第十六話 カオスの最後

「逃す訳がないだろうが! アスフィケイション!」


 作戦が失敗し、逃亡を図ろうとしたカオスに向け、俺は魔法を発動する。


『何だ! 急に体の動きが鈍くなりやがった。くそう! どうして羽がギクシャクする』


 背中から現れたコウモリのような羽を使って上空に舞い上がったカオスだが、上手く羽を動かすことができずに墜落してしまう。


「残念だったな。悪いが、俺はお前を逃す訳にはいかない」


 地面に落下したカオスに近付き、地面にへばり付く彼を見下ろす。


 やつはゆっくりと立ち上がり、睨み付けてきた。


『羽を封じられたからと言って、俺が終わった訳ではない! 隙を作って逃げてやる』


「悪いが、お前が考えていることは実行できない。何せ、お前は既に詰んでいる」


 殴打をしようと腕を上げようとしたカオスであったが、彼は途中で動きを止めた。


『か、肩が上がらない! それにさっきよりも動き難くなっている』


「それはそうだろう。だって俺は、石化ならぬ骨化の魔法をお前に使ったのだからな」


『骨化……だと』


「ああ、この魔法は発赤、熱感、圧痛を伴った腫脹しゅちょうが出現することで、206番目のアミノ酸であるRアルギニンがヒスチジンに変化する。遺伝子の変異により、血管内皮細胞が間葉系幹細胞の形質を獲得することで、その細胞が骨格筋や筋膜、腱や靭帯に集積することで異所性骨化が広がり、関節の可動性が失われる。それを魔法で強制的にしたんだ」


 説明をするも、やつは理解できていないような表情をする。


「その顔は分かっていないようだな。動物実験をして魔学者の真似ごとをするくらいなら、これくらい知っておけよ。まぁ、一言で説明するのであれば、筋肉を骨に変えたんだ」


『お前、本当に人間なのか? こんな悪魔のような魔法を使いやがって』


「俺は人間だ」


 この魔法は、前世の記憶によるものだ。俺に生まれ変わる前のハルトが、異世界の知識で生み出した魔法。彼のオリジナルだから、おそらく使用できるものは俺くらいだろう。


『た、頼む! 金ならお前が望む額をくれてやる。私は多くの動物兵器で多額の収入を得ているんだ! この魔法を解いてくれたら、絶対に約束を果たす。だから、命だけは!』


「悪いな。この魔法を解除することはできないんだ。お前は一生死ぬまでこの姿のままだ」


 事実を告げると、やつは大きく目を見開く。


 今、ハルトが転移前にいた世界がどうなっているのか分からないが、500年前は一度筋肉が骨になると元に戻すことはできないと言われていたらしい。だからそれを治療する知識を持っていなかった彼は、極力この魔法を使うことはしなかった。


 ハルトが知らないことを、生まれ変わりの俺が知っている訳がない。


『嘘だ! 嘘だ! 嘘だあああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!』


 現実を受け止めきれないようで、カオスは声を荒げ、叫ぶ。


「もううるさいから、その口の筋肉も骨にしてやろう。フレア・アップ」


『く、くひかぁふみゃくふふぉふぇにゃい』


 フレア・アップにより、体幹から始まり末梢神経に侵攻する速度が上昇、顎の筋肉を骨化し、関節に制限をかけた。


「これはお前に与えた罰だ。多くの動物を道具のように扱い、アバン子爵を殺してその息子のストライクまで自分の道具にした。その報いを今受けてもらう」


 ゆっくりとカオスに近付き、彼の耳元で小さく囁く。


「お前は殺さない。その寿命が尽きるまで、ここで一生孤独に生きていろ。飲食もできず、体を動かすことができない状況下で、案山子かかしのように残りの生涯を過ごすんだ」


 ルナさんたちに聞こえないように小声で囁き、彼の反応を窺う。


 既に殆どの筋肉は骨となっているようで、眉ひとつ動かさない。


 でも、彼は絶望感を抱いているだろう。殆ど変わらない風景を、案山子のように立ったまま寿命が尽きるのを待つ人生は、まさに地獄。


 やり過ぎかもしれないが、これくらいしなければ、彼は自分の罪を反省しないはずだ。


 生まれ変わることがあれば、次は真っ当な生物に生まれ変わってほしいものだな。


 きびすを返してカオスから離れ、ルナさんたちに近付く。


「みんな、元凶の魔族は倒した。もう安心してくれ」


「テオ君!」


ご主人様マスター!」


 カオスを倒して安全性が確保されたことを告げると、ルナさんとメリュジーナが駆け寄って来て、抱き付いてきた。


 バランスを崩しそうになったが、どうにか足に力を入れて踏ん張る。


「テオ君、テオ君! 私信じていたよ! テオ君が必ず迎えに来てくれるって」


「さすがご主人様マスターだよ! あの魔族を見破った上に倒すなんて!」


 俺の体に腕を回して抱き付いてくる2人。彼女たちの笑顔を見ると戦闘での疲労も吹っ飛びそうだ。


「2人の気持ちは分かったから、離れてくれ。まだ解決していないことを終わらせないと」


「解決していないこと?」


「魔族を倒す以外に何かあったけ?」


「「あ!」」


 一瞬思い当たらなかったようだが、直ぐに思い出したみたいだ。彼女たちは俺から離れる。そしてルナさんは父親に近付く。


 そう、魔族騒動で話しがすり替わってしまったが、本来の目的はルナさんが父親であるグレイ男爵と話しをきっちりつけて、親子として仲直りをすることだ。


「お父様、私は――」


「何も言うな。寧ろ謝るのは私のほうだ。私がバカだった。家名を守るためとは言え、魔族に成り代わっていることにも気付かなかった愚かな私をどうか許してくれ」


 ルナさんが父親に話しかけようとすると、グレイ男爵は頭を下げて娘に謝罪する。


「お父様……なら、この件を反省して婚約者探しは控えてください」


「それはならぬ。ご先祖様が残してくださった家名を守るためには、一刻も早く後継が必要だ」


「お父様!」


 今回の件でルナさんを自由にしてくれるかと思ったが、どうやらグレイ男爵の頑固さは折り紙つきのようだ。


 これは振り出しに戻ってしまったな。


 これからどうしようと悩んでいると、グレイ男爵が俺のところにやってくる。そして彼はその場で屈むと、膝と頭を地面に付けた。


「ぐ、グレイ男爵!」


 驚いてしまい、思わず声を上げる。


 いきなりグレイ男爵が土下座を始めたのだ。


「この度は、度重なる御無礼をしてしまい、誠に申し訳ありません。厚かましいお願いだと重々に承知していますが、どうかグレイ家に婿入りをして居ただけないでしょうか!」


「え? ええー!」


 使用人を含めたこの場にいる全員が驚きの声を上げた。


「む、婿入り? この俺がグレイ家に?」


「はい。あなた様こそ、ルナにふさわしきお方です。きっとあなたならルナをお守りしつつ、ご先祖様が残してくださった家名と土地を守ってくださるはずです。いえ、それ以上に発展して子爵、いや、公爵に成り上がることも可能だと思います」


「え、あ、いや、えーと」


 突然のことに頭の中が真っ白になりそうになる。


 正直に言っても、ルナさんと婚約関係になれることは光栄だ。でも、俺は貴族としてなり上げるつもりはない。でも、断ってしまうと何かと面倒なことになりそうだ。


「と、とにかく、頭を上げてください! 男爵が皆さんの前で恥を晒すものではないですよ!」


「いえ、もう既に恥はかいております。なのでこれ以上恥をかいたところで何も変わりません。婿養子になると言うまで、このまま土下座をさせていただきます」


 それって俺に選択肢がないのと一緒じゃん! このままノーを貫き通したら、俺って人としてめちゃくちゃ悪いやつになってしまうって!


 はいと答えないと先に進めないような気がする中、ルナさんが近付く。


「お父様、テオ君を困らせたらダメだよ」


 ニコッと笑みを浮かべながら、ルナさんはグレイ男爵の耳元で何かを囁く。


 声が小さく、何を言っているのか聞き取れなかった。


「そうか。お前がそこまで言うのであれば、今回は引くとしよう。でも、男爵家の娘として一度言ったことが最後まで貫き通すのだぞ」


「任せてください、お父様」


 父親を立ち上がらせると、ルナさんは片目でウインクをしてきた。


 親子の間で何が交わされたのか分からないが、どうにか答えずに済んだのでよしとしよう。


『うわー、本当に殴っても蹴っても反撃しないよ。兄ちゃん』


『そうだな。マーペ。面白い! 人形じゃないのに人形のように動かない』


 パペット人形たちの声が聞こえ、そちらに顔を向ける。動かなくなった魔族のところに、パーぺとマーペがいた。

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