第2話 努力あるのみ


「……うーん」


 翌日、自室でメモを取りながら一人唸る。


 ――自分を変えようと誓ったものの、何から始めればいいのか全くわからない。


 前世でも女子力ゼロで多方面からバカにされていたのが今世でも仇になってしまった……。


 なりたい自分になるためには自分磨きの他にも教養や作法も身に付けなければ。


 私は自分に誇りを持ちたいのだ。


 そのために必要なことを学び見目も良くなりたい。所詮はモブなので限界はあるだろうがモブにはモブの矜恃プライドがある。


 春休暇が終わると学園での寮生活が始まる。通っている学園の生徒は全員、寮での生活となる。王子であるアルベルト様ですらだ。


 学園内のセキュリティは万全だが、貴族や王族にまで護衛や執事などを付けずに生活をさせるというのは正直どうなのだろうと思っている。


 だからこそ、アルベルト様もジェラルド様のような優秀かつ武術にも長けた方を傍に置いてるのだろうけども……。


 とにかく、寮生活が始まるまでには多少はマシになっていたい。残りの春休暇は2週間ちょっと。


 それまでに出来ることは全てやっておくべきだ。


「まずは、姿勢を正そう。あとは筋力も付けたいし肌も綺麗にして髪の毛も……」


 やることが、ありすぎる。


「――お嬢様。お茶をお持ちしました」


 ノックと共にメイドさんが入って来る。


「ありがとうございます」


 私のお礼の言葉にメイドさんが驚いた顔をする。


「お嬢様、少しお変わりになりましたね」

「え? あ、そ、そうかもしれませんね……」


 そうだ、前世の記憶が戻る前はメイドさんにお礼なんか言ったことなかった。

 傲慢でワガママ放題だったもんなぁ……。


「お茶、ここに置いておきますね」


 ぼんやりとメイドさんを見つめる。

 よく見ると凄く綺麗な人だ。

 漆黒の髪は綺麗に整えられていて、お化粧も彼女にとても似合っている。つけている小さなピアスも可愛くてセンスが良いし所作も美しく背筋も伸びていて見栄えが良い。


 ――――これだ!!


「あの、メイドさん!」

「お嬢様、私の名前を忘れてしまったのですか? マカですよ」

「マカさん! いえ、師匠! お願いがあります! 私を弟子にしてください!!」

「…………え?」

「私にお化粧を教えて欲しいんです! あとは所作だったりファッションだったり出来れば筋トレにも付き合ってもらえると助かります!」

「……は? いやいやいやいや! 何をおっしゃっているのですか!?」

「一生のお願いです! もちろん、ちゃんと対価はお支払します!」

「無理です! 無理無理!!」

「お願いです! 貴女しかいないんです!」


 必死に懇願する。

 他に頼れる人はいないのだ。


「……なぜ、 また急にそんなことを?」


 マカさんが少し困ったようにため息を吐きながら、当然の疑問を口にする。

 私は恥も外聞も捨て昨夜の出来事を、彼女にこと細かく話した。

 さすがに断罪のことまでは話せないが、自分が変わって行きたいことを懸命に伝える。


「……なるほど。事情は理解しました」

「では!」

「……ですが、私には少々荷が重すぎます」

「そ、そこを何とか! 必要な手当はお支払しますし絶対に文句も言いません! 精一杯頑張りますから!」


 お願いしますと何度も頭を下げる。

 暫しの沈黙のあと、マカさんが大きなため息を吐く。


「……私、厳しいですよ。それでも?」

「――! も、もちろんです! ありがとうございます師匠!」

「師匠はやめてください……」

「はいっ師匠!」

「話、聞いてます?」

「師匠! 一つ質問してもいいですか?」

「……はぁ。ええ、どうぞ?」

「2週間で私はどこまで変われますか?」

「……2週間」


 師匠が顎に手をやり私を頭の天辺から足の爪先まで、まじまじと見つめてくる。


「――そうですね。手の入れようもありますし……何より、お若いですので2週間もあればそれなりに変われると思いますよ」

「本当ですか!?」

「ええ。お嬢様の頑張り次第ではありますが」

「めちゃくちゃ頑張ります! よろしくお願いします!!」


 こうして、ありがたいことに師匠という存在にも恵まれ自分を変えるための第一歩が始まった。


「はい! たかだか屋敷周り5周した程度でバテない!」

「はい! 食事中も物を拾うときも背筋はちゃんと伸ばす!」

「歩くときも腹筋意識して!」

「腕立て腹筋背筋スクワット! 辛くても泣かない! 挫けない! 自分を強く持つ!」

「スキンケアを怠らない! 若いからって油断しない!」

「髪の毛を洗う前には必ずブラッシングをしてから!」

「は? もしかして今まで髪の毛を乾かさずに寝てたんですか!? 自然乾燥? お嬢様は野性の獣か何かですか? 洗ったあとは、すぐに乾かす!」

「寝る前にストレッチ! 朝もストレッチ!」

「寝起きには冷たいものやカフェインじゃなく白湯を飲んで!」

「はいっ口角あげるの忘れない! いつでも意識して!」

「睡眠は何よりも大事! 22時には寝るように!」


「……うっ、うぅ……つらい……」

「はい、弱音は吐かない……ってお嬢様っ! 旦那様がこちらに! 隠れて!」


 二人して急いで木の後ろに隠れる。


「……ふぅ。こんな所、見られたらクビになってしまいます」

「す、すみません……」


 師匠との特訓は他の人たちにはバレないように、ひっそりこっそりと行われた。

 朝起きたら白湯を飲みリンパを流してストレッチをしてから筋トレと家の周りをジョギング。

 朝食を摂り午前9時から午後4時までカヴァネスから基本の勉強と作法を学ぶ。


 軽く休憩したあと師匠と自分磨きという名と特訓が始まる。

 毎日、地獄のようだったが目に見えて変わって行く自分を見るのはとても楽しかった。


「師匠見てください! 腹筋がうっすらと割れています!」

「努力の結晶! カッコいい!」

「お肌もツヤツヤです! カサカサもTゾーンの脂も凄く減りました!」

「ツヤ肌最高! 女神も嫉妬しちゃう!」

「口角も上がりました!」

「その笑顔決まってる!」


 師匠は厳しいけれど誉め上手でもあった。


「さて、そろそろ最終仕上げと行きますか!」


 師匠は私の前髪をピンで止めると目を閉じててと言われ素直に従う。



「――はい。出来ましたよ」



 手鏡を渡され自分を映すと、これまでとは全く印象の違う自分がそこには居た。


「えっ全然違う! なんで!?」

「眉毛を整えたんですよ」

「眉毛!? 本当だ! はぁ~……眉毛を整えるだけで、こんなにも変わるんですねぇ……」


 前世でも眉毛ボサボサとかルーク様にも整えた方がいいとは言われたけれど眉毛一つでこんなにも変わるのだと驚きを隠せない。


「ふふっ。お嬢様はまだ若いので肌と眉を整えてあげるだけで十分かと。あとはフェイスマッサージをかかさないことと……これを」


 渡されたのは小さなリップだ。


「塗ってもよろしいですか?」

「は、はいっ!」


 唇がツヤツヤとほんのり色付く。


「……かわいい」

「でしょう? 私の見立てですからね!」

「ふふっ」


 そんな会話をしながら、ふと少しマシになった長い髪の毛に触れるとずっと考えていたことを口にする。


「……師匠。お願いがあります」




 ◇




 足元に長い赤茶色の髪がぱらぱらと落ちる。


「……はい。出来ました」


 鏡を見ると腰の辺りまであった髪の毛はサイドの髪が後ろ髪よりほんの少し長くて全体的に肩につかないくらいの短さになっていた。


「……本当によろしかったのですか? 以前よりかなり綺麗になりましたのに」

「はい! すっごくスッキリしました!」


 見た目がとても軽くなった。これまでと全然違う。

 何だか別人になったみたいだ。


 まだまだこれからだし、この先もストレッチや筋トレやスキンケアは当然続けて行かなくてはならないし、作法や勉強も今以上に励まなくてはいけない。


 努力に終わりはないのだ。


「お嬢様。ヘアアレンジをしても構いませんか?」

「は、はい! 嬉しいです!」

「ヘアアクセサリーは何かお持ちですか?」

「あります!」


 急いでキャビネットの奥に仕舞い込んでいたアクセサリーボックスを出すと師匠にお渡しする。


「失礼しますね。……うわぁ……成金センス……」


 ボックスを開けた師匠が静かに呟く。


「……お恥ずかしい限りです」


 ほとんどが父からの贈り物だが恐ろしいほどセンスがない。

 ゴテゴテの成金センスだ。


「あ、ですがこれは良いですね」


 師匠がそう言って手に取ったのはパールのあしらわれた品の良いシルバーのバレッタだ。


「それは伯母さまからいただいたものです」


 父の兄の奥さま……伯母さまは上品でとてもセンスの良い方だ。

 バレッタはお誕生日のプレゼントにいただいたものだった。


「そうなんですね。では、こちらを使わせていただきますね」


 師匠は左側のサイドの髪をぐっと後ろに引っ張ると編み込んで行く。反対側はサイドの髪を残し編み込む。それを後頭部で合わせると先ほどのバレッタで留める。


「はい。どうでしょう」


 鏡に映る自分に、わぁと声をあげる。


「素敵です! とっても素敵!」

「ふふっ。これからは毎朝ご自分で出来るようになさってくださいね。ああ。それと、あとで制服の着こなし方もお教えしますね……ここまでよく頑張りましたね、お嬢様」

「――っ、……し、しょ……っ」


 師匠の言葉に涙が溢れだす。


「……っ、こち……っ、ら、こそ、ししょ……がっ……」

「はいはい。泣かないの」


 師匠が優しく涙を拭ってくれる。


「このっ……ご、おんはっ……いっしょ……ぅ……っ…わすれ、ませんっ……」


 女の人にこんなに優しくしてもらったのは初めてだった。

 イラつくことも疎ましく思うこともあっただろうに師匠は厳しいけれどいつだって私のことを考えてくれていた。


 優しい人だ。いつか優しさを返せるような人間になりたい。


 そのためにも、やはり断罪を阻止したい。悪足掻きだと理解しているが断罪イベントのスチルで描かれていた長い髪も切った。


 明日には学校に戻って明後日からは高等部に通うことになる。

 恐らく、そこでキャロまほの主人公ヒロインであるキャロルにも出会えるはずだ。


 どうなるのか、何かが変わるのか……まだわからないが何があろうと私は真っ直ぐに胸を張っていようと思う。


 たくさん恥をかいたけれど、そのお陰で自分を見つめ直すことができた。

 まだまだではあるけれど少しだけ変わった自分を改めて鏡越しに見据える。



「うん。大丈夫!」



 ぱしんと叩いた頬の音は舞踏会の夜よりも高く響いた気がした。


 




 

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