第10話
「そういえば、友人がいないとおっしゃってましたね」
町へ向かう途中。騎士団寮から続く町への道をふたり歩いているとディオが唐突に話を蒸し返した。友人がいない、ということをあまりおおっぴらに言わないでほしいなんて思いつつ返事を返す。
「?ああ、そうだが……なにか?」
「……騎士団の皆さんは、友人ではないのでしょうか」
「……あー、あいつらは、友人……ではないな」
「なぜ?」
ディオのまっすぐな瞳がノラを映した。綺麗な色。純粋で混じりっけのない透明な視線。これに見つめられると居心地が悪くなる。なんだか落ち着かないのだ。まるでなにかを測られている気がしてしまう。
騎士団の同僚をなんて呼び表せばいいか、考えてから口を開く。
「どちらかというと仲間、かなぁ……まあ、どちらにせよ祭りに誘うような間柄ではない」
「?なにがちがうのでしょう」
「剣の稽古には誘えるが遊びに誘うには遠すぎる……というか」
そこら辺の微妙なニュアンスはたぶん身体で感じないとわからない。首を傾げるディオにそういうものだよ、と苦く笑って祭りへ話題を変える。
「今日はなにをしようか」
「ええと……町には詳しくないので、お任せしても?」
「ああ。じゃあ、露店をひやかしにでも行くか」
笑ってノラが手を差し出す。竜騎士のエスコートだ。竜騎士は式典などで高貴な婦人をエスコートすることがある。その時の作法を使えばディオはきょとんとした。
「さて、しがない竜騎士ではありますが、どうかエスコートをさせていただきませんか?」
「……ふ、ふふっ……わたしはお姫様ではありませんよ」
「おや、世にも珍しい女竜騎士のエスコートはいらない?」
「いえ、ああ……ふ、っふふ……じゃあ、お願いしましょうか」
ディオがノラに手を重ねる。さすがに町ではできないのでそこへ着くまでの短時間のたわむれ。
「…わ、ぁ…」
町の大通りは人でごったがえしていた。道の脇には様々な露店が出ていて、人々は楽しそうに春祭りを満喫している。
「さて、大通りから攻めるか」
「はい…!」
「ディオ、楽しそうだな」
「……はじめてなんです。仕方ないでしょう」
「ふふっ、いいと思うけど。せっかくの祭りなんだから楽しまないと」
ふたりがまず覗いたのは、トンチョウ肉の串焼きだった。串に刺さった肉からは肉汁があふれて、タレにくぐらせれば完成の屋台飯。ディオがやたらとちらちら見ていたのでノラが買ってあげた。
「わ、わ…」
「タレを零さないようにな」
「おいひいれ…っあふっ…」
「熱いから気をつけ…すまない、言うのが遅かった」
「はふ、っむ、おいしい、です……!」
肉にかぶりつくディオを見ていると、なんだか楽しい気持ちがわいてくる。町なんて悪意の針のむしろだったのに、この友人がいるとどうもそうではなくなるようだ。
「つぎはなにを食べますか!?」
「食べること限定なのか?」
「あっ、ノラさんがなにか見ていきたいのなら……すみません……」
「はは、いいさ。君の楽しそうな顔を見ているのはこちらも楽しくなれる。だから笑っていてくれよ」
そう聞くとすぐにディオはノラの服の裾を掴んだ。あれ、と指さした先にはプラミの甘煮。先程からただよう甘い香りはあれだったようだ。
「食べましょう!」
「ああ、そうだな」
▷▷
「はあ……おなかいっぱいになりました」
「そうか。それはよかった」
食い倒れのような楽しみ方をしたディオが休みたいというので広場のベンチに腰かけている。
まだ肌寒い日もあるが、今日はどうやらあたたかい。日差しが草花に降り注ぎ、やさしい休日に笑みがこぼれた。
「そうだ、この後寄りたいところがあるんだ」
「どこですか?もちろん着いていきますよ」
「ありがとう」
行きたい場所、というか露店だが。ネロの顔を見に行きたいのだ。
「雑貨店だが、ディオは暇になるかもしれない」
「そんな、暇だなんて……わたしはなんでも楽しめるので大丈夫ですよ」
そんなふうにぽつりぽつりとたまに言葉を交わして休憩し、また歩きに出た。
「まあ、ノラ!来てくれたの?嬉しいわ、ありがとう!今日は春祭りでしょう?竜の卵のアクセサリーはもちろん、魔よけも置物も売ってるから、どう?」
「ネロさん、ありがとう……元気そうでよかった」
「あら、私の心配してくれてたの?嬉しいわ、竜騎士様に心を砕いてもらえるなんて、ね?」
「もう、ネロさん……」
「あはは、冗談よ。それで?となりの男は?カレシ?」
「恋人じゃない。友人だよ」
ディオはどうやらネロの勢いにたじたじになっているようで先程からなにも言えていない。ノラは苦笑してディオの事をネロに紹介し、ネロのことも紹介した。
ネロは露店で相変わらず可愛らしい雑貨を売っているようだ。春祭りの間だけ販売を許される竜の卵の殻のアクセサリーもきちんとある。さすが抜かりない。
「ネロさん、少し相談したいんだが」
「あら?なに?」
「……ディオ、君は少しほかの店でも見てくればいい」
ディオにそう告げると、不思議そうにしながらも彼はふらふらとほかの店に向かっていった。その後ろ姿を見ながら、ノラはネロに小声で話す。
「……裏へ行っても?」
もちろんよ、とネロが売り物をしまい込み、少しの間留守にするという札を置いてからノラとともに裏路地へと向かう。
裏路地ではネロとノラ以外に人の気配はなかった。声を潜めて、本題をきりだす。
「それで、竜に近寄っても竜の機嫌を害さないようなアクセサリーはあるか?」
「あら、そういうこと?あの子竜人?」
「……なぜそう思う?」
「白竜の機嫌を害すなんて竜人だけよ。もう少し駆け引きは上手くならないとねえ、ノラは」
これ、とネロがノラに見せたのは様々なアクセサリー。匂いを誤魔化してくれるものや、存在を揺らがせて気配を誤魔化すもの、禍竜の血を一時的に薄めてくれるなんてものもあり、さすがにノラでも驚いてしまう。
「ネロさん」
「知っていてここに来たんでしょう?私がこうして普通の人には売らないものを取り扱ってること」
「まあ、いつもお世話になってるし、わかってたが」
「なによ」
「品揃えが良すぎないか?」
「危ない橋は渡ってないから大丈夫よぉ。ありがとうね」
ネロが朗らかに笑ってどうするの?と聞く。どのグッズを買うか、ノラはしばらく悩んでいた。
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19話
「ディオ、渡したいものがあるんだ」
「?はい」
ネロの店から離れる。空は夕暮れに染っていて、斜陽が町をオレンジに色付かせていた。まだ解けていない雪も、全てが綺麗に照らされている。もうそろそろ帰らなければ。春祭りとはいえ、まだ夜は長い。
「これを」
ディオにラッピングされたそれを渡す。開けていいぞ、と告げればおそるおそる開いた。
「……これ、は?」
「竜の逆鱗から作ったイヤリングだ。付けてみてくれないか?」
ノラのことを見て、なぜ、と顔に浮かんでいる。なんのために付けるか。ここで言えば面白くないから言わないのだけれど。
ディオがイヤリングを付ける。思った通り、それはディオの黒い髪に似合っていた。
「似合ってますか?」
「ああ。綺麗だ」
「……そういうのは、女性に使う言葉ですよ」
「思ったことを言っただけだ。綺麗だよ、ディオ」
ノラが表情を崩した。ほっとした顔。実はこのプレゼントには仕掛けがあるのだが、それはまだ秘密にする。
「……ありがとうございます」
「喜んでいただけたようでなにより」
「……」
ふ、とディオの顔に蔭がさす。視線の先、そこにはディオとノラをちらちらと見ている人たちがいた。町の人々はいつもそうだ。少しでも異端なものを見ると、すぐに怯え、恐れ、異端だと認識されたものを悪しように言う。それが異端を傷つけてるなんて露ほども思わずに。
職業柄、ノラは耳が良い。だから、声を拾うのも容易だった。
「……竜人という生き物は、これほどまでに嫌われていたのですね」
「……私も、女竜騎士というだけでディオと同じような扱いを受けるぞ」
「……」
「気にするな、というのは難しいだろう。でも、ディオはなにも悪いことはしていない。だから、誇りを捨てるなよ」
「誇り……?」
「そうだ。それがあるから、私も頑張れているんだ」
ディオがノラを見た。弱々しい顔をしていて、ノラは心にナイフを突き立てられたような心地になる。こんなにやさしいひとを、自分たちとは違うだけでここまで傷つけられる彼らのことが、わからない。彼らの方がよほど残酷じゃないか。
「もし、君に自信がなくて誇れるものがないと思うのなら。君を肯定する友人がいてくれることを思い出せ。肯定されるということは、それだけ君が誇らしいひとである、ということだ」
「つまり、ノラさんを思い浮かべればいいのでしょうか」
「まあ、そうなるかもな」
「ふふ、それでしたら元気になってしまいますね。大切な友人のことを思えば、がんばれそうです」
「無茶はするなよ」
「ノラさんも。辛ければつらいと言ってくださいね」
ディオがノラの手を取った。瞳にノラが映っている。ノラだけを、見ている。
「あなたは、間違いなくわたしの唯一だ」
「……君に剣は捧げられないぞ」
「ええ。騎士の誓いが欲しいわけではない。あなたが友になってくれたことを喜んでいるだけです」
「そうか」
「記憶が戻って、わたしがなにかになっても、あなただけは私の味方でいてくれますか」
「当たり前だろう?だって私は君の大切な友だ」
ふざけたように答えれば、ディオは安堵したように息を抜いて、帰りましょうか、と立ち上がる。ノラに差し出された手を取れば、朝とは逆になる。今度はノラがエスコートを受け、騎士寮へと帰るのだった。
▷▷
そうして、春祭りも最終日になった。
「ディオ、今日は騎竜演舞を見にきてくれ」
「ええと……」
今日も朝からノラはディオの部屋へ来ていた。嬉しそうに出迎えてくれたディオとお茶をしつつ、今日の予定について話す。祭りの最後には竜が舞う。それはハウゲスンでは当たり前の事だった。
「わたしが行っても、迷惑になりませんか?」
「なにを言うんだ、君が来て迷惑になるなんて」
「わたしは、竜人です。白竜には好かれていません」
「だからイヤリングを渡したんだ」
「……?」
竜の逆鱗で作ったイヤリング。ノラはディオにそれを毎日つけてほしいと言っていた。不思議そうな顔をするディオの耳元に光っているのを見て、ノラは大丈夫だと告げる。
「それを付けていれば、邪魔にはならない。白竜たちも許してくれるさ」
「……そうですか?」
「大丈夫だよ、ディオ。見においで」
それから話題は今日の予定についてになり、騎竜演舞の準備時間になるまでノラはディオと会話を交わしていた。
▷▷
竜が舞う。突き抜けるような青に飛び交い春の訪れを祝福する。
キュオォ…と白竜が鳴くたびに空気がビリビリと震える。地にいる彼らは空から降りたものと代わるように大きな羽をばさりと音を立て飛び立つ。白竜たちが次々と入れ替わり空を飛行していく。
その様は圧巻、としか言い様がない。
ディオは飛び立つ前の白竜の群れの中からリーヴとノラを見つける。ここまで近くで白竜を見たのははじめてだった。
彼女に手を小さく振ればこちらに気がついたようで敬礼を返される。リーヴになにかを言ったノラ。するとリーヴはディオを一瞥するとキュ、と鳴いた。まるで、ノラの友人として認めてやる、と言われたような気になる。
くすりと笑い、今度は大きな声で周りにかき消されないようがんばれ、と叫べばノラは口角を上げ左胸を拳で叩いた。
──白竜が、舞う。
白い大きな竜。平和の象徴のような景色。美しい、ただそれ以外に言葉を使うのは無粋なようで。
ディオは、ひびく白竜たちの鳴き声に、彼らがハウゲスンの人々に祝福を与えている事に気づく。竜の祝福を見たのははじめてだ。この数十分は、はじめてばかりだ。
白竜たちの、この町に永遠(とわ)に安らぎと平和が訪れるよう、という祈りがこだまする。優しい竜たちは、優しさをくれるひとたちを、確かに愛していた。
竜は決して人に慣れる生き物ではない。そう言ったのは誰だろうか。
この光景を見て、それを説けるのなら、やればいい。彼らは愛を知っている。下等生物だというひとびとを大切に想っている。
ディオはずっと空を見ていた。リーヴを、ノラを、ほかの竜を視線で追いかける。騎竜演舞が終われば、ディオは静かに涙を流していた。つう、と頬にしずくが伝う。泣いていると気づいたのは、隣にいたおばあさんにハンカチを差し出されてからで。
「おにいさんは、この祭りははじめてかい?」
「はい」
「そうかい。それなら圧倒されるのも仕方ないねえ。でも、これを何回も見てるとだんだんと楽しめるようになるよ」
「……すごい、優しい祭りですね」
「はは、そうだねぇ。竜たちはいつだって私たちにやさしいよ」
涙を拭い、顔を上げる。青空を見上げた──その刹那。
「っぐ…!?」
頭に鋭痛が走った。
脳内にチカチカと景色が浮かんでは消える。知らない場所、知らない街、知らない人。しらない空を自らの羽で飛んでいく、風を切るその感覚。
──これは、なんだ?
人がばらけた広場前。ディオはその場にうずくまり、ガンガンと頭を打つ知らない光景に脂汗をにじませていた。
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