十四話

 都に民衆の波がうねっていた。王城を軸とした上流階級の住む中心部を取り囲むように、拳を振り上げ、武器を掲げる老若男女が怒声を響かせながら、警戒に立つ兵士達と対峙していた。レオンとマルファが国王に協力を申し出てから、二ヶ月が経っていた。


「そろそろ始まりそうだ」


 避難した貴族の邸宅の広い庭から、ユーリは眼下の様子を眺める。中心部と外周部の、ちょうど境目辺りには、遠くからでもわかるほどの民衆が押し寄せていた。その前には粗大ごみをかき集めたようなバリケードが作られ、その間から民衆が、立ち塞がる兵士に向かって物を投げたり、何か叫んで挑発を続けていた。


 決起が始まったのは早朝のことだった。民衆は密かに中心部へ忍び寄ろうとしたが、その気配を察知した軍はすぐに兵士を配置し、道を塞いだ。進めなくなった民衆はバリケードを作って兵士と睨み合い、そして今に至っていた。


「一時間以上は経ってますけど、ずっと同じように見えますよ」


 王国軍の制服に身を包んだレオンとマルファは、ユーリの一歩後ろから同じように眼下を眺める。二人は正式に軍に編入されたわけではなかったが、ユーリの指揮下にあるため、表向きは兵士と同じ扱いだった。


「いや、そろそろしびれを切らす頃だ……あそこ、見えるか」


 ユーリは右に見える民衆へ目をやる。


「何をしても無反応な兵士に、あそこの者らは苛立って、バリケードを越える者が徐々に増えてきている。もう間もなく、始まるはずだ」


 王国軍も民衆も、相手が手を出すのを待っていた。そうすれば、それが戦いを始める大義名分になるからだ。民衆は挑発を繰り返していたが、兵士達は一歩も動かず、待ち続けていた。何にも反応しない……それがかえって民衆を苛立たせたようで、こう着していた場は、少しずつ動き始めていた。そして、ついに――


「……あっ!」


 兵士達に突っ込んでいく民衆の様子に、マルファは思わず声を上げた。


「始まったか……」


 ユーリは冷静に呟く。視線の先では統率のとれた兵士と、武器を片手に勢いのまま襲いかかる民衆が入り混じるように戦っていた。だが、配置されている兵士の数は明らかに少なかった。力量の差はあっても、押し返せるかは微妙なところと言える。


 そんな状況を横目に、ユーリは二人に振り返ると、至って落ち着いた口調で言った。


「さて……やっと君達に協力してもらう時がきた。二ヶ月と短い練習期間だったが、それでも君達なら十分できるだろう」


 今日を迎えるまで、二人はユーリの元で風を操る力に磨きをかけていた。その威力はもちろん、目標地点へ正確に風を吹かせるなど、あらゆる状況を想定した練習を行っていた。そのおかげで二人は自分の力に、より自信を持てるようになったが、いざ実戦となると、やはり緊張は隠せなかった。


「そう硬くなることはない。私の指示通りに操るだけで難しいことは何もない」


 言ってユーリは再び眼下に目をやると、戦っている民衆を指差した。


「まずは王国軍兵士を援護するため、彼らのいない民衆の背後を狙う。バリケードや物陰に隠れている者らだ」


「でも、あの人達は見てるだけで戦っては――」


「戦っていようといまいと、戦力は削いでおくに越したことはない。後方で騒ぎが起これば、兵士と戦う者らを動揺させることができる」


 ユーリは二人を交互に見やる。


「……では、やってみてくれ」


 小さくうなずいたレオンとマルファは、眼下の民衆へ意識を集中させる。兵士を巻き込まないよう限られた範囲にだけ風を巻き起こさなければならない。距離もあって、いつもより集中する時間が長くなり、ユーリに心配する表情が浮かびかけた時だった。


 ビュウ、と一陣の風が吹いたかと思うと、民衆の隠れていたバリケードが音を立てて舞い上がった。そこに見え隠れするように何人かの人影も見えた。皆、嵐のような強風に成す術もなく、軽々と体が宙に浮き、そして建物や地面に叩き付けられていく。


「いいぞ……その調子だ」


 眼下を見ながらユーリは二人を励ます。後方の民衆は風に翻弄され、散り散りになっていく。その混乱した状況は狙い通り、前方で戦う民衆に動揺を与えたようで、数で押されぎみだった兵士達は、動きの鈍った民衆を次第に押し返し始めた。


「一旦、止めろ」


 ユーリの指示に、二人は風をやませた。嵐が襲った後の光景はひどい有様だった。壊れて分解したバリケードは道に広がって散らばり、跡形もない。そこに混ざって地面に倒れる人影が何人も見えたが、ここからでは生きているのか死んでいるのかわからない。だが、その誰もに動く気配はなかった。そんな様子に、レオンはうっすらと恐ろしさを覚えた。


「……ユーリさん、あの、倒れた人達って――」


「後で兵士が回収し、息があれば捕まえ、尋問する」


「息が、って……やっぱり、死んでるかもしれないんですね……」


「犠牲が出ることはやむを得ない。戦いという状況ならなおさらだ。いちいち気にしていたら、この王国は守れない。君達にはそのために、最後まで協力してもらいたい」


 すぐに返事のできないレオンに、マルファが横から聞いた。


「レオン、まさか迷ってるの?」


「そ、そういうわけじゃ……」


「あの人達は王国に勝手な言いがかりをして暴れてるのよ? それでどんな目に遭ったって自業自得だわ」


 マルファの気持ちは揺るぎなかった。王国を乱そうとする者達の排除に、ただ専念している。そこにレオンのようなためらいはない。


「向こうが襲ってくる以上、こっちもやらなきゃ兵士が殺されちゃうわ。私達はそれを防ぐの。暴れる人達から皆を守るのよ」


 やらなければやられる――それはお互い同じことだ。ためらえば向こうはその隙を突いてくるだけなのだ。どんなことになろうとも、責任は暴れるあちら側にある。何も恐れることはない。正義は自分に、王国にあるのだから――レオンは胸の中でそう言い聞かせると、ユーリに顔を向けた。


「……すみません。初めての実戦で、何か、余計な考えをしてて……」


「気にするな。始めから戦いに慣れた者などいない。少し休んでいるか?」


「いえ……指示をお願いします」


 やる気を見せるレオンにわずかに表情を緩ませ、ユーリは眼下を眺める。


「兵士の攻勢に民衆が逃げ始めているな……敗走する者らを足留めできるか」


「やってみます」


 レオンとマルファは再び意識を集中させていく。隊列を組む兵士に追われる民衆は、通りから細い路地へ逃げ込もうとしていた。そうはさせまいと、二人の操る風はその真上へと吹き下ろされた。ゴオッととどろいた風は、民衆の体をその場に押さえ付けるように、猛烈な力で圧迫し動けなくした。それでもかろうじて風をかわし、路地へ逃げ込もうとする者も二人は見逃さず、向かい風を起こしてすぐさま引き戻す。


「……よし、止めてくれ」


 その声に二人は風を止める。荒れた通りには地面にうずくまる民衆が多くいて、そこに兵士達が一斉に駆けていくのが見えた。


「あの様子じゃ、もう抵抗はできないだろう。よくやったな」


 褒められ、マルファは微笑むが、隣に立つレオンは真剣な表情を崩さなかった。


「何よレオン、褒めてくれたのに嬉しくないの?」


「まだ始まったばかりだろ。笑ってる場合じゃない。……ユーリさん、次は何をすれば?」


「こちら側はひとまずいいだろう。反対側の西地区は入り組んでいるから、軍も警戒にてこずっているかもしれない。移動するぞ」


 眼下の様子をいちべつし、歩き出したユーリの後を、二人は並んで付いていく。王国の平和を取り戻すために……。

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