ピーターパンになるな

絢木硝

1

「ねえ、その中にはきらきらがあるんでしょう?」


その声を聞いたのは、昼過ぎも過ぎた夕方の入り口だった。つまりちょうど、お店が空き始める時間。


私は手に持っていたスティックシュガーをカウンターに置き、小さくて強張った声のした方へ視線を向けていく。


ぱりっとした白のブラウス、ベージュがかったフリルのエプロン、黒のフレアスカート、間接照明を受けて照り光る茶色のローファー。その、ローファーの手前。


カフェテリアの制服を下へと辿った先には男の子がいた。その子はいがぐり頭で、胸に小さな正方形の絵本を抱き締めている。絵本。なんとまあ、クラシカル。


その子は真っ赤な顔をしていた。そのうえ口紅でもさしたような、子供ならではの赤い唇をきつく引き結んでいる。


私を睨む瞳には、ひやひやするほど鋭い光が宿る。睨む、とは言っても子供の顔だから、それは小型犬が通行人を威嚇する様子に少し似ていた。そっと周囲を確認する。お店の中には僅かばかりのお客様がいるけれど、彼らは誰も子供なんて連れていなかった。


「ねえ、聞いてるの」


男の子の眉がぎゅうっと寄せられて、眼光がこちらを射貫くように更に鋭くなった。反射的に私は表情を緩める。それから男の子と目線を合わせるためにしゃがみ込んだ。彼の目に私が映り込む。その瞬間に、男の子は抱えていた絵本をより強く抱き締めた。


「うん。聞いているよ」


きらきらと、彼は言っていた。私が持っていたスティックシュガーを指している? 


小さい子の言葉は抽象的だ。私はもう一度周囲を見渡した。それでもこの子の親らしき人は近くにいない。はぐれたのか、逃げてきたのかはさておくとして、迷子だなあ。パジャマ姿ではないことは不幸中の幸いだ。ちょっとだけ緊急性が低い。私は慎重に口を開いた。


「ええとね、これはお店でお買い物した人にだけあげられるの。だから君のお父さんかお母さんと一緒にこのお店に来てくれたらなあって。だから」


男の子は私の言葉を聞いて、不意に引き結んでいた唇をぐしゃりと自ら歪めた。それから俯いて、殊更に絵本を抱きすくめる。


けれどそれも一瞬のこと。再度顔を上げたとき、彼の瞳にはやっぱり威嚇するのに似た怒りのみが浮かんていた。


「じゃあ、いいよ。いらない。他のを探す」


「え、あ、ちょっと!」


急に機嫌を悪くしたのか、いやもとから悪かったけど、男の子はカフェテリアの外へと走り去っていく。


私はとっさに追いかけようとしたけれど、彼は少し先の総合受付で係員さんに捕まえられた。ほっと息をついて、置いたままになっていたスティックシュガーを摘まみ上げる。あんなに目立つ迷子なら、きっとすぐに親御さんも見つかるはずだ。


それでも、必死な眼差し。その後のバイト中も、彼のことが頭から離れなかった。抱き締めた絵本。きらきら。最後に見えた、泣きそうな瞳。どうしようもなく気になる男の子だった。彼は何を言おうとしたのだろう。何を、求めていたのだろう。

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