紅を覆う叢雲 九

 戦況は動き続ける。

 咆哮が、絶叫が、悲鳴が。音が響き、火花が散り、鮮血ポリゴンが弾け飛ぶ。止まることのない混沌、いつまで続くのかわからぬ戦い。


 けれど、たった一箇所、そのたった一瞬にのみ、平穏は訪れた。


「止まった……?」


 戦士たちが浴びたのは、世界が停止したような錯覚。自らの敵が一同に静止するというありえないはずの光景だった。

 影の魔物たちは体に鉄芯でも通されたかのように身じろぎすらすることなく、一点を向いて停止していた。


「な、何が起こってるんだ?」


 最初は好機だと獲物を振り下ろしていた戦士たちも、その異様な光景に思わず行動を停止する。皆が動きを止める、鮮血の滴すら落ちないような平和が空気に混ざって戦場を覆う。


「済まない、通らしてもらう!」


 声高らかに叫ぶのは西洋風の騎士。敵味方含めて動きを止めたここで動作を続けるのは彼と、彼についていく二つの影だけだ。


「ん、失礼」


「しつれーい!」


 片方の紅は静かに、もう一方の灰ははつらつと謝罪しながら戦場を突き進んでいく。小柄な灰の少女は担がれてはいるが。

 未だ魔物たちは動かない……というか、なぜか消滅する魔物さえ出てくる始末だ。戦士たちは混乱を一層深めたものの、自分の中の矜持を取り戻し剣を振り始める。


 全員が、この異様な状況に彼女ら三人が関わっていると確信していた。けれど、何故、どうやってという疑問には答えられない。答えられる訳がない。灰の少女を、「出来損ない」だと思っているうちは。



 ◇



「っがぁ!!」


 反則!!ズル!!最悪!!ボスの誇りとかないのかお前っ!!??

 まぁ、無いだろうなぁ。


「!!」


 迫りくる攻撃に縮地を発動し、外付けの推進力を得る。それでも、まだ攻撃は止まない。四方八方、何処からでも降り注ぐ攻撃に、流石に目が回りそうだった。


 こいつが形態変化したことで、ちょっといい事が二つと、信じられないぐらいハチャメチャによくないことが起こった。前者は先ず倣華以外……つまり朱月や、スキルを使わない体術でもあいつにダメージが通るようになったこと。

 それに、あいつ自体は動きを止めている事。この二つの事柄を合わせて考えれば、あいつ自体は只のサンドバックとなった……筈だった。今から話す事が起きていなければ。


「くっ!?」


 結論から言おう、あいつは雑魚生産機になった。比喩でも何でもなく、ただ本当に、雑魚を生み出し続けるステージギミックと化したのだ。


「だぁ~っ!!くっそが!!」


 あいつが一定間隔で吐き出してくる粘着性の高い遠距離攻撃からは、数体モンスターが生まれだす。這い出るように、見ようを変えれば卵から生み出る赤子のように。しかし、だからと言って泣き叫ぶだけで済ましてくれるはずもない。


「右!左下!下!上!」


 体に命令を出すように攻撃の順番を口に出し、それに沿うように体を動かす。対人なら悪手だが、相手はこちらの言葉に対応するそぶりは見せなかった。AI的な知能レベルは低く設定されてるんだろう。


「蛙飛っ……!」


 蛙のような跳躍力を得た両の脚が地面を蹴りぬき、身体を空へと放り出させる。地表に広がっているのはまぁなんか……うん、地獄そのものみてぇな景色!

 あいつが生み出すモンスター一体一体は本当に脅威ではない。下手をすればゴブリンの方が強いのではないだろうかと言うほどには脆弱で、貧弱だ。ファーティアをさまよっている初心者プレイヤーの前に一体配置してみても適当にあしらわれてしまうだろうと思うぐらいには、本当に弱い。


 だが。


「くそっ……!」


 厄介なのは二点。一点はその粘着性にある。脚に纏わりつき、手に纏わりつき、体に纏わりつく。不快感なんてものに意識を回している余裕がない以上まとわりついていることに対してはどうだっていいのだが、問題は動きが阻害されることだ。

 大まかには動く、けれど、細かい動きにそれは作用してくる。刀ならばまだいい、少しブレたところで、こいつら程度なら切り伏せることができる。しかし、しかしだ。脚に作用してくる場合が本当にヤバイ。


 前提として動きずらいし、少しでも調子に乗っていつものように動こうとすれば……


「へぶっ」


 こんな風に転ぶ。そしてこの好機を逃すほど。相手も馬鹿ではない。

 ぬちゃり、ぬうちゃり。不快感を伴う水音が、耳元で響き渡った。ヤバイ!来るっ!!


「あ゛ぁっ!!!!」


 うつぶせに地面に倒れ伏した体を、地面をぶん殴りながら両足で地面を蹴り落とすことで跳ねさせ。一瞬自由になった隙に両足を曲げ、地面への入射角を調整する。蛙飛は継続してるか?わからない、確認している暇がない。

 念のため縮地を発動、加速した体は、迫りくる危機を置き去りにした。


 そう、こいつらは獲物の危機を見逃さない。単体ではさほど攻撃力を持たないこいつらも、合わさって質量による攻撃を行えば普通に殺人兵器だ。だからこそ、俺はスキルを使ってでも脱出したの……だが。


「やっばい!!!」


 迎え入れてくれたのは余りに強い風圧と、誤魔化しきれない程接近してくる地面だった。うん、蛙跳くんはまだ効果時間が継続していたらしい。その上に縮地を発動して全力で跳んでしまったと、うん、うん。


「詰んだ」


 終わった……。俺のスキルの中でもじゃじゃ馬である二つのスキルの同時発動、その上に死に瀕した時に発動する強化スキル二つ。後ついでに装備の自己強化。効率よく自分を追い込む状況を作ってしまった。馬鹿なのか俺?

 どうする!?どうするどうする!!!???このまま着地すれば無理な姿勢も相まって絶対死ぬ!だからと言ってそれ以外の選択肢があるわけでもない!かくなる上は敵に向かって飛び込むことでその粘着性を利用してクッションにするしかない!!


「うおおおおお!!!!」


 決断即行動!悩んでる暇なんてねぇ!!

 地面が迫る、敵が迫る。もう数秒も無い。風が唸る、体を捻る。詠唱が響く。ん?詠唱が響く?


「【エア・シールド】」


「んぶえっ!」


 突如目の前に半透明の正方形が現れ、それに足からぶっ刺さる。そのまま地面に到達することはなく、空中に半透明の四角形に突っ込んだままぶら下がっている俺は……まぁ何とも滑稽な事だろう。誰も見ないで欲しい。


「スタラ、大丈夫?」


「華火花さん!」


 半透明の四角形の上に器用にも着地し、俺に向かって話しかけるのは深紅の少女。この戦況の全てを握っているといっても過言ではないプレイヤー、その彼女がここに居るということは……


 半透明の四角形が消滅する。それと同時にふわりと包み込むような風が吹き、ドット単位のダメージでさえ発生しない穏やかな着地が成功した。


「戦況は?」


「あのでかいのが本体で、あれがボスです。俺が結構削ったのと、口ぶり的に最終形態だと思います」


「だって、聞いてた?」


 一通り俺の報告を聞いた華火花さんは、確認するように後ろを振り向く。その視線先には、いつの間にかアマントさんとナーラちゃんが立っていた。


「勿論だ。俺がヘイトを引き受ける、二人は遊撃を頼む」


「「了解」」


「わたしは?」


「俺の後ろに居てくれ。あの二人のためにも、絶対死ぬな」


「りょーかい!」


 気の抜ける様な、けれど体の内に眠る熱を呼び起こしてくれるような声が響く。

 いつの間にやら、周りに居た魔物は動きを停止している。ぬちょ、ぬちょと音を立てることはあったとしても、こちらに襲い掛かってくることはない。俺とカリアさんの予想通りだ。


 ふと振り向いてみれば、アマントさんが俺に視線を向けていた。あー、なんか感じたことのある視線だ。具体的に言うなら学校の係決めとかで感じたことのある視線だ。こう……自分のしたくない役職を相手に押し付ける時の。

 あー、俺がやんなきゃダメな感じか。まぁそっか。うん、仕方ない。仕方ないってことにしておこう。


「全員!!!!」


「「応!」」

「うん!」


 一人は友のために、一人は少女のために、一人は主の命で、一人は里を守るため。各々の矜持と誇りを胸に、総員は声を張り上げた。

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