第4話
ハウゲスンの町を歩く。肩にはさらに小さくなったリーヴが乗っていて、キュッキュと嬉しそうに尻尾を揺らして鳴いていた。
「……」
ざわざわと喧騒の中。ノラを見ている視線、そして、噂する声を感じた。
「……女なのに竜騎士になるなんて」
「騎士で満足していればよかったのに……」
またか、と思う。慣れている。彼らは女が『竜騎士』になったことが許せないようだ。
実を言うと、騎士の中には少ないながらも女性はいる。女騎士は、高貴な身分の幼い女性や、貴族の未亡人に仕えたりと、結構需要があるのだ。男性では気がつけない細やかな気遣いや、同性だから言えること、気にかけられることもある。そのため、貴族社会で女騎士は認められている。
それなのに人々からノラがあまり歓迎されていないのは、一様に竜騎士の職の特殊性からくるものだ。
竜騎士には、男性しかなれない。
それは竜と共にある騎士という存在がうまれてから、一度も破られなかった不文律だ。
なぜ白竜が女性を選ばないのか。それは諸説あるが、竜たちに直接聞くことができないため、それはそういうものだとして世間に受け入れられていた。それなのにノラは有史以来初の女性竜騎士になった。それがどれだけ彼女の風向きを強くするか。それは竜騎士の証である白飾りの短剣を国王から下賜された時から予想されていた茨の道だった。
ハウゲスンの町はまだ防寒具をこれでもかと付けていなければ凍えてしまいそうだ。冬の終わりも近いのに冬は次の季節と交代するのを嫌がっている。
朝市を賑やかしながら日用雑貨を買い付けている贔屓の店へ向かう。途中でリーヴのためにリンゴをひとつ買った。リーヴにあげるとさっそく肩の上でしゃくしゃくと食べ始めて苦笑する。
「おはようございます」
ドアを開けるとドアベルがからんと鳴り、奥から女性の声がかかる。
「はーいいらっしゃい!って、あら!ノラじゃない!元気にしてた?最近来てくれなかったから心配していたのよ……町のくだらない噂話が好きなやつらはノラのないことばかりあれこれ言ってるし……大丈夫?騎士団でいじめられたりしていない?」
「ね、ネロさん、落ち着いて……」
「あら、ごめんなさいね」
ここの店の店主はノラがハウスゲン領の竜騎士として着任した時からノラに優しくしてくれていた。まるで母のような彼女に、ノラが懐くのはすぐのことだった。今ではこうして買い物ついでに世間話をする時間が大切なものになっている。いくら稼いでいると言ってもネロはどうしても値引きするし、あれもこれもとおまけを沢山つけてくれる。
「ねえノラ、それでどうなのよ」
「どう……って?騎士団では良い仲間ばかりだけど」
「そんなことじゃなくて!」
ニヤリと獲物を見つけた獣のように目を光らせて、ネロは囁いた。
「彼氏よ。カレシ。いい男が沢山いるんでしょう?それなら食べ放題じゃない」
「食べ放題……」
「そうよ、経験を積むのは何にしても大切なのよ」
「あ、あはは……」
苦笑いをしつつ、なんで女性というものは恋愛話が好きなのだろう、とノラは心中で首を傾げる。仕事一本で生きていくつもりだし、そもそも騎士団の男どもはあらゆることを知り、知られすぎていて恋愛対象に見られない。それはこの話が出る度にネロには伝えているのだが、彼女はなんども聞いてくる。
「じゃあ騎士団の外に男を作ればいいのよ」
「ネロも知っているだろう?私は町の男たちからはいい印象を持たれていないのを」
「……ノラ」
「ああ、大丈夫だから、そんなに落ち込まないでくれ。これは私が決めた生き方なんだぞ?」
優しく声をかければ彼女は愛しい娘を見る母のような顔でノラの頭を撫でた。髪、短くなっちゃったね、と呟いて。
▷▷
ネロの店を出る。別れがたい気もしたが、これからまだやることが残っている。帰寮したら荷物をわけて、鍛錬をしなければ。リーヴはご機嫌そうに鳴いている。りんごが嬉しかったようだ。
来た道を帰る。やはり視線が突き刺さり、町を歩くのはこれだから苦手なのだとため息をつきそうになる。最後に騎士見習いの少年たちが鍛錬をしている町の剣術道場に顔を出した。
子供たちは純粋だ。だから、ノラについてもあまり悪い印象を持っていないようで。子供たちは聞いたことより実際に見たものを信じるから、素直に可愛がれる。
剣の打ち合いをしている途中、カランカランと町の鐘が鳴った。
その音が耳に届いた途端、ノラは荷物を慌ててかき集め、騎士団へと駆け出した。
その鐘の音は、騎士の緊急招集を告げるものだった。
▷▷
「今回集まってもらったのは、領の東に魔物が出る予兆があったからだ」
竜騎士団に帰るとすぐに訓練場に竜騎士たちが集められ、団長が話を始めた。
──東の森に魔物が出る可能性が高い。
ハウゲスン領の東にはそこにしか生息していない独自の生き物や植物が生えている森がある。そこには魔物と呼ばれる、魔力を持つ獣が時折自然発生するのだ。魔力は魔物──ドラゴンも含む──にしか使えない力で、人が使おうとするものなら、良くて昏倒、悪くて死を招くともいう。
魔力を持つ獣は厄介だ。人里を襲い、ただでさえ少ないハウゲスンの食料を食い漁る。なまじ魔力があるせいで武力を持たない民たちは逃げるしかできない。ハウゲスンに打撃が与えられる前に魔物を狩る。そのためにハウゲスンの竜騎第二部隊は存在しているのだ。
「先程、東の森に魔力が集まっていくのを観測した。恐らくそれは高確率で魔物になるだろう。出てくるのは、上位の魔物になるかもしれない」
ざわり、と騎士たちから剣呑な空気が醸し出される。魔物にもグレードがあり、上位の魔物というと、第二部隊とサポートにあたる第三部隊が総出で対処しなければ勝てないものだ。それに対する不安はない。そのために毎日鍛えている。騎士たちの空気が、捕食者のような、ギラギラと凶暴なものになった。
「そこで、発生したところを一気に叩く。──半刻後に竜と共に隊列を作り、待機するように」
ノラも久しぶりの手応えのある魔物狩りに高揚していたのは、言うまでもない。
▷▷
結果を言うと、魔物は上位のランゲイルだった。イノシシのような体躯の馬鹿デカい魔物で、水属性の魔力を持っていた。騎士たちはびしょびしょに水に濡れて寒さに震えながら倒し、今はランゲイルの解体をしていた。
魔物の牙や角、皮や肉、骨などを解体して切り取り、それを持ち帰るのだ。それらはハウゲスンの職人たちが綺麗な工芸品に加工してハウゲスンの特産品として売り出す。だから綺麗に解体しないと上から怒られるのだ。ノラは解体には詳しくない。なので魔物が暴れた場所の後始末の仕事が任されている。
ガサガサと低木をかき分けて傷を負った森の草木を詳細に書き記す。東の森に自生する植物は、乱獲防止のため勝手に持って帰ってはいけない。けれど、こうして魔物が暴れて引きちぎられた草花や倒木は持ち帰ってもいいこととなっている。持ち帰られるのはどれか、それを確認するのが仕事だ。
リーヴは森の上空からノラに森の状態を伝え、それに沿ってノラは動く。
リーヴがキュ、と小さく鳴いた。なにか不測の事態があった時の鳴き声だ。ノラが慌ててそちらへ抜刀して向かう。そこはランゲイルが発生したであろう場所だった。
「……」
辺りを用心深く探る。ふと視線のはしになにかが映った。────人だ。
「人!?」
駆け寄ると、それは倒れていた男だった。黒く長い髪はボサボサで鬱陶しく、成人男性の体にしては痩せすぎていた。子供や少年と呼べないと判断したのは、その体躯の大きさからだった。
「大丈夫ですか?私の声が聞こえますか?」
声をかけても反応がない。揺さぶってはいけないと人命救助の座学でしたことを思い出し、頬をつついた。息と脈を確認したところ、異常は無い。どうやら気を失っているようだ。
「リーヴ!!私はここで彼の容態を見る。隊長に緊急事態だと伝えてきてくれ!!」
キュォォ…とリーヴはひと鳴きして飛び去る。残されたノラは男を観察した。
「……ずいぶんと端正な顔をしているな」
痩せすぎてわかりづらいが、よくよく見るとこの男は平民には不似合いな綺麗な顔立ちをしていた。貴族やそれ以上の身分の方々は、見目の美しい相手を選ぶ。その結果、彼らたちはみな美しい顔立ちをしていることがほとんどだ。
「厄介なことにならなければいいが」
はあ、とノラはため息をついて男からリーヴが戻ってくるだろう空に視線を移した。
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