告解の運命にあるのなら、自らの存在意義を考える必要は無いでしょう。

第5話 呪縛と限界 

 キョク・ユミンは、今日も逃げ続ける。

今の立場では、街を堂々と闊歩することはできない。もしかしたら指名手配でもされているかもしれないので、行動範囲がどうしても狭まってしまうのだ。

とにかく、「エターナル」の幹部の一部を暗殺した以上少しでも素性をごまかしたいのだ。気休め程度に変装しておこうと思い、市民的な服屋へ向かった。

でも、変装という言い方は少し違う気がする。

8年ほど前の私にというのが正確な表し方だろう。


彼女は、半額セールになっていた薄い水色のワンピースといくつかの髪ゴムを買った。物を買ったときの金は、さきほど通りすがった人からスッた財布の現金で支払う。

その財布を横を流れる川の中へ放り投げたあと、公園の中の公衆トイレに入った。

鍵をかけ、トイレの中を見回す。薄汚れたトイレには、ところどころ水垢が消えていない鏡があり、その前に彼女は立つとゆっくりとため息を付いた。

そして彼女は、つばが深い帽子と青みがかったサングラスを外した。

……随分とひどい顔だと、今更気づく。

私は、先程買ったワンピースに着替える。そして、そこまで長くはない髪を一つにまとめた。

公衆トイレを出てすぐにいくつかの武器とサングラスをスーツから抜き出し、それ以外はゴミ捨て場に放り投げる。

住宅街を歩きながら、私という人間について考える。


 そう、「キョク・ユミン」というのは、私の仮名である。年齢以外の情報はほぼ偽装してあるのだ。

遠い昔に、私は情報屋で「年齢が同じという共通点しか持っていない人間の個人情報」をすべて

「老い」を誤魔化すことには限界があるが、逆にそれ以外のことなら誤魔化せるというのだから、不思議なものだ。

生年月日、出身国、口調など、ありとあらゆるものを偽装して今日まで生きてきた。

私は今から、変装という名目の元で一部の呪縛から解き放たれてみよようと思う。


私は数時間歩き続け、とある山に来ていた。山と言っても、観光地として有名な山に来ているのではない。

かつて私が大切な人たちと来たことのある「サンファ山」だ。

空気は恐ろしいほどに綺麗で、張り詰めていた。まるで、私は汚いものだと言われているように思えてしまう。


私は数十分で難なく頂上にたどり着く。今日は平日ということもあり、誰ともすれ違わなかった。当然、誰かが頂上にいるわけもない。

私は一人、平和な世界を見ていた。

いや、平和な世界だと


 「ねえ、あなた、は……ジュンカ……な、の……? 」

一瞬、聞き間違えなのではと思った。が、目を見開かずにはいられなかった。


声が聞こえたほうを振り返る。

そこには、何年も前に会ったことのある少女の面影を残した女性がいた。黒髪と赤いスカートが、背景の緑に映える。

彼女は、少し怯えていた。

きっと私は、恐らくすごい形相をしていたのだろうと思う。

でも、私は、『彼女を知っている』から。

「……アカネは、いとこのことをうっかり忘れちゃった……のかな? 」


彼女は強く抱きついた。

キョク・ユミンではなく、「ジュンカ」に。

「だ、だって……わ、私もう二度と、ジュンカに会えないと思ってたっ……! 」

「ごめんね、から逃げてきちゃって、ごめん。何があったのか、説明する、から……」



私がこれまでの経緯を話すと、アカネは驚きと悲しみが入り混じった声で言った。

「つまり、ジュンカはこのカンコクの警察官だったけど、つい数日前に警察を裏切ったってこと……? 」

そうなる、かな……と私は曖昧に言う。アカネはやはり困っていた。

そもそも、私が警察官だということさえ、当然彼女は知らない。

とにかく彼女が危険な目に合わないように、情報を断片的に伝えるしかなかった。

ただ、本題はここからだ。

「今は、警察に追われている状況で、泊まる場所がほしいの。本当におこがましいんだけど……ほとぼりが冷めるまでアカネ家に居させてくれない、かな……? 」

アカネはまだ涙が乾ききっていない目で笑う。

「もちろん! だって、ジュンカは何度も私を助けてくれたから! いつでも、どこでも、私はジュンカの味方だからね! 」


ただ、ここからが始まりだった。

かりそめの情報によるじぶんの呪縛は、既に限界を迎えていたのだろう。

やはり、信頼できる協力者との再会で油断していたのかもしれない。


私はこの決断を後に後悔することになる。

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