JKin聖女/第一章 JKinエーゲンメイム/少女は聖女に

聖女の予言

 麗奈が目覚めると見覚えのない天井があった。体を起こして窓の外を見る。そこには、麗奈の知らない風景が広がっていた。

 

 窓の外は西洋風の街並み。あっけにとられる麗奈。先ほどまでの記憶を追走する。麗奈は友達とショッピングに出かけていたはずだ。昼時になり、自分は何を食べようかと考えていた時だ。何気なく瞬きをした次の瞬間に、知らないこの場所で横になっていた。


 部屋に安置してある大きな鏡の前に立つ。己の姿を確認する。麗奈は自分の目を疑った。そこに立っていたのは麗奈ではなかったのだから。


「これ……誰……?」


 鏡に映ったのは金色の髪が目を引く、青色の瞳を持つ、麗奈と同年代の少女。髪はぼさぼさで、顔には目ヤニもついていた。麗奈はベッドに横たわって天井を見る。


「意味わかんない。どうなってんのこれ」


 目が覚めて知らない場所にいて、自分の姿は様変わりしている。ただならない事態が自分の身に起きている。それだけは理解した彼女がとる行動は一つだ。


「とりあえず……髪とかヤバいし朝の準備しよっと」


 どこに放り出されても、自分の見た目が変わっていようと、生粋の女子高生である麗奈の行動は、そう簡単には変わらない。使われた形跡はないものの、くしなどは手元にあった。髪を梳き、目ヤニを取り除いて身なりを整える。準備が終わり、いよいよこの部屋から出る時が来た。扉を開いて一歩を踏み出す。


「よし」


 扉に手をかけて部屋を後にする。石造りの建物の中を進む。誰か人に出会えないかと願いながら。


 しばらく進み、修道女のような服装をした女性を見つけた。


「あ、あの!すいません。あたし……」


 麗奈は声をかけたが、同時に気が付いたことがあった。今の自分の風貌や、窓から見えた風景を総合して、この場所は日本ではなく、言葉が通じない可能性が高いということだ。


「レイナ様?珍しいですね。お部屋から出てこられるなんて。何かあったのですか?」

「え?あ、まあ、ちょっとね……ええ!?」

「……どうかしたんですか?」

 

 麗奈を怪訝そうに見つめるのは、修道服を着た中学生くらいの少女だった。

 この場所は日本ではなさそうだが、日本語が通用する。この少女が日本語を話すことができるだけだったということも考えられるが、おそらく英語が飛んでくるだろうと予想していた麗奈は、全く違和感なく言葉でのやり取りがかなったことに驚きを隠せなかったのだ。


「な、なんでもないよ」

「……レイナ様、少し変ですよ?やっぱりまだお体がすぐれないのでは?」

「元気元気!大丈夫だってば!」

 

 自分に何が起きているのか全くわからない麗奈だったが、この体に不調がないことは感じ取れる。そんなことよりも、外に出てここがどこなのか確認しなければと、麗奈は足早に廊下を歩いていく。


「レイナ様!どちらに行かれるんですか!?」


 先ほどの少女が追いかけてくる。麗奈はわけもわからず走りだした。


「どこって!外に出たいだけだよ!なんで追いかけてくんの!?」

「外に出るのなら反対側ですよ!」

「えー!ちょっと待っ……いだっ!」


 走りながらやり取りし、急に方向転換しようとしたところで盛大に足をくじいた。麗奈は震えながら廊下に倒れていた。


「レイナ?どうかしたのか。おやつの催促かな?」


 倒れこんだ麗奈をのぞき込んで声をかけたのは、重厚な声の男性だった。重さの中に深い慈愛をたたえたその声音は、徳を積んだ聖職者のようだった。


「司祭様。申し訳ありません。レイナ様が錯乱された様子で……」

「ちょっと。あたしは正気なんですけど」


 麗奈は立ち上がって声の主を見据える。60代くらいの男性だ。先ほどの少女と同じく修道服を着ている。


「久しぶりだね。レイナ。やっと部屋から出てきてくれたのか。向こうで話そう」

「向こうで……あ!そこの女の子!一緒に来て!なんか怖いから!」


 見た目の雰囲気に騙されてはいけないことを麗奈は知っていた。ナンパしてくるのは何も派手な身なりをした男だけではない。いかにも紳士風のいでたちをした男にも注意が必要だ。こういう場合に一対一になるのは危険だと分かっているからこそ、麗奈は少女に同席を頼んだ。


「こ、怖い……?私が?レイナ、私たちは家族みたいなものじゃないか。どうしてそんなことを……」


 本気で落ち込んだ様子を見せる司祭を横目で見ながら、一行は歩みを進める。


「入ってくれ。私の私室だよ」


 広い部屋に通され、麗奈たちは椅子に座って話始める。


「よかった。二カ月もまともに部屋から出てこないから心配したんだよ」


 麗奈は思考を巡らせる。この状況はいったい何なのか。今の自分は麗奈ではなくレイナと呼ばれている。金髪碧眼であることもそうだが、目に異物感をこれまで感じなかったことから、この瞳はカラコンなどではないことも薄々わかっていた。透き通るように白い肌や美しい金髪。主に西洋人の特徴だ。目が覚めたら西洋諸国にいたというのか。しかしそれでは説明がつかない。麗奈が窓から見た風景には、アスファルトの道路や移動手段である自動車は存在していなかった。そして先ほどの少女や、司祭と呼ばれたこの男はまるで母語であるように流暢に日本語を話している。この場所は西洋に酷似していながら、現代社会ではなく、当たり前のように異国の言葉を話す人々がいる。このコミュニティの中だけで使われているにしても、外国人が日本語を話す時の特徴的な発音の違和感などもない。この状況を論理的に解明し、自分を納得させるだけの知識を麗奈は持ち合わせていなかった。


「レイナ。どうしたんだ。そんなに難しい顔をして。切羽詰まった事情で外に出てきたのなら、遠慮せずに話してみなさい」

 

 どうすれば怪しまれずに自分の状況を説明できるのか。必死に思考を巡らせ続ける。全身の緊張に耐えながら、いい案が浮かばないかと格闘する麗奈。その時、どこからか間抜けな音が響いた。麗奈の体が空腹を告げる音だ。


「おや。昼にはまだ早い。これを食べて空腹を紛らわせるといい」


 司祭が差し出したのはクッキーだ。何か入っていないか怪しみながら、このままでは思考がまとまることはないと判断して、麗奈はクッキーを口に運ぶ。甘い砂糖の味が口に広がる。ふと司祭の顔を見る。彼は柔らかなほほえみをたたえている。麗奈はなんとなくその表情に見覚えがあった。そうだ。この表情は幼い子が食事する様子を愛おしく見つめる親や年上の兄弟の顔。こんな顔を見せられて、麗奈は子ども扱いされているのかと恥ずかしくなったが、なんとなく司祭のことを疑う気持ちが消えていくのを感じた。演技でこの顔ができるなら、間違いなくその道を志した男だろう。それほどに違和感のない顔。司祭は悪人ではないだろうと判断するには十分な情報だ。


「……あたしのこと、家族みたいなものって。どういうこと……ですか?」

「忘れたのかい?君は12年前にこの修道院にやってきた。その時から私たちはみな家族。ここの責任者である私は、皆の父親のようなもの。レイナも納得してたじゃないか」

 

 父親。その言葉に麗奈は目を見開いていた。彼女の父親はすでに死亡していたからだ。経緯はどうあれ、司祭はレイナと呼ばれるこの体の父親としてあるのだ。どこか暖かいものを感じながら、麗奈はオブラートに包んで状況を説明することにした。一部憶測を含みながら。


「……あたし、レイナじゃない。あたしは茜坂麗奈。日本、ジパングにいたんだけど、気が付いたらここにいて。今の見た目はあたしの物じゃないから、レイナって娘と何かあったのかもしれないんだけど。何か知ってる?」


 司祭は驚いた様子で静止していた。少女は膝から崩れ落ちて放心状態になっていた。


「れ、レイナはどこに?ジパングってなんだい?わけがわからない。君はいったい……」

「あたしもわかんない。ここはどこなんですか?」


 司祭はゆっくりと口を開く。麗奈はかたずをのんで見守る。ここがどこなのかその答えが出るのだろうか。


「ここはエーゲンメイムと呼ばれる世界。やがて現れる災厄に備える人々が暮らしている。レイナ……本来の君は、この世界を救うと予言された聖女だ。レイナが13歳の時に神託が下り、彼女は聖女として世界を救うことになったんだが……」

 

 告げられた答えは、異世界という一言。過去の西洋風の街並みも、彼らの信仰する神も、麗奈の知る常識とは異なる歴史をたどってきた世界だということ。そして、麗奈であるこの少女はレイナ。世界を救う聖女としての予言を賜った存在だということだった。


「あのさ……信じてるんですか?こんな突拍子もない話を」


 麗奈にとって、この状況はあり得ないことだ。そしてそれは、対峙する司祭たちも同じだ。理解も追いつかない。信じるに足る証明をこの目で見たわけでもない。信じろという方が無理な状況が、今現実として繰り広げられている。


「君はレイナではない。別人だよ。それだけはわかるからね」

「どうして?」


 問いかける麗奈を見て、司祭は過去を思い出したように笑う。


「レイナが嘘をついたり、何か隠し事をしたとき、瞬きの回数が異常に多くなるんだが、君にそれがなかった。君がどこから来たとかはわからないが、レイナではないことだけは確かだよ。最近、部屋から出てこないと思っていたレイナが、廊下を走るなんて行為をするはずがない。レイナは誰よりも聖女らしくあろうとしていた。少し無理をしていた様にも見えたが。そうか、レイナは本当にどこかへ消えてしまったのか」

「あの、あたしはこれからどうすればいいんですか?」


 レイナが消えた事実をかみしめる司祭は、少しの間考え込んでいた。


「……そうだね。急にレイナと入れ替わったというなら、時間がたてばまた入れ替わりが起こるかもしれない。しばらくここで過ごしてみたらどうだい?」

「いいんですか?こんな得体のしれないやつと一緒になんて」

「君からみたら、私たちだって得体のしれない人間だろう?それに、君はどこかもわからない場所で困っているように見える。困窮者に手を差し伸べることもまた、我々の為すべきことだよ。どうする?私は構わないが、君が嫌なら……」


 どうすればいいかわからないなら、ひとまず流れてみるのも手だと友達が言っていた。麗奈の在り方とは違うがこんな状況だ。流れてみるのもいいかもしれない。


「お世話になります」

「ああ。歓迎するよ。麗奈」

 

司祭との話を終え、レイナの使っていた部屋に戻る麗奈。傍らには少女がいた。


「あ、そうだ。名前聞いてなかったよね。教えてよ名前」

「……ネミルです。よろしくお願いします。麗奈さん」


 笑顔でやり取りする二人。部屋の扉を開ける麗奈。


「ま、汚い部屋だけど入っていってよ。あ、あたしの部屋じゃないか」

「お、お邪魔します……あぁ……」


 声にならないような音を発するネミル。レイナの残した痕跡。いわゆる汚部屋と化した様相にあっけに取られていた。


「汚いよね。さすがに。何をどうすればこんなになるまで汚れるんだか」


 麗奈もあきれたように感想を口にした。麗奈の部屋は、友達を呼ぶことも多いので整頓されている。


「麗奈さん?言っておかないといけないことが」

「ん?どうしたの?」

「司祭様がおっしゃられたんですが、その口調だと怪しまれるので、もう少し丁寧な口調で話すようにと」

「え~!無理!こればっかりは性分だからさ。治んないよ」

「さっき敬語で話してたじゃないですか」

「それはそうだけど。レイナの話し方わかんないし……」

「……」


 ネミルが言葉に詰まったのを見て、麗奈はこの部屋を片付けることにした。


「じゃ、あたしはこの部屋を掃除してるから。ネミルはこれからお仕事?」

「はい。手伝えなくてごめんなさい」

「あぁ、いいってそんなの。あたしも頑張るから、ネミルもファイト!あ、頑張ってね、かな」

「はい。じゃあ、また後で」


 麗奈は部屋に入り、ネミルはその場を後にする。この世界での日々の始まりは、レイナの残した痕跡の後始末から始まるのだ。

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