあ、桃から生まれるよりはマシか。店主のニヤリとした笑顔が不気味に思い出された。



【おわり】

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