相打ち【ヒトコワ、微グロ】

 何年も連絡をとっていなかった友人から、突然夕食に招かれた。

【主人が出張に行っちゃって寂しいから、一緒に夕食でもどう?】

 スマートフォンの無機質な画面に表示されたメッセージからは何の感情も読み取れず、いささか急すぎる誘いに戸惑う。しかし、正当な断る理由はなく、誘いの真意を確かめたい気もして、私は友人の家へ行くことにした。

「久しぶり~。元気だった?」

 明るい水色のブラウスに紺色のエプロンをつけて、友人は出迎えてくれた。清楚で、経済的に余裕のある人妻の顔をしている。

「うん、元気だよ。久しぶり。お招きありがとう。急にどうしたの?」

 私一人だけ突然夕食に招かれて、不自然さは拭えない。

「いいお肉が手に入ったんだけど、主人が急に出張になっちゃって。一人じゃ食べきれないから、誰か誘おうと思って。久しぶりに顔も見たかったし。なんか、困ることでもあった?」

「いや、全然、困ることなんてないよ。私も久しぶりに会いたかったから、ありがとう」

 友人は、にこやかで穏やかで明るい。言っていることには何の矛盾もないのに、妙に緊張した空気は何だろう。

「すぐできるから、待っていて。あとソースをかければ完成なの」

 掃除の行き届いた清潔な玄関。広い廊下。リビングに入ると香ばしい匂いが充満している。窓にかかる少女趣味なレースのカーテンがいかにも友人の好みらしい。キッチンを見て、思わず声をあげそうになる。普通の家庭用冷蔵庫の横に、場違いに巨大な冷蔵庫がある。

「す、すごい大きい冷蔵庫があるんだね」

 ソースを煮詰めていた友人の手が止まる。

「そうなの、ホームパーティが好きでよく人が集まるから」

 棒読みのような早口の口調で言われ、ぞっとする。そういうわりに、その巨大な冷蔵庫は新品のようだ。

 友人はすぐに笑顔になり「さ、座って座って」と明るく言う。その笑顔は私を余計に緊張させる。

「ご主人、出張ってどこに行ったの?」

「やだ、『ご主人』だなんて、堅苦しいわね。あの人とは、あなただって高校からの付き合いじゃない」

 たしかに、友人夫婦は高校時代の同級生だ。

「出張はね、北海道って言っていたわ」

 心臓が跳ねた気がした。友人の顔を見る。三日月みたいに口角をあげた笑顔。真意が読めない。

「北海道はね、今ラベンダーが見頃なんですって。そうそう、先週も出張で北海道に行っていたのよ。仕事すっぽかして、観光していたりしてね」

 友人がフフっと笑いながら話すのを聞いて、私は動悸がする。

 友人の指定した席につくと、かわいいギンガムチェックのランチョンマットが敷かれていて、パンとサラダと、ピッチャーにスライスされたレモンを浮かべた氷水が用意されていた。生活感の希薄な、雑誌のページから抜け出してきたようなおしゃれなカトラリー。そこへ友人が、白い皿に乗った分厚いステーキ肉を運んでくる。

「はい。おまたせしました。どうぞ、召し上がれ」

 焼き加減はレアで、半透明の赤い肉汁が滴っている。その上から、ワインで煮たのか、赤いソースがかかっている。牛肉、というよりラム肉のような、ジビエのような匂い。今まで嗅いだことのない匂い。友人は自分のステーキ肉を用意して、向いの席につく。グラスに水を二人分注いで、私に一つ渡す。

「いただきまーす」

 友人は奇妙なほど明るく言うと、器用にナイフとフォークを使って肉を切り、一口食べた。赤く脂っぽい肉汁が唇を濡らして妙に艶っぽい。

「美味しい。あなたも、熱いうちにどうぞ」

「あ、うん。いただきます」

 肉にナイフを入れた途端、口の中が酸っぱくなる感覚がして手が止まる。胸騒ぎが止まらない。

「どうしたの? 食べてよ」

 張りつけたような笑顔の友人が見つめてくる。私は、ナイフで肉を小さく切り、どうにか一切れ口に入れた。ラム肉のような匂いの奥に鉄錆のような味がする。今まで食べたことのない味。

 胃に気持ち悪いものがこみ上げる。口の中で肉を咀嚼する。肉汁が溢れるたび、吐き気が襲う。飲み込めない。胃液が逆流するみたいに、胸焼けがする。

 相変わらず、ピエロのマスクのような笑顔で肉を食べ続ける友人。


 ねえ、ご主人、本当はどこに行ったの? ご主人と私の関係、どこまで知っているの?


 ねえ……これ、何の肉?


「あ、そうだ」と独り言のようにつぶやいて席を立つ友人。キッチンで何かしている。一瞬キラッと鋭い何かが反射したように見えた。刃物か。私は、用意しておいた無色透明の薬液を急いで友人のグラスに注ぐ。手ぶらで敵地に乗り込むほど子供じゃない。


 キッチンから巨大な冷蔵庫がブオーンとモーターを鳴らした。




【おわり】

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